たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

日比谷シャンテ宝塚ステージ衣装展_月組

2019年03月22日 23時17分35秒 | 宝塚
気分転換投稿。

2017年9月、東京宝塚劇場で『Oll for One』を上演して時の日比谷シャンテステージ衣装展。『グランドホテル』と『カルーセル輪舞』の衣装。やっと整理できました。

初演の『グランドホテル』を観劇しました。長い間聴いていないですが実況CDも持っています。
涼風真世さんが演じたのは余命いくばくない元簿記係のオットー・クリンゲライン、眼鏡姿と曲がった背中が印象的でした。麻乃佳世ちゃんが演じたのは映画スターを夢見るフラムシェン。二人のダンスシーン、今も頭の片すみに残っています。

再演では、初演で久世星佳さんが演じたフェリックス男爵を主役にして、珠城りょうさんが演じたんですね。たしか最後は撃たれてしまったと記憶しています。男爵の話は嘘で最後は亡くなったことを知らないままでいる姿が痛ましいと感じたバレリーナのグルーシンスカヤ役が愛希れいかさん。初演では羽根知里さんが演じていました。初演で天海祐希さんが演じて印象的だったグルーシンスカヤの付き人はどなたが演じたのかな。

再演の月組公演、この世にいる間に映像で観てみたいなあと思っている作品のひとつです。

















 次の居場所が決まらないので月組の大劇場遠征はあきらめるつもりですがライヴビューイングは申し込みました。昨日はシャンテでポラロイド風ポストカードが販売されてたちまち売れきれ続出だったのに、メルカリでさっそく転売されているとか。郷里に戻ってしみじみ感じていますが電車に乗って日帰りでいくことのできないキャトルレーヴは果てしなく遠いです。地方在住でキャトルレーヴに行くことができない方々はこうしたサイトに手を出してでもほしいと思ってしまうのかな。量産して、通信販売もやってくれるといいですね。

『アンネの青春ノート』より_幸福

2019年03月22日 20時15分40秒 | 本あれこれ
「ねえ、人間ってね、自分の感情をぶちまける相手がいないと、悲しくなってしまうものでしょう。そんな憂鬱の淵の底に沈んでいるときに、ほんとにほしいと思うものは、だれでも幸福だと思うの。わたしが言っているのは、物質的な幸福ではなくて、心の幸福よ。そして、それを求めて、求めて、ついに見つけだして、しっかりと自分の心につかまえたら、二度と失うことはないわ」

 わたしの顔をじーっとみつめながら、ジャックは、せきこむようにたずねてきました。
「きみは、それを見つけだしたんだね。どこで、どうやって?」

「ついていらっしゃいな」わたしは立ちあがり、へやから廊下へ出ていくと、暗い階段をのぼって、アパートの屋根裏に案内しました。そこは居住者共同の物置になっていて、明かり取りの窓が一つだけついていました。さっきいったように、アパートはその地区で群を抜いた高さを誇っていましたので、窓ごしに外をながめると、果てしなく続く空が見えるのです。
「あのね、ジャック、もしあなたが自分の心の中に幸福を見つけだしたかったら、すてきな青い空いっぱいに太陽が輝いている日に、外へ出てごらんなさい。さもなければ、こんなふうに、窓べりに立って、窓ごしに、まっさおな空の下のわたしたちの町をながめてごらんなさいな。遅かれ早かれ、あなたは見つけだせるわよ。
 わたしの場合のことをお話しさせてね。わたしがまだ寄宿制の中学校にいたときのことなの。わたし、学校も寄宿生活もどうしても好きになれなかった。進級すればするほど、きらいになってしまったの。そこである自由時間の午後、規制を破って、荒野をひとりでぶらついたの。そして、草の上にすわりこんでは、しばらくあれこれと、いろいろ考えていたわ。
 小鳥のさえずりで、ふと見上げると、その日がすばらしい日だっていうことが、はじめてわかったのよ。そのときまで、わたしって、自分のうじうじした考えにがんじがらめになっていたので、気がつかなかったってことを。
 わたしが身のまわりの美しさを感じて、それを目で見たその瞬間、それまでわたしを悩ませつづけていた、さまざまのくだらない雑音が、ぴたりと聞こえなってしまったの。そして、あの瞬間から、わたし、美しいことや真実しか感じなくなったんです。そしてすべての悩みから解放されたの。
 わたし、三十分かそこら、そこにすわって、それから学校へ戻ったんだけど、もう憂鬱じゃなかったわ。何もかもがすてきに見えたし、さまざまの色や形や大きさのものが、それぞれ、それなりに美しいと感じられたわ。
 あとで、その日の夕方なんだけど、わたし、生まれてはじめて、自分の心の中に幸福を発見したんだなあと、はっきりわかったの。時代や環境がどうあろうとも、幸福はいつも自分の心の中にあるということもよ」

「そして、それがきみの人生観を変えたんだね」

「そう。かんたんにいうと、現在に満足するということを知ったの。こんな偉そうなこといってるけど、正直いって、時どき、不満をおぼえることもあるわ。でも、前のように、もうみじめじゃないわ。ほんとの悲しみって、自分で自分を悲しみの底に沈めてしまうことが原因だし、逆に、ほんとの幸福って、喜びから生まれるってことが、わかってきたからだと思うの」

 わたしが話しおわっても、ジャックは、まだ窓ごしに外をみつめており、深いもの思いにふけっているようでした。とつぜん、彼は振り返り、わたしをみつめました。


「ぼくは、きみとちがって、まだ幸福を見つけていない。けれど、得がたいものを、ぼくを理解してくれる人を見つけることはできた」

 わたしには、彼の言わんとすることがわかりました。そんなときから、わたしはもう孤独ではなくなったのです。そして、真の友と分ち合う喜びは、ひとりだけの喜びよりも、はるかにはるかにすばらしいものであることを、日を経るごとに知ったのです。


