会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

夏野菜植え付け

2012-05-16 19:23:05 | 家庭菜園
2012年5月16日(水)晴れ
 晩秋か春先に畑を耕しておけば草もあまり生えずに畝つくりなどが楽なのにといつも反省している。懇意にしている種苗店から、夏野菜の苗は例年通り15日頃取りに来てくださいの電話を10日前にもらってから、時間を見つけてお天気の良い日も悪い日も夏野菜植え付けのための畑づくりに精をだした。
 昨日でやっと苗を植えつける畝がほぼできた。今年は苦土石灰で土を中和し、畝の真ん中を深く掘り有機堆肥、鶏糞、化成肥料などを元肥として入れた。  また、苗の生育を図り、草が生えないように黒いビニールをもちいて(マルチ)で植え付けをしてみる。  
 豊齢研ITサロン会津のパソコンの授業を終えて帰宅。すぐに作業着に着替えって夏野菜苗の植え付けをする。  今回は美男なす10本、真仙長なす5本、ホーム桃太郎2本、ミニトマトアイコ・カナリベール各1本、京波ピーマン、フルーピーレッドなどの苗だけ。今後は、豆類や葉物野菜など種蒔していこうと思う。


随分長い間 くきたちは食べた。会津の伝統野菜荒久田の茎たちは種を採るため1株残した。また、ちりめんくきたちはもうしばらく収穫できそうなので1畝残した。絹さやえんどうはようやく白い花が咲きだした。間もなく収穫できそうである。

買えばよい 買わなくてもよい 夏野菜




国営ひたち海浜公園

2012-05-13 22:37:55 | Weblog
2012年5月13日(日)晴れ 
 
 9日(水)に豊齢研ITサロン会津の春の野外研修があった。
今年は茨城県の国営ひたち海浜公園へでかけた。片道3時間かかるので個人ではなかなかでかけられない。恒例の行事なので43名の参加。
 午前10時半西口ゲートから入場。すぐに集合写真を撮り、午後1時50分までそれぞれに散策することにした。 案内マップをみると西口エリア、プレージャーガーデンエリア、南口エリア、砂丘エリア、草原エリア、みはらしエリア、樹林エリアがあり広い公園でどのように見て回ったらよいか迷ってしまった。  

そこで園内周遊1日券(乗り降り自由)を買いシーサイドレインに乗って友人数人と周遊することにした。たまごの森のチューリップは花が終わっていた。中央フラワーガーッデンのポピーはまだ咲いていない。車窓から観覧車や遊具、草原などを眺め公園の説明などを聞いた。、南口赤のゲートから海浜口・風のゲートまでは砂丘と海・林などがあったがくもり空だったので人影もなく寒々としていた。夏休みなどはおおいに賑わうゾーンかもしれない。ようやく公園のメーンみはらしエリアに着いた。


 ここで下車。紫の小さな花ネモフィラが群生している標高58mのみはらしの丘へ上る。数日前ひょうが降って花が痛んだといっていたがそれほどでもなく美しく咲いていた。 眼下にはネモフィラ・菜の花畑、古民家、大草原の広場と観覧車など広大な眺めはすばらしい。  この広場で昼食をとり周辺を散策してからシーサイドレインに乗車して水のステージのある西口・翼のゲートに戻った。約束の時間まで全員戻り公園を後にした。  
国営ひたち海浜公園


=参考までに=  国営公園は、岐阜・愛知・三重で1ヶ所、兵庫・奈良で1ヶ所 、東京は2ヶ所あるがほとんどは1県に1つで2010年7月1日現在 全国で17ヶ所ある。    国営ひたち海浜公園は、第二次世界大戦中の旧日本軍の水戸飛行場、戦後の水戸射場爆撃場として利用されていた広大な跡地を再利用するため、国の「首都圏整備計画」の一環として整備されたものである。  1979年事業着手、1984年に工事が開始され、1991年に約70haが開業した。その後、何度も拡張を繰り返し、今に至る。  公園の総面積は350haに及んでいる。この面積は東京ディズニーランドの5倍程度の面積にあたるが、実際に公園として利用されているのは160.4ha(開業中の面積)で、全体の約46%にとどまっている(2010年11月現在)

  美しき ネモフィラの丘 口笛を 




菜の花サポート

2012-05-12 19:39:43 | 地域情報
2012年5月12日(土)くもり  
 時折陽は射すが風が吹き寒い。気温は13℃で一日中上がらない。
会津若松市菜の花フェステバル実行委員会主催行事の案内が来た。福島県地域づくり総合支援事業補助金事業の一環として実施するものである。
 地域づくりには関心もあり色々な面で協力してきていたので、今年も菜の花サポーターになった。3年目。
 第1回作業が「夏野菜植え付け作業」。会津若松市湊町笹山原の畑に集合した。 笹山営農改善組合の方がトラクターで起耕してくれていたので、畝を作り肥料をまき、ジャガイモ、茄子、ピーマンなどを手分けして植えつけた。



