2011年5月1日(日) 雨・くもり
今日も朝方まで雨。そして寒い。午前11時から「きらく会(老人会)」総会に来賓として招待され出席した。同じ会員だが区長としての立場上の招待。招待されるとご祝儀を用意する。(自腹) このようなお付き合いが結構多い。私の町内は規約では役員はボランティアで無報酬。個人の出費が大変なので役員の各種団体総会出席は実費弁償という形で本会計から支出するように改善している。いつか規約改正をしていかなくてはならない。
「きらく会」は60歳以上入会資格があるが、勧誘してもまだまだ若いといって入会者は増えない。実際現職の人が多いので無理も無い。どこの町内でも高齢化し亡くなる方はあっても入会者が無いのが現状のようである。
このきらく会は「城西子どもを守る会」の活動や地域奉仕活動、会員の友愛活動などと活発に活動し地域には無くてはならない存在である。組織の拡充が今後の課題である。
東日本大震災では、地域の組織がしっかりしているところ、昔から冠婚葬祭など絆がしっかりしているところはまとまりもあり、復興への意気込みも感じられる。
区長として町内会を中心にして各種団体と連絡調整を図りながら地域の諸問題を解決していきたい。
~緊急時 地域の力 本物に~
「京都冬の一人旅52」 東寺五重塔内部
パンフレットより 国宝・五重塔
『初層内部』空海が嵯峨天皇から東寺を勅賜された時、塔はまだ建っていなかった。空海は、天長3年(826)東山の材木を造営に充てることを願ったが、稲荷山の神木事件などがあり、容易に捗らなかった。ようやく元慶7年に竣工したが、その後、天喜3年(1055)焼失。再建・焼失・再建を繰り返し、現在は5代目の塔にあたる。
内部は心柱を大日如来に見立て、その周囲の須弥壇上に阿閦如来(あしゅく)、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来の四仏と八大菩薩を安置している。現在は剥落しているが、四天井には金剛界曼荼羅諸尊が描かれている。外陣周り、四方の扉の内面に護法八方天が、扉の左右の柱には八大龍王が描かれ、そして周囲の壁の上段に真言八祖像、下段には蓮池が描かれている。さらに天井は折上小組格天井とされ、長押等にも全面にわたって極彩色の文様が装飾されている。
『心柱』 多くの部材で積みあがられた塔身は乾燥で収縮するが、独立した心柱はあまり収縮しない。そのためズレを直すために、元禄五年(1692)一尺五寸(約50cm)ほど心柱を切り下げたため須弥壇下の心柱の彩色が少しずれている。
今日も朝方まで雨。そして寒い。午前11時から「きらく会(老人会)」総会に来賓として招待され出席した。同じ会員だが区長としての立場上の招待。招待されるとご祝儀を用意する。(自腹) このようなお付き合いが結構多い。私の町内は規約では役員はボランティアで無報酬。個人の出費が大変なので役員の各種団体総会出席は実費弁償という形で本会計から支出するように改善している。いつか規約改正をしていかなくてはならない。
「きらく会」は60歳以上入会資格があるが、勧誘してもまだまだ若いといって入会者は増えない。実際現職の人が多いので無理も無い。どこの町内でも高齢化し亡くなる方はあっても入会者が無いのが現状のようである。
このきらく会は「城西子どもを守る会」の活動や地域奉仕活動、会員の友愛活動などと活発に活動し地域には無くてはならない存在である。組織の拡充が今後の課題である。
東日本大震災では、地域の組織がしっかりしているところ、昔から冠婚葬祭など絆がしっかりしているところはまとまりもあり、復興への意気込みも感じられる。
区長として町内会を中心にして各種団体と連絡調整を図りながら地域の諸問題を解決していきたい。
~緊急時 地域の力 本物に~
「京都冬の一人旅52」 東寺五重塔内部
パンフレットより 国宝・五重塔
『初層内部』空海が嵯峨天皇から東寺を勅賜された時、塔はまだ建っていなかった。空海は、天長3年(826)東山の材木を造営に充てることを願ったが、稲荷山の神木事件などがあり、容易に捗らなかった。ようやく元慶7年に竣工したが、その後、天喜3年(1055)焼失。再建・焼失・再建を繰り返し、現在は5代目の塔にあたる。
内部は心柱を大日如来に見立て、その周囲の須弥壇上に阿閦如来(あしゅく)、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来の四仏と八大菩薩を安置している。現在は剥落しているが、四天井には金剛界曼荼羅諸尊が描かれている。外陣周り、四方の扉の内面に護法八方天が、扉の左右の柱には八大龍王が描かれ、そして周囲の壁の上段に真言八祖像、下段には蓮池が描かれている。さらに天井は折上小組格天井とされ、長押等にも全面にわたって極彩色の文様が装飾されている。
『心柱』 多くの部材で積みあがられた塔身は乾燥で収縮するが、独立した心柱はあまり収縮しない。そのためズレを直すために、元禄五年(1692)一尺五寸(約50cm)ほど心柱を切り下げたため須弥壇下の心柱の彩色が少しずれている。