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アンネの青春を考える 田中澄江

 戦争という、非人間的な行為は、実に悲惨な破壊を地上にもたらすものだけれど、殊にいたましいのは、若くみずみずしい生命の芽を、無惨にも踏みにじることである。

 第二次世界大戦において、多数のユダヤ人をしたドイツの狂気によって、アンネ・フランクもまた、わずか15歳の蕾の花を散らした。

 富裕な実業家の位置、やさしい思いやりのある母、美しく才能ゆたかな姉-そのような家族につつまれて、平和な日々を送っていたアンネは、ユダヤ人であるためにドイツ人に追われ、二年という月日を隠れ家に身をひそめ、声もしのばせて暮らさなければならなかった。

 神さまは、なぜ、このような苦しみを与えられたのか。にもかかわらず、アンネの『日記』は、このような悲惨な生活の中でも、希望を失うことなく、いつも他者のしあわせを祈る健気さで貫かれていて、読むたびに胸を打たれる。また、アンネの『童話』は、この辛い世界を、空想の翼をひろげて超えていく少女の夢の豊かさに溢れ、その精神の強さとともに深く感動させられる。

 アンネの書き残したことばのたった一行にも、人間性の尊さが光もまばゆく輝いているように思う私は、新しくその『青春ノート』が発刊されることを聞いたとき、涙がほとばしるほどの嬉しさを感じた。神さまはやっぱり、地上でわずかな時間しかもてなかった少女に、永遠の生命を与えられたのである。

 アンネの青春は無惨に傷つき蕾のままに滅び去ったように見えるけれど、このノートに刻み込まれた一つのことば、一つの文章のことごとくが今、アンネの生命となって、不滅の光芒を放ちながら、ここによみがえったということができる。


(アンネ・フランク『アンネの青春ノート』小学館、1978年8月20日初版より)


 
 
 



アンネの青春ノート (てんとう虫ブックス)
アンネ フランク
小学館

やっとひとつ終わったのかもしれません

2019年03月21日 20時30分10秒 | 日記
 観劇ブログから訪問してくださっている方には申し訳ないです。また弱音です。郷里に戻って4カ月。気がつけば社会との接点を見つけることができないままあっという間に時間が過ぎてしまいました。車社会に対する認識が甘すぎて、正直ここまで見つからないままくるとは思っていませんでした。ここ2年半ほどの経験を生かして、4月1日からまた働けると勝手に思っていました。いやいやそれよりも運転できないとだめなのよっていうのをわかっていませんでした。一通目の二週間たってもなんの連絡もなかった事業所に怒ってもどうしようもないですが、挫折感が大きすぎて、夜照らされると足元が全く見えないほど眩しい車のライトと走る音に恐怖心があって、故郷に拒絶されているように感じてしまい、気がつけば故郷に対して怒りと憎しみが湧いている自分がいます。生まれ育ったところなのになんでこんなに馴染めないだろう、なんでこんなに慣れないのだろうと思えば思うほど自分がダメなのかなって思ってしまって気持ちは沈むばかり。こんな自分に対してどんな言葉をかけてあげるのが一番いいのか自分でもわからなくなっています。これ以上怒りと憎しみを言葉にしても、自分にとってプラスになることはなにもない、わかっているのはそれだけ。

 昨日最後のハロワ。声をかけてくれた同級生がへぇーこんなところがあるんだっていうお店へ連れて行ってくれて一緒にお昼を食べました。先週の月曜日に花組ライヴビューイングで出かけて以来一週間ぶりの電車に乗ってお出かけでした。こんなことはよくないとわかっていても仕方ないです。久しぶりに人と話しました。久しぶりにバスで最寄り駅まで行こうかと思いましたがちょうどいい時間のバスはなかったし一時間に一本のプレッシャーに勝つこともできずにまた自転車で最寄り駅へ。なので最寄り駅まで帰りは送ってもらいました。その帰り道でたまたまハロワに出ていた介護施設の求人のことから、母の主治医となってもらっていた〇△クリニックはどうやらかなり評判がよくないところだということを、母が旅立って7年も過ぎてからようやく知ることとなりました。母が家で亡くなっていたのに弟が気がつき電話をいれると死んでいるなら消防署か警察に電話してくださいって言われた悔しさ。死亡診断書を書いてくれないの?えっ?自分の中に〇△クリニックに対する悔しさがずっとありました。それこそ田舎故他に選択肢もなかった悔しさがずっとありました。

 父も母もいなくなった今細かいことはもう忘れてしまいましたが、父が危なそうだとなった頃に母は10年以上受診をしないまま父が薬だけを受け取りにいっていたことが判明、どうしてそれで来ることができていたのかわかりませんが、弟の車で病院の相談室を訪ねました。病院名は忘れました。私と同じ資格をもっている方に会いました。たしか本当はダメなところを良心で薬だけだしてきたみたいなことを言われました。介護サービスの利用申請をするには主治医の診断書が必要なのでドクターに書いてくれないかと話したところ、母を連れてきてくれさえすればの繰り返しでした。母は病院にいくことを頑なに拒んで動こうとしなかったので困っているから相談に来たのだと話しても、往診はできない、本人を連れてきてもらわないと書けないの一点張りでした。そりゃあそうですよ、たしかにそうです。個人医院ではないのでどうすることもできませんでした。困って地域包括支援センターと保健師に相談したところ、近隣で唯一往診しているという〇△クリニックを紹介されました。他に選択肢はありませんでした。HPをみるとドクターが自費出版した本を無料でわけているとあるので早速取り寄せました。当然いいことしか書かれていなかったわけですが他にないのだからすがる思いでした。父が亡くなる数時間前はじめて弟と〇△クリニックを訪れました。温和な印象のドクターで往診をしてくれることになりました。父が亡くなって葬儀をすませた翌日か翌々日ぐらいだったと思います。はじめて往診にきてもらいました。母は見事に拒絶反応を示しましたが四週間ごとに往診してこれまでと同じ薬を出してもらえることになりました。主治医として診断書も書いてもらえました。冷静に考えれば文書料入ってくるんだし商売よね、っていうことなんですがその時は心からありがたいと思いました。その後私は母を施設にいれた方がいいのではないかと一人で勝手に真剣に悩み、弟には怒られ、〇△クリニックに相談しようとしたらドクターに「生活のことまで関われない、かんべんしてくださいよ」って言われました。私ばかみたいにドクターに手紙まで書いたりしました。精神科のドクターなんだから繊細な心の持ち主に違いないなど思っていたのです、今振り返れば自分何をしていたのだろうっていう感じですがその時は真剣でした。この人大丈夫なのかなあ?っていう方に何人もあったので今はそんなこと全く思いませんがなにも知らなかった私はそう思っていました。長くなりましたがこんなことがあったことを思い出しました。父が亡くなって一年半後に母も逝ってしまったことであっけなく終わりはきました。それから7年の時を経て、〇△クリニックはひどいところだと昨日わかったことでやっとひとつ何かが終わった感です。