 19日と26日ライトアップした菜の花を鑑賞する会がある。そのため会場周辺の除草など会場整備などをする予定だったが、風が強く吹き寒かったので苗の植え付けだけで作業を終えた。  今後、菜の花畑内にトウモロコシや大豆などを蒔き、除草などをしていく予定。 見知らぬ方々と農作業を通して人間的なふれあいができることが魅力的である。    

一緒に 手足動かし 汗を拭く




花っこカフェ やせうま

2012-05-11 00:01:11 | Weblog
2012年5月10日(木)くもり 寒い寒い
 寒くて寒くてどうにもならない。まだ、仕舞っておかなかった電気炬燵や石油ストーブで暖をとりセーターなどを着た。どなとも似たりよったりの行動を取られたことでしょう。
 8日(火)にオープンした「花っこ カフェ」の活動について紹介します。
 《「何かしら思い出のおやつあっぺした!」
 「家で採れた野菜とか、豆、カボチャ、ニンジン、よもぎとか、又使い残りのパンの耳、ゆでたまご、粉もの、おから等・・・簡単にできるものない?」などとみなさんと会話はしてみたものの、何せ私自身が作ったことがないと来ている事から本当に作るとなると大変だ!何とも困り果てた次第でした。

“身近にあるものを使っておいしくて、安心できるものを作りたい。広めたい、食べさせて喜んでもらいたい” そんな思いがふくらむと同時に “今、確実に世代交代が行われている中で、祖母から母へ、そして娘・息子へ引き継がれていく暮らしの技をたくさん習っていきたい”》  

 という呼びかけに応じて当日参加者はおもいおもいのおやつと説明メモを持ち寄り展示した。そしておやつにまつわるエピソードなどを試食しながら話し合った。人気のあったのはきなこアメだったので次回一緒に作ることにした。

第1回の実習は「やせうま」つくりでした。近所に住むご婦人が講師。 「やせうま」とは手で握った形が馬に似ることから痩馬といわれている。農家などでは小昼に食べていた。草もちのようなもの。  

<材料 人数に応じて>    
あん、もち粉1:うるち粉2、よもぎ、  
<作り方>     
1.もち粉とうるち粉を水で少し固めに練る。     
2.平たいだんごにして茹でる。     
3.よもぎを茹で刻む。     
4.2と3をすり鉢などでよく混ぜる。    
 5.4を適当な平たいだんごにして間にあんを入れる。  
出来上がった「やせうま」色あいもよく香りもよく春をいっぱい運んできた。 懐かしいお袋の味がした。

やせうまに 郷愁を感じ ほろりとす




花っこカフェ オープン

2012-05-08 19:54:38 | 料理と酒
2012年5月8日(火)晴れ
 長いお付き合いをしている方がご夫婦で自宅を開放し“花っこカフェ”を開設、地域貢献と多くの方の生きがい支援などされている。 今までは講師を招いて園芸や絵手紙などを中心に活動して来た。

 ご夫婦から下記のような「2012花っこカフェ」のお誘いを受けた。
   『3年目の今年はテーマ:作って食べたい、食べさせたい、広めたい“ふるさとおやつ”に挑戦します。自然からいただく恵み、その大きな恵みは植物(畑=野菜、果物  山野ー山野草、木の実)そして花・・・・・。  植物との関わりの中で私たちは日々大きな恵みと活力をいただいています。

花っこカフェは2年間の活動を踏まえ、今年は《食》をテーマにプロジェクトをつくり活動をすすめます。  内容    ①地域の素材の味がしっかり生きている手づくりのおやつ    ②簡単でおいしくて安心なおやつ    ③昔食べていたおやつで、この頃食べられなくなったなつかしいおやつ   ○お腹も心も満たすおやつつくりとそのおやつを掘り起こして広めることは、習うおばあちゃんも、習って作る人も更に食べる人も元気にし、笑顔が生まれる。そんな心弾むたのしいひと時づくりに取り組みます。』

 地産地消、安全安心の食への関心を持っている私としては、非常に興味あるテーマであったので早速参加申込をした。 今日が開講式。会の代表ご夫婦を含めて18名。それぞれがおやつを持って集まった。  開講式のことはまた後で・・・。    

7ヶ月ぶりのゴルフ

2012-05-07 21:42:40 | ゴルフ
2012年5月7日(月)晴れ 
 体調を崩していろいろな役職を辞めた。3月に早期胃癌で入院・手術・退院。4月静養のため家にいることが多かった。気力も落ちていたのだろうかだらだらした生活が多かった。親類の者や妻からは一気になにもかも辞めてしまわないで何かできることから始めたらと勧める。友人も同じことをいう。

