2012年5月3日(木)くもり・雨 憲法記念日
大型連休にはいろいろとやりたいことがたくさんあったが、連日の暑さとウオーキングの疲れなどから能動的に活動できなかった。ブログもアップする気力も・・・・。
今朝の福島民報に29日(日)に実施した第3回城西地区歴史探訪ウオーキングの記事が載っていた。
そこに私のことも紹介されていた。数年前は会津大学で開催されたエンジン03で「町名の由来」などを発表したことはありましたが、今回は少しばかり地元のことを調べて案内したのに歴史研究家(笑い)になっていました。
そんなわけで最近従兄弟の1周忌で大塚山墓地公園に行った時立ち寄った、大塚山古墳群のことを書いてみます。 会津に生まれ育った方はほとんどの人が知っていることですが、現存する日本最古の書物「古事記」に、「会津」という地名の起源伝承が載っている。
<崇神天皇の時代、地方の従わぬ者を服従させるため、北陸方面に大毘古命、東海・関東方面に建沼別命という親子2人の将軍を派遣した。2人はそれぞれ長い道のりを旅した後、現在の会津の地で出会った。それゆえ「相津(あいづ)」と呼ぶようになった。> この話は亡くなった母から聞いたことがある。
昭和39年(1964年)市史編纂のため会津若松市の大塚山古墳の発掘調査が行われた。昭和47年5月26日 国指定史跡となる。
その説明板には下記のようなことが記されていた。 「会津盆地の東側にある比高30メートルの独立丘陵上に造られた柄鏡後円墳で、全長24メートルの規模を有する。主軸と直交する二つの割竹型木棺が検出された。その副葬品には三角縁二神二獣鏡(青銅の鏡 国指定重要文化財)、三葉環頭太刀、直弧文を有する靭など379点が出土した。
古墳の造営は四世紀末と推定され、東北地方では最古に属する古墳に位置づけられている。この古墳の被葬者は会津盆地を治めていた首長と考えられ、その副葬品っから当時すでに、畿内の大和朝廷と密接な関わりをもっていたと推定される。」
この古墳の前にも堂ヶ作山古墳などがあった。また、大塚山古墳後、会津盆地は100年以上にわたって大型古墳が次々と築かれ、東北地方でも有数の古墳地帯となった。 このように会津は大和朝廷と深い関わりをもち、奈良・京都に劣らぬ仏教の広がりを持ち、仏都会津となっていく。鎌倉時代には奥州平泉の藤原一族の平定に功績を残した三浦半島の葦名一族 佐原十郎義連を祖とする葦名の時代となる。
わが郷土 知れば知るほど 奥深い
大型連休にはいろいろとやりたいことがたくさんあったが、連日の暑さとウオーキングの疲れなどから能動的に活動できなかった。ブログもアップする気力も・・・・。
今朝の福島民報に29日(日)に実施した第3回城西地区歴史探訪ウオーキングの記事が載っていた。
そこに私のことも紹介されていた。数年前は会津大学で開催されたエンジン03で「町名の由来」などを発表したことはありましたが、今回は少しばかり地元のことを調べて案内したのに歴史研究家(笑い)になっていました。
そんなわけで最近従兄弟の1周忌で大塚山墓地公園に行った時立ち寄った、大塚山古墳群のことを書いてみます。 会津に生まれ育った方はほとんどの人が知っていることですが、現存する日本最古の書物「古事記」に、「会津」という地名の起源伝承が載っている。
<崇神天皇の時代、地方の従わぬ者を服従させるため、北陸方面に大毘古命、東海・関東方面に建沼別命という親子2人の将軍を派遣した。2人はそれぞれ長い道のりを旅した後、現在の会津の地で出会った。それゆえ「相津(あいづ)」と呼ぶようになった。> この話は亡くなった母から聞いたことがある。
昭和39年(1964年)市史編纂のため会津若松市の大塚山古墳の発掘調査が行われた。昭和47年5月26日 国指定史跡となる。
その説明板には下記のようなことが記されていた。 「会津盆地の東側にある比高30メートルの独立丘陵上に造られた柄鏡後円墳で、全長24メートルの規模を有する。主軸と直交する二つの割竹型木棺が検出された。その副葬品には三角縁二神二獣鏡(青銅の鏡 国指定重要文化財)、三葉環頭太刀、直弧文を有する靭など379点が出土した。
古墳の造営は四世紀末と推定され、東北地方では最古に属する古墳に位置づけられている。この古墳の被葬者は会津盆地を治めていた首長と考えられ、その副葬品っから当時すでに、畿内の大和朝廷と密接な関わりをもっていたと推定される。」
この古墳の前にも堂ヶ作山古墳などがあった。また、大塚山古墳後、会津盆地は100年以上にわたって大型古墳が次々と築かれ、東北地方でも有数の古墳地帯となった。 このように会津は大和朝廷と深い関わりをもち、奈良・京都に劣らぬ仏教の広がりを持ち、仏都会津となっていく。鎌倉時代には奥州平泉の藤原一族の平定に功績を残した三浦半島の葦名一族 佐原十郎義連を祖とする葦名の時代となる。
わが郷土 知れば知るほど 奥深い