 気持ちを持ち直して来週応募書類を書きますがあとは断捨離、これからどこに流れていけばいいのか今はわかりません。また都心に戻ろうかなという気持ちも頭をかすめますが引き払うのにお金がかかったし今すぐにまた動くことはできません。また動けるように、大量の荷物を少しでも減らしたい、遺品を片付けていきたい一心です。とりつかれたようにやっています。明日ネットから依頼した古本の出張買取。引っ越し用の段ボールに四箱となりました。父が30年間一度も開いていなかった思われる大判の世界名画全集。ルーヴル美術館の絵はルーヴル美術館でみるのが一番いいので全部処分したいです。編集に井上靖さん、画家評に司馬遼太郎さん、松本清張さん、江藤淳さん、渡辺淳一さんなどそうそうたる方々のお名前。妹が遺した今も人気を誇るアニメの本はきれいなまま。少しでも値段がつくといいですがどうでしょうか。

 昨日と今日、久しぶりの息抜き。荷物整理は家でしかできないし、外に出ればお金がかかりますが誰にも会わないまま家にずっといると気持ちがどんどん追い詰められてくるのでよくないですね。2日連続で眠剤。先週も2日連続でたよりました。2時を過ぎても寝つけないと頼らざるを得ません。すごく喉がかわくし口の中が気持ち悪くってつらいです。今夜はたよらずに眠れますように・・・。

 コンサートは楽しかったです。それはまた別に。

 とりとめのない長文、失礼しました。

 前回美容院に行ってから一か月、前髪が伸びてきたし白髪がまたみえてきたので美容院いかねば・・・。

 
 

 

星組『霧深きエルベのほとり』『エストレージャス』_二度目の観劇でした(7)

2019年03月20日 23時12分18秒 | 宝塚
第14場 リューネブルクの白樺の道
     -カールとアンゼリカ-

アンゼリカ「カール」

カール「・・・(去ろうとする)」

アンゼリカ「待って、お話があるの」

カール「アンゼリカさんが俺に何の用だい。旦那はどうした」

アンゼリカ「主人には、忘れ物をしたと嘘をついてもどってきました」

カール「はん、相変わらずひどい女だねえ、アンゼリカさんはよう」

アンゼリカ「真面目に聞いて」

カール「俺あいつだって真面目だい、俺あいつだって真面目に惚れて、真面目に振られて、真面目に泣いてらあな。ヘラヘラと笑いながらね」

アンゼリカ「マルギットはどうなすったの?」

カール「振ってきたよ。捨ててきたんだ。俺、生まれて初めて、女を捨ててね」

アンゼリカ「それは本心なの?」

カール「アンゼリカ、なぜ放っといてくれねえんだ!いつもの俺なら、何を言われてもヘラヘラと笑ってらあな。だが今夜の俺は、あんまりからかわれると、悲しくなるんだよ」

アンゼリカ「カール、私があなたを裏切ってお嫁にいったのはね」

カール「知ってるよ!お前の家が貧乏だから、お前の親は金持ちの家にやりたかったんだい!俺あほんとうは怒っちゃいねえ、気にするなよ」

アンゼリカ「カール、ごめんなさい」

カール「おい、旦那が来る。俺あ行くぜ」

 カールは本舞台の祭の群衆の間へ。
 花道をロンバルトがやって来る。

アンゼリカ「あなた」

ロンバルト「忘れ物は見つかったのかね」

アンゼリカ「ええ、シガレットケース」

ロンバルト「よかった。さあ、いつものレストランで食事をしようね」

アンゼリカ「ええ」

 二人は花道を去る。
 踊りの人波に紛れて二人を見ていたカールは、去ってゆくアンゼリカに語りかける。
 装置は夜の埠頭に変化している。

カール「アンゼリカ、気にするなよ。お前が幸福(しあわせ)ならそれでいいんだ。だからよう、旦那に可愛がってもらって、幸福(しあわせ)に暮らせよ。俺は、もういちど海に出るかな。俺あやっぱり水夫がいちばん性に合っているなあ」

 港では酔っ払った様子の市民たちが羽目を外して踊っている。

カール「ビア祭も明日には終わりか。よーし、俺も踊ろう」

******************

 哀しいけれどあったかい物語にまた帰りたくなる夜。繊細な魂と魂が触れ合う秀逸な場面でした。こうして脚本を読んでいると、舞台の上の役者さんたちの声が脳内によみがえってきて涙がにじます。札束を握りしめながらマルギットに愛想をつかしたふりをしてシュラック家の結婚披露パーティーを飛び出してきたカールの独白が終わったあとの場面。涙をためたまま銀橋で紅カールがおちゃらけながら泣いて昔の恋人のアンゼリカには本心をみせます。泣きながら笑って、笑いながら泣いて、いたいたしいまでにどこまでもピエロで心優しいカール。紅ゆずるさんがカールそのものでしかありませんでした。音波みのりさんもアンゼリカも秀逸。パーティー会場でひとことも発しないのに細い細いドレス姿の背中と美しい肩甲骨で偶然再会したカールが心配でたまらないことを全身で表現していました。そのあと心配で追いかけてきてからの銀橋。アンゼリカの生まれはどんな人なのか、カールとアンゼリカの過去にどんなことがあったのか具体的なことは何も描かれていないので観客の想像力に委ねられます。それでいて二人の関係性はきっといいものだったんだろうなあと安心感をもつことができます。輝咲玲央さんのロンバルトも秀逸。アンゼリカとの結婚は家同士が決めたことだったのだろうと想像できますが、アンゼリカが嘘をついているとわかっていながらわからないふりをして全部を受けとめる。「いつもの・・・」の響きがとてつもなく静かで優しく心からアンゼリカを大事に思っているのだろうなということが伝わってきます。その様子を見て安心するカール。どこまでも、どこまでも繊細な場面でした。