 各公民館主催の行事などに申し込んだのが、「参加できます」とか「抽選に外れました」とか返事が来るようになった。
 また、今まで活動していた趣味の会などの誘いもあり、5月からは体調をみながら活動を開始した。
 
今日は腰痛などで休んでいた99ナインのゴルフに参加した。羽鳥湖高原にある太平洋クラブ。24名参加。澄み切った青空。高原の爽やかな風。青々としてきた柴。白いボールを打つ。昨年10月以来のゴルフ。最高の気分。  
腰を痛めているのでスイングも力まず軽く振った。それがよかったのかドライバーで打ったボールは飛距離がでた。IN52 OUT53 計105。ハンデ32のお陰で8位。シルバーティで打っているのでニヤピンもとれた。 昼食ついいてプレーして4600円。安い。  
本当に久しぶりのゴルフ。これからは無理せず、スコアを気にせず健康に気をつけたゴルフを楽しんでいきたい。  


豪快に 飛ばすゴルフは 若いうち




農作業 アスパラガス

2012-05-06 19:30:27 | 家庭菜園
2012年5月6日(日)くもり 午後雷雨 
 今が旬のアスパラガス。根株からでる太い若茎(グリーンアスパラガス)。茹でてよし、油で炒めてよし、焼いてよしと料理方法はいくとおりもある。
 同じ品種で盛土をして栽培し茎を軟白にしたホワイトアルパラガスもあるが、私はグリーンアスパラガスが好きです。

 アスパラガスは南ヨーロッパ原産の多年草で、一度植えれば10年くらい収穫できる。
種子まきしてから収穫まで3年かかるので、株わけした苗を見つけた時は購入して順次植え替えていた。

 酸性土や多湿を嫌い、日光を好むのに何年も同じ土地に植えていた。
古い株を分けて植え替えたが、根を切ってしまったり、苔土石灰で酸性を改良していなかったので植え替えは失敗した。3株だけはなんとか根付いた。

 やっと2年目の株分けした苗をみつけたので、10本購入し植えつける。今年は収穫を見送り肥倍させて根を太くさせる。よく手入れし管理していきたい。 

大好きな グリーンアスパラ よく育て




農作業 ジャガイモ

2012-05-05 14:40:03 | 家庭菜園
2012年5月5日(土)晴れ 子どもの日
 最近の連休は外仕事をすることが多い。 ポンプ小屋に入れっぱなしだった君子ランは花が咲き終わっていた。シンピジュウームやサボテン類、金のなる木、野ボタン、オリヅルランなどはなんとか冬越し。
強い陽射しを急に充てると葉が日焼けして枯れてしまうので木陰に置いたり、ネットを被せたりした。いつも早く外へ出そうと思っているのだが、盆栽や植木類は雪囲いを外しただけで棚には置いてない。
植え替え時期にきている鉢が多い。今年も同じパターンになってしまった。

 大型店には夏野菜の苗が並んでいる。いつも注文している専門店からは苗は15日頃と言われているのでそれまでに土づくりをしておかなければならない。 古い家を壊して更地にした場所に草が生えて管理に困ったので3年前から畑にした。  野菜作りはまず土作りから始る。1年目より2年目、さらに3年目と有機質を多く入れて水はけ、保水性の肥沃さを作っておくことが大切である。  この更地も3年目。小石や廃材、壁土などがあって最初は苦労したがようやく畑らしくなった。  


少し時期的には遅いが、早生種の男爵いもを植えつける。じゃがいもは南米アンデス原産。生育適温は15~20℃。高温、低温、ともに弱い。29℃以上になるとイモを形成しなくなる。水はけのよい冷涼な肥沃地が適している。 30個ばかり植え付けた。

腰痛を 忘れて熱中 陽が沈む




ちょっと会津を2

2012-05-04 19:36:09 | 地域情報
2012年5月4日(金)くもり・雨 昭和の日
 大型連休も後半になった。何処かへでかける予定もない。混雑する道路や観光地への車の運転はあまり得意でない。 城西地区歴史探訪ウオーキングの資料の整理でもして、連休明けたら高齢者マークをつけてゆっくりとドライブでも楽しむことにする。

 
会津については、[新編会津風土記(5巻)]をはじめ[会津の歴史、続会津の歴史]、[会津若松史(12巻)]、[会津若松市史(25巻)]、[会津の歴史上下]、[目で見る会津風土記]、[やさしく書いた会津の歴史上下]など数多くの書物が出版され研究されている。 会津は歴史的にも幾多の変遷を経て現在に至っている。
 