 シュラック家の結婚披露パーティーの場面で台詞はありませんがすごく綺麗な横顔が印象的だったマインラート家のお嬢様。どなたかなと気になったら、星蘭ひとみさん。「ル・サンク」をみると、タキシード姿が似合っているのに慣れないものを着させられている感満載で言葉使いの粗いカールを見下す表情をしています。紅カールにひっぱられて、台詞がなくても舞台上の一人一人が存在感をもって立っている星組、すごい。
 

 SNSのレポをみていると紅カールも綺咲マルギットもすごいことになっているようで24日の東京宝塚劇場千穐楽はどうなってしまうのか。ライブビューイングのカメラワークがどうかいいものでありますように・・・。

 明日は一路真輝さんのコンサート。日曜日はライブビューイング。具体的にはどうしたらいいのか今はわかりませんが、気持ちを持ち直してまたできることからやっていきます。ほんの少しずつ、ほんの少しずつ・・・。

 7年の時を経てようやく自分の中でひとつ何かが終わった感のある夜でした。

歌劇の殿堂より。

「娑婆はええなあ、この世は極楽、極楽。
 生きてさえいればどんな苦労も乗り越えられる。いっぺん死んだきぃになってやってみなはれ」(康次郎)



















月組『カンパニー』『BADDY』東京宝塚劇場千穐楽ライヴビューイング- 思い出し日記(1)

2019年03月19日 22時08分04秒 | 宝塚
2018年5月6日(日):きびしい一週間が始まります

月組、東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイング、宝塚らしくない二本立てで新しい挑戦、色々と大変だったと思いますが、こうして冒険できるだけの底力があるのはすごいことだと思いました。上田先生初のショー作品、なんかよくわかんなかったですが面白かったです。フィナーレでもっていたのは扇子、それが煙草へと変身する仕掛けになっているの、珠城りょうさんがこうだよって銀橋でみせてくれていて、なんていい人なんだろうって。芝居の朴訥なサラリーマンが似合いすぎていたし、こんな男の子が会社で隣の席に座っていたら、気持ち楽だろうなって思いながらみていました。愛希れいかさんは芝居もショーも可愛さ爆発。スタイルよくって足にきれいに筋肉がついているし、素敵でした。ショーは上田先生の、彼女への讃歌なんだろうなって感じました。副組長の綾月せりさん卒業で2001年宙組のベルばらで初舞台を踏んだ87期生が全員卒業となったそうな。お花わたしは龍真咲さんでした。時の流れを深く感じました。退団者6名、人生の前半期を宝塚でいのちがけで過ごし、それぞれに納得のタイミングでの退団だったかな。こうして受け継がれ、回っていくんだなあと。この公演のことはまた何か月もかけて思い出していきたいと思います。いい加減休む準備せねば。

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TCAPRESS2019年3月号の表紙、一年前の月組公演『BODDY』、現在上演中の星組『霧深きエルベのほとり』、どちらも上田久美子先生演出の舞台。『BODDY』は100年以上の歴史をもつ宝塚において初の女性演出家によるショー作品として話題になりました。ここでジェンダーを持ち込むと話が終わらなくなるのでやめておきますが、ショー作品は初なのかと驚きました。植田景子先生が宝塚初の女性演出助手となったのが1993年。現在は小柳菜穂子先生も活躍されています。私的には、ウエクミ先生、好き嫌いは人によってあるかもしれませんが観客を唸らせる、ある意味宝塚らしくない、同時にすごく宝塚らしい、完全オリジナル作品を生み出せる貴重な、次の世代を担っていく方だと思っています。正直男性の若手演出家が失速気味になることもあるなか、『金色の砂漠』『星逢一夜』『神々の土地』とライブビューイングですが観劇して、ウエクミ先生はものすごい熱量をもって安定的にいい脚本を書ける方だという安心感と大いなる期待をもっています。いずれの作品も上演中の『霧深きエルベのほとり』も役者の魂を揺さぶるような演技を引き出す演出。これでもかこれでもかといわんばかりに、それぞれ役者がもつ個性あふれるエネルギーを最大限に引き出し、宝塚に新しい風を吹かせてくれる方だという期待をもっています。そんなウエクミ先生演出の『BODDY』。

2018年5月6日東京宝塚劇場千穐楽ライヴビューイングを観劇しました。

一度みただけではなんだかよくわかりませんでしたが、最初から最後までストーリーのあるショーでした。どんなストーリーだったか振り返ると、

「ここは地球首都TAKARAZUKA-CITY。世界統一され、戦争も犯罪も全ての悪が鎮圧されたピースフルプラネット“地球”に、月から放浪の大悪党バッディが乗り込んでくる。バッディは超クールでホットなヘビースモーカー。しかし地球は全大陸禁煙。
束縛を嫌うバッディは手下たちを率い、つまらない世の中を面白くするためにあらゆる悪事を働くことにする。
彼の最終目標はタカラヅカ・ビッグシアターバンクに眠る惑星予算を盗みだすこと。
しかし、万能の女捜査官グッディの追撃が、バッディを追いつめる-」
(公演プログラムより)


バッディ(珠城りょうさん)とグッディ(愛希れいかさん)の対決。フィナーレのデュエットダンスは真っ赤に染まった大階段で二人が対決、最後は爆発が起こって二人で朽ち果てるというものでした。『金色の砂漠』で真っ白な衣装をつけたギィとタルハーミネがぴったりと体を寄せあい大階段をのぼって昇天していった場面が思い出されます。エルベではオープニングのビア祭りで大階段。こうして振り返ると実にウエクミ先生らしい演出。その前のグッディの怒りのロケットも忘れられません。ライヴビューイングのカメラが愛希れいかさんの怒りの表情を見事に映し出してくれていました。退団されましたが、ちゃぴさんの、どこにも無駄のない等身バランスの素晴らしさときれいに筋肉がついた美脚が素敵でした。蘭ちゃんの美脚まぶしいですがちゃぴさんもまぶしいほどでした。

あと断片的に思い出されるのは、美しく妖艶な美弥るりかさんのスィートハート。月城かなとさんのメガネをかけたポッキー巡査。この公演で退団された早乙女わかばさんのとてつもない美しさも印象的でした(こんなきれいな方がトップ娘役にならなかったの?って思ってしまいました。退団後インスタとブログもやっていらっしゃり今さらなのですが)。最後に大階段をおりてくるとき、大羽根背負ったバッディがサングラスをかけているのが話題になりましたが、度肝を抜いた舞台。タカラジェンヌがオイスターのかぶりものをする作品はあとにも先にもないかもしれません。サングラスをかけて煙草を吸うバッディが悪態をつきながらもどこか悪になりきれていないような感じが珠城りょうさんらしくていいなと思いました。

 
2018年4月14日(土)の東京宝塚劇場。








(舞台写真はツイッターからの拾い画です。)















カウンセリングスクールのつぶやきメモより(15)

2019年03月19日 19時16分57秒 | 祈り
「2004年11月26日

1.この授業を受けて、感じたこと、考えたことを自由に書いて下さい。

今まで授業を受けてきた中では、全く認識していなかった、大切なことをおしえていただきました。」

「2004年12月3日

1.この授業を受けて、感じたこと、考えたことを自由に書いて下さい。

職業としてのカウンセラーのあり方には、多くの問題があることをおしえていただきました。現実には様々な場面があると思います。ケースバイケースで適切な判断が冷静にできることはとても大切です。
参考文献で勉強したいと思います。」


 大会社で二人分労働しながら、自分にはほかにやるべきことがあるのでないかという想いがふつふつとしていた日々。前職のウルトラスーパーハードな業務で現実の凄まじさにへたり想いは打ち砕かれましたが、せっかく出会った入口。自分で自分の芽を摘み取ってしまいたくないという気持ちから、二通目の応募先が連絡のあったとおり、要件を見直して昨日から再度募集をかけている業務に書類を送ろうと思います。時間が緩いので一時間に一本のバスを逃したら全てが終わるという朝のプレッシャーが少し軽くなります。当初の募集では今度の土曜日に面接が設定されていましたがこのタイミングで募集をかけるということはこれはという人がいなかったので面接の前に全部断ったっていうことなんでしょうかね。よくわかりませんが当初よりも範囲を広げて応募しやすくなっています。私のような人がいるとわかったからか、フォームの職歴の行数もずいぶんと増やしています。小論文の課題は同じなので使いまわし、申込書をもう一度書けば書類はできあがります。面接にいくかどうかはその後で考えることにします。もしご縁があれば、昨日こちらから確認しなければ二週間過ぎても何の連絡もなかった一通目の応募先の人たちと一緒に仕事をすることになるわけなのでそれはどうなんだろうと思います。気がかりはそれと車。運転免許を持っているかいないかときかれれば持っている、ただしペーパードライバー、それを書いてどうなのか。仕事内容の概要は電話があったときに聞きました。外に出る必要があるときなにがなんでも車でないとダメなのか。そこまで車の数をもっているのか。みんな外に出る時は車だけなのか。本数少ないけどバスもあるはずですがダメなのかな。車の方が早いことはわかりますけどね。そこでアウトならほどなくまた家を出ないと私次の居場所を見つけることができません。家賃を払っていた時ほどの逼迫感はありませんが持ち出せるものには限りがあるので、チケット代や保険料、おこづかいは稼がなければならないし、私は仕事ができるはずなので時間をあけすぎるのはよくないという気持ち。社会復帰できなくなるの、恐ろしいです。もう少し家が駅に近くても、どのみち車社会ではどうにもならないとわかってきた田舎暮らし。

 今すぐの話ではないけれどすごく遠くでもない親が立てた家を処分するしかないという現実。時間がある今取りつかれたように断捨離していますが遺品の量半端なくって最後はどうしてもいうものだけ取って業者に処分を頼むことになるかなあ。心が傷むのですこしずつ自分の手で処分しようとしていますが人生の時間の無駄使いですかね。実家を処分したという女性が家を一件処分するのは大変なことだと話していたのを思い出します。その方は結婚していますが実に一人いたお姉さんが認知症になって施設に入り親の立てた家を処分されました。モノを捨てるというのはほんとに大変なエネルギーが要ります。この世からいなくなる前に処分しておいてくれたらよかったですが三人ともどっさり遺していきました。あとに残った者の役目。洋裁学校に通っていた妹が遺した大量のハギレ。都心にいたときは家から持ち出してコミュニティハウスに少し寄付したりしていたのですがド田舎ではそんなところもなくゴミに出すしかないなあと思っています。生かしてくれるところがないものかと思いますが無理でしょう。作った洋服もまだまだあって、心が傷みますが少しずつ処分。

 先週の月曜日にライヴビューイングで出かけて以来、一週間電車に乗ることのない生活。広い家ありがたいなれど、ずっといるのはよくないので、ド田舎でもう行き尽くしてはいるしパソコンやる人なんか他にいなくてもまた自転車でカフェに来ています。少し本を読む時間も必要・・・。

 一年前の月組『BODDY』、思い出し日記を書こうとしています。


『アンネの青春ノート』より_なぜ?