来年度はNHKの大河ドラマで「八重の桜」が放映され全国的にも会津が注目され、観光客も多く訪れることだろう。期待したい。  下町の城西地区の史跡巡りをする人はあまりいないと思うが、葦名氏が会津に下向し城を築くまでのことがわかる稲荷神社を訪ねてみてはどうでしょうか。

会津若松市神指町幕の内の「二本木稲荷社由緒」によれば
<創紀年代は詳かではないが、口伝によれば文治五年(1189年)会津の守護佐原十郎義連は奥州平定の際源頼朝に従って平泉の役に勲功あり、その恩賞として会津を賜りこの地に来たり、油幕を張って仮の城郭としたところから村名を幕の内と名付けたと伝えれている。当時稲荷神社の側には幹囲七尋もある老槻の神木二株が在ったが、この枝を伐り油幕の幕串にする細柱として用いたというから随分古い社である。略>
 

 葦名七代目の会津若狭守平直盛が康暦元年(1379年)鎌倉より会津に下向。幕の内の新城寺に3年居住した。その後、小高木城(黒川城)を築くため会津若松市本町(元融通寺町)に弘和二年(1382年)小さな舘を築いた。(小館)




 直盛が小高木城(黒川城)を築城の時、二本木稲荷に祈願し、薄雪が鹿子斑に降った満願の朝、夢のおさとしがあって使いの白狐が参道一路東に進み足跡を印して城郭の導をつけたといわれ、今の鶴ヶ城の稲荷は二本木稲荷の分神とも伝えられる。
 その後、葦名氏は長きに亘って会津を治めたが伊達政宗によって滅ぼされた。
 天正十八年(1590年)蒲生氏郷が会津に転封され、城を大改築し、城下町を改造したため、葦名時代の城跡などは残っていない。葦名時代の中世会津を研究する会がある。
「会津葦名研究会」といい会員60名くらいで活動している。



  ちょっとだけ 調べてみれば 住む町を




ちょっと会津を1

2012-05-03 18:44:05 | 地域情報
2012年5月3日(木)くもり・雨 憲法記念日
 大型連休にはいろいろとやりたいことがたくさんあったが、連日の暑さとウオーキングの疲れなどから能動的に活動できなかった。ブログもアップする気力も・・・・。
 今朝の福島民報に29日(日)に実施した第3回城西地区歴史探訪ウオーキングの記事が載っていた。
 
 そこに私のことも紹介されていた。数年前は会津大学で開催されたエンジン03で「町名の由来」などを発表したことはありましたが、今回は少しばかり地元のことを調べて案内したのに歴史研究家(笑い)になっていました。

そんなわけで最近従兄弟の1周忌で大塚山墓地公園に行った時立ち寄った、大塚山古墳群のことを書いてみます。  会津に生まれ育った方はほとんどの人が知っていることですが、現存する日本最古の書物「古事記」に、「会津」という地名の起源伝承が載っている。

<崇神天皇の時代、地方の従わぬ者を服従させるため、北陸方面に大毘古命、東海・関東方面に建沼別命という親子2人の将軍を派遣した。2人はそれぞれ長い道のりを旅した後、現在の会津の地で出会った。それゆえ「相津(あいづ)」と呼ぶようになった。>  この話は亡くなった母から聞いたことがある。
 

昭和39年(1964年)市史編纂のため会津若松市の大塚山古墳の発掘調査が行われた。昭和47年5月26日 国指定史跡となる。
 その説明板には下記のようなことが記されていた。 「会津盆地の東側にある比高30メートルの独立丘陵上に造られた柄鏡後円墳で、全長24メートルの規模を有する。主軸と直交する二つの割竹型木棺が検出された。その副葬品には三角縁二神二獣鏡(青銅の鏡 国指定重要文化財)、三葉環頭太刀、直弧文を有する靭など379点が出土した。  

古墳の造営は四世紀末と推定され、東北地方では最古に属する古墳に位置づけられている。この古墳の被葬者は会津盆地を治めていた首長と考えられ、その副葬品っから当時すでに、畿内の大和朝廷と密接な関わりをもっていたと推定される。」  

この古墳の前にも堂ヶ作山古墳などがあった。また、大塚山古墳後、会津盆地は100年以上にわたって大型古墳が次々と築かれ、東北地方でも有数の古墳地帯となった。  このように会津は大和朝廷と深い関わりをもち、奈良・京都に劣らぬ仏教の広がりを持ち、仏都会津となっていく。鎌倉時代には奥州平泉の藤原一族の平定に功績を残した三浦半島の葦名一族 佐原十郎義連を祖とする葦名の時代となる。

  わが郷土 知れば知るほど 奥深い