2019年03月18日 22時49分31秒 | 本あれこれ
「「なぜ」という小さなことば、それは、わたしがまだとても幼くて、ろくに話もできなかったころから、それは強い響きをもっていて、わたしをとらえて離しませんでした。幼い子は、大げさにいえば、この宇宙に存在するすべての物が珍しいので、なんでも質問することは、よく知られていることです。

 わたしの場合、まさにそうだったのですが、わたしは、小学生になっても、質問を受けた人が答えられること、答えられないことを問わず、ありとあらゆることを聞かずにじっとしてはいられなかったのです。

 答えること自体は、たいしてわずらわしいことではなかったでしょうが、わたしの両親は、わたしの質問をただの一度も無視したり、はぐらかしたりすることはありませんでした。一つ一つに、それはていねいに、わかりやすく答えてくれました。しかし、そのうちにわたしは、見知らぬ人までいじめだすようになりました。が、他人は、少数の例外をのぞいて、「子どもの果てしない質問」をがまんできません。

 わたしとて、それが受ける人にとって迷惑であることを知らなかったわけではありませんが、「知るためには聞かなければならない」「求めよ、さらば与えられん」という金言を、自分につごうのいいように解釈しては、しつこく質問を続けたのです。でも、もしこれがほんとうだったら、わたしはとっくに、しかるべき大学の教授にでもなっていたはずですがー

 しかし、小学校の高学年になったある日、わたしは、どんな質問をだれにもでしていいわけではないことと、だれにも答えられない「なぜ」があることを知りました。そのとき以来、わたしは、頭に浮かんだ質問を人に発するまえに、とくにそれが技術的なことでなく精神的なことの場合は、自分自身でじっくりと考えることにしているのです。その結果、わたしは、それから数年後に、歴史的な大発見に到達することができたのです。すなわち、他の人に聞いてはいけない質問は、自分自身で必ず解くことができる、ということです。

 この発見について、すこし突っ込んでお話ししてみましょう。もしもみんなが、「なぜ」という質問が頭に浮かんだら、それを口にだすまえに、まず自問してみたら、どういうことになるでしょうか?

 きっと、今よりももっともっと正直で、ずっとずっと慎み深い、いい人たちになれると思うのです。なぜなら、正直に善良になるいちばんいい方法は、たえず自分をよくみつめ、チェックしつづけることだからです。

 みんなにとってもっともいやなことは、自分の欠点や悪い面、他人にいやがられるくせ(これはだれだって持っています)を、自分で認めることです。子どもばかりでなく、おとなだってそうです-この点について両者の間になんの相違もありません。

 良識派といわれる人たちの多くは、子どもを教育するのは親の責任だ、親は子どもの欠点や、人に好かれない性質を発見したら、びしびし叱り、逆に良い方向性は極力伸ばすように、親が手を貸してやらなければいけないと考えています。でも、これは明らかに間違っています。子どもたちは、小さいころから自分自身をみがくべきで、進んで真の個性を示さなくてはなりません。

 具体的にいえば、なぜ、わたしは仲間はずれにされるのかしら?男の子に人気ないのかしら?なぜわたしは期末試験でよい点が取れないのかしら?と反省し、その欠点を矯正する努力をすべきなのです。
 
 こんなことをいえば、多くの人たちは、十代の少女がなにを生意気なことをと、一笑に付されるかもしれませんが、わたしは、それほど大きく的をはずれてはいないと信じています。

 どんな小さな子どもでも、ひとりの人間であり、良心もあり、それなりに正直に扱われて育てられるべきです。小さな子どもといえども、なにか道にはずれたことをしでかした場合、もっとも厳しい方法で、つまり自身の良心で、すでに自分を罰して苦しんでいるのです。

 それなのに世の両親たちは、14、5歳になった子どもが、自分たちの常識からすこしでもはずれたことをしでかすと、
「なぜ、こんなばかなことをしでかしたんだ」といってはげしく叱って、はなはだしい親にいたっては、おこずかいを減額したり、おしりをぶったりします。こんなことは百害あって一利なしです。子どもはただただ反発してしまうだけでしょう。そこで両親には、表題のことばが必要になってきます。
「なぜ、あんなことをしでかしたんだ」と、本人を詰問するまえに、「なぜ、こういうことになったんだろう?」と、自分でよく考え、しかるべき後に、本人と冷静に、合理的に話し合うべきだと思います。そして、さりげなく子どもに間違いを示すべきです。こういう方法をとれば、重い閥などよりも、ずっと良い結果が得られるでしょう。体罰なんか、こっけいでしかありません。
 
 なにやら知ったかぶりに、くどくど述べてしまいました。でも、要するにわたしが言いたかったのは、どの子どもの生活においても、「なぜ」という小さなことばが、それは大きな役割を演じている事実です。

「知るためには聞かなければならない」という金言は、たしかに真実であります。そして、とくに子どもの場合、「なぜ」ということばが浮かんだら、まず自分でじっくりと考えるように適切に指導されれば、金言は、さらにその重みと輝きをますことになるでしょう。考えることによって向上した人は多くても、より悪くなった人はひとりもないと思うのです。」

(アンネ・フランク『アンネの青春ノート』小学館、1978年8月20日初版より)

 

アンネの青春ノート (1978年)
アンネ・フランク
小学館

待つだけ無駄でした

2019年03月18日 15時23分55秒 | 日記
 一通目も二通目も結局そもそも応募要件となっていた資格をもっていないし、ペーパードライバーだから駄目ですよ、ということでした。二通目はハロワはともかく受け付けられないとすぐに電話があったのでまだいいです。一通目は二週間待った結果ハロワを通して確認したところようやく書類選考で不採用ということのようです。紹介状出してもらう時にどちらも伝えてもらっていたはずで車の件はそれを上回るだけの経験なりがあればという話だったはずです、その資格をもっていないとできない仕事かどうか知りませんが最初に伝わっていたわけでそれが理由でそもそもやっぱりダメでしたということなのか、そこはあいまいです。知りたかったら行政文書の開示請求してくださいとのこと。そんなことをしても無駄だとしっているのでそんなことにエネルギーとお金を使ったりしません。なんかダメですね、車社会。ペーパードライバーが生きていくことはできななそうだとわかってきました。今さら悔やんでも仕方ないですが先月同じ採用試験日なら通えないとわかって書類を送った方に行けばよかったかもしれません。一応大きな地方都市なので、選択肢はずっと多いし、必ずしも車を求められません。駅まで徒歩30分でバスは一時間に一本が壁となって人生開けてこないならまた家を出ることを真剣に考えねばです。よかったら応募しなおしてくださいと連絡があった二通目のところが本当に応募要件を広げてまた募集をかけなおしたそうです。そこにまた書類を送るのか、今は気力がわきません。ひたすら取りつかれたように断捨離の日々。こんなにどっさり荷物を残して逝かれてしまうと後に残った者は大変ですね。父親が買っただけで満足したと思われる大判の名画全集も古本屋で売れなかった処分するつもり。母親が遺した本には全部日付と名前が入っているので売れないし、妹の荷物もまだまだ。家賃のひっ迫感はありませんがせっかくの経験を活かしたい、もう少し経験を積み上げたいという気持ちがあります。でも家からは通えない。また家賃で苦労するしかないのか。帰郷してから慣れない田舎暮らしにずっと気持ちは沈んでいます。心配した同級生がランチかお茶しようって声かけてくれてありがたいです。自転車で行けるところに行き尽くしました。これからどうしましょう。それにしても、ぜひ力を貸してほしいとか、私の話が先方にいっているみたいだとかなんだったのか、力が抜けました。

星組『霧深きエルベのほとり』『エストレージャス』_二度目の観劇でした(6)

2019年03月17日 23時25分14秒 | 宝塚
 哀しい物語なのに思い出すとなぜか温かい気持ちになれる舞台。宝塚で他にも書きたいこと、勝手に書けていないと思うことがあるのですがエルベの余韻がとまりません。カールが札束でマルギットの背中を叩くシーン、カールがシュラック家を出て銀橋でアンゼリカと再会するシーン、ヴェロニカの膝の上で泣くシーン、どれもカールの言葉ひとつひとつから魂がこぼれ落ちてくるような、命がけの言葉だったことが忘れられません。出航しようとするフランクフルト号の甲板でカールが歌うラストシーン、カールにはマルギットとフロリアンの声がきこえないし姿もみえない、二人がきていることを知らないまま旅立っていることを知り、カールの微笑みを思い出すとまた一段と余韻が深いです。気がつけば早いもので東京宝塚劇場の千穐楽ライブビューイングまであと一週間となりました。自分、ここまで居場所が見つけられないままとは思ってなかった、車社会の中でペーパードライバーの居場所はないってわかっていなかった、という話はおいておいて・・・。


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第2場 ハンブルクの酒場フロースト-出会い

カール『ビア祭を踊ろうよ
 若い体弾ませ
 高い空に響かせ
 夢のひとときに
 ブラボー』
 音楽は一旦終わる。

ミリー「次は誰だい」

カール「どうぞ」

 カールがマルギットを促す。

マルギット『秋の実り
 共に さあ祝いて飲もう 旨酒を
 秋の実り
 共に さあ祝いて踊ろう』

 マルギットはおっかなびっくり歌い出すが、やがて楽しくなる。

全員『ビア祭りを歌おうよ
 高い空に響かせ
 ビア祭りを踊ろうよ
 若い体弾ませ
 ビア祭のグラスから
 恋の言葉こぼれて
 ビア祭の泡のように
 恋が心溢れる』

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「ル・サンク」の脚本を読めば読むほど、言葉が美しく、説明台詞がなく多くは語られていない言葉の裏からそれぞれの人間像と舞台では描かれていない場面が立ち現れてくる巧さにうなります。読みこむほどに味わい深く、新しい発見があります。言葉の厚みが素晴らしい脚本だと思います。

 このマルギットがカールに促されてだんだん元気よく歌っていく場面の、マルギットの声がすごく好きだなあと思い出しています。ブログでは声を伝えられないの残念ですが地声は低めの綺咲愛里さんの、ノッテくる歌声が、技術的には上手くないのかもしれませんが、今まで自分が知らなかった世界との出会いに戸惑いを感じながらもときめきを感じて悦びを抑えきれないマルギットそのものでしかなく心地よかったです。

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・タカラヅカ」。開幕を告げる紅ゆずるさんのアナウンス、この声がカールで「ワンス~」が紅さんの声にすごくあっていて現代では有り得ないおとぎ話の世界へと観客は誘われていっているのだと二度目に観劇したとき思いました。舞台の灯りがつくとひとり銀橋に紅さんが立っていて歌う「鴎の歌」、これがまた紅さんの声にすごく合うなあと思いました。1963年初演の作品の言葉は古くさいのに、美しく違和感なく、平成最後の年の舞台に輝きをもって美しく昇華されています。紅カールと紅カール率いる星組のマジックとしか言いようがありません。紅ゆずるさんのタカラジェンヌとしての真髄を最大限に引き出した上田久美子先生の手腕に感服。男役にも娘役にも背中で演技をさせるウエクミマジックの勝利。『金色の砂漠』『星逢一夜』『神々の土地』・・・、魂を揺さぶるような作品を魅せてくれたウエクミ先生ならではの演出。SNSをみていると、今の星組にあわせて新たに加えられたキャラクターもあるようですが全く違和感なく溶け込んでいます。
 
 他にも書きたいことあって、有紗瞳さん演じるマルギットの妹シュザンヌが残酷なまでに切ない役だなあとか、シュラック家の結婚披露のパーティでピアノを弾いていたエドガー役のジェンヌさん、どなたかなと気になったら漣レイラさん。愛里さん、礼真琴さんと同じく本当にピアノを弾いていらっしゃってジェンヌさんってすごい。ショー『エストレージャス』ではソロで素晴らしいダンスを魅せてくれた男役さん。フランクフルト号の水夫たちが魚釣りをしている場面でオケピットに餌をつけてもらっている?魚をつけてもらっている?ようですが一階席だとみえなかったのが残念。花道でわちゃわちゃとしているところは私の席からばっちりみえて、みなさん水夫がお似合いだし、世界観をうまく醸し出しています。水夫と上流階級という二つの世界が舞台に同居しているのに違和感がない。客席降りがある大捜索の場面の最後に、偽カールと偽マルギットが登場するのも、私の席からだと遠くてあまりわからなかったのも残念。あとで英真なおきさんと美稀千種さんとわかり、客席の笑いを誘う間がさすがだあと思いました。

 トップコンビの最後のデュエットダンスでカールとマルギットが再会して観客はこの上もなく幸せな気持ちになるので、この二本立ては奇跡の出会い。お芝居では昇華できなかった気持ちがショーで昇華できるのが宝塚の素敵なところ。フロリアンのことも書きたいのになかなかたどりつきません。


 『鎌足』のチケット、梅芸の一般発売、本日10時からでした。友の会もぴあも先行抽選で外れたのでトライしてみました。10時1分にはすべて完売。直後にチケット流通センターのサイトをみると600枚以上にチケットが定価の倍以上で売られています。これが転売目的でなくてなんなのか、実効性のない法律なんて無意味や。しかも取引中とか表示されているものもあって、買っちゃだめだよ。一枚でも多く本当に観劇したい人の手に渡りますように・・・。私も観たい。ライブビューイングやってくれないかなあ。

歌劇の殿堂から。
(すでにのせているものとダブっているかもしれません。チャンネルにまとめています。)









































ライブビューイングのカメラワーク、台湾公演の時のように星組と作品をよくわかっているであろうカメラマンさんによる映像でありますように。比べちゃいけないけど『CASANOVA』とちがって繊細な繊細な魂の芝居。カメラワークが素晴らしいものでありますように・・・。

やっと『モネ展』に行ってきました(4)

2019年03月17日 16時46分46秒 | 美術館めぐり


クロード・モネ《セーヌ河の日没、冬》
1880年 油彩、キャンヴァス ポーラ美術館

「1878年にパリから転居したヴェトゥイユの地で、モネは氷結したセーヌ河の光景に想像力を刺激され、大気、光線、水面の表情が刻々と変化するさまを異なる時間帯で描き分けました。のちの「連作」の先駆けとなった作品のひとつです。」(公式HPより)

「グループ展(のちに印象派と呼ばれる画家たちの展覧会)を始めたばかりのモネに、(時代を代表する「巨匠」となる)未来のことなどわかるはずもない。好転しない(かんばしくない)世評に、彼は苛立つばかりだ。まして彼には、家族がある。パリに出てまもなく知り合い、以来長く生活をともにする女性カミーユと、まだ幼い二人の息子たちである。そのモネにとって、作品が売れないということは一家の困窮を意味する。大都会(パリ)での一家の生活は立ち行かず、街の喧騒にもなじめないモネはやがてパリを出ることを決意。一家はセーヌ川流域を転々とする。パリからアルジャントゥイユへ、そしてヴェトゥイユへ。
 しかもこのときモネは、複雑な人間関係の渦中にあった。次男を産んだあとしばらく病床になったカミーユは、1879年、ヴェトゥイユの家で32年間の短い生涯を閉じる。ところがモネはそれと前後して、一人の別の女性との関係を深めてゆくのである。彼女の名はアリス・オシュデ。モネの絵画を購入してくれた実業家エルネイスト・オシュデの妻である。しかしアリスとその子どもたちは当時、夫の事業が破綻したため、モネ一家と共同生活を送っていた。病床のカミーユの看護には、アリス・オシュデもあたっている。」
(小学館ウィークリーブック西洋絵画の巨匠「モネ」より)


絶望の中に希望を見いだそうとするモネが立ち現れてくるような作品。
氷の塊はのちの睡蓮を思わせるという学芸員の方のお話でした。



クロード・モネ《霧の中の太陽》
1904年 油彩、キャンヴァス 個人蔵

「モネは1899年から数年にわたり、ロンドン名物である霧に包まれたテムズ河畔の光景を繰り返し描きました。淡い色彩の重なりが生み出すヴェールに覆われたような空間表現に、印象派の筆触分割を乗り越えた画家の新境地が示されています。」(公式HPより)

《チャリング・クロス橋》《テムズ河のチャリング・クロス橋》と並ぶ、ロンドンシリーズ三部作のひとつ。三作が並べて展示されていなかったところにモネとのあらたな出会いを見つけてほしいというこの展覧会の意図がありました。

この作品だけ壁ではなく、展示室内の突起したところに展示されていて部屋の入口からはみえませんでした。なかなかに面白い展示の仕方でした。

朝のテムズ河の揺らめきが、少し遠くからみるとよくわかりました。太陽が反射しています。絵の具を混ぜるのではなくそのままキャンヴァスにのせていくことでテムズ河の揺らめきを表現したという学芸員の方のお話でした。見る位置によって見え方が違っていて不思議な感覚の作品でした。




クロード・モネ《睡蓮、水草の反映》
1914-17年 油彩、キャンヴァス ナーマッド・コレクション(モナコ)

「水面に浮かぶ睡蓮と、水辺に生い茂る草が、画面の両端から割り込んでくるように配置されています。その大胆な構図と、やや横に長くとられた画面のフォーマットは、この時期に画家が着手したオランジュリー美術館の大装飾画との関連をうかがわせます。」(公式HPより)

オランジェリー美術館の習作、「朝」の一部という学芸員の方のお話でした。

パリのオランジェリー美術館で、壁一面にひろがる睡蓮の絵に包まれた幸せなひと時を忘れることはありません。この世にいる間にもう一度行くことができるでしょうか。行けるといいな。2008年の旅、フリータイムはオルセー美術館よりもオランジェリー美術館に行って正解だったようです。