会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

映画館ビル焼く

2012-06-18 21:28:03 | 地域情報
2012年6月18日(月)晴れ
福島民報の朝刊を見てびっくりした。記事内容と写真を借りてブログに掲載。

『17日午前15分ごろ、会津若松市中央一丁目の会津東宝ビルから火を出し、鉄骨二階建ての建物三百七十五メートルを半鐘した。ビル二階の喫茶店「ラグタイム」から男性の遺体がみつかった。(中略)ビルには会津地方唯一つの映画館「会津東宝」をはじめ飲食店十店舗が入居している。 現場は市生涯学習センター「会津稽古堂」などが近くにある市中心部の繁華街で一時は騒然となった。』  

会津には昨年まで「栄楽座」という映画館があったが、廃業してしまった。
「会津東宝」は昭和三十年代に創業した老舗の映画館。会津地方で唯一つの映画館となったが、地元の映画フアンのために上映を続けてきた。放水でずぶぬれになった映写機や客席、建物の損傷は激しく、映画館の再開はできるかどうか未定。
 若い頃何度も足を運んだ思い出の詰まった映画館である。昭和のよき時代を象徴する映画館。早期に再開してほしい。 その時は映画観賞に出かけ応援したいと思う。


魚をさばく

2012-06-17 23:14:48 | 料理と酒
2012年6月17日(日)晴れ 父の日
毎年 母の日と父の日が巡ってくる。
母の日は歴史があり世間の関心も高い。今年も妻は息子から(嫁)カーネーションの鉢をもらった。父の日は?????。テレビのニュースでは父の日の認知度も高まり商業界も力を入れてきているのでプレゼントやお祝いをする家庭が増えているようである。父権復活の兆しがみえるのようである。
 この日は男の料理味覚会7月定例会。「旬の魚を捌く」20人会員中18人の出席。 東公民館の調理室には人数分のまな板や包丁がない。  マイまな板、マイ包丁を持参する。また、調理台は狭いので講義室のテーブルを使用した。魚を捌くので新聞紙や使い捨て布も準備した。  

捌く魚はいわし3匹・ワラサ1匹・秋刀魚3匹。  いわしは3枚におろして皮を剥ぎ刺身にした。鮮度はくちばしと尾が黄色。腹がパンパンに膨らんで破れていないもの。  ワラサは(ワカシ、イナダ、ワラサ、ブリ)と成長するたびに呼び名が変わる出世魚とよばれている。イナダより大きい魚なので1匹を2人で捌き、半身を刺身にした。  秋刀魚は解凍ものなのでさんまの開きを作った。  

私は、さんまの開きを作る時、手を滑らせて親指を切ってしまった。捌きを止め手洗いをしっかりし、カットバンで手当をし、ナイロンの手袋をはめて作業をした。  いわしの皮を剥ぐところやワラサのおろすところは講師や会員の田部さんにお世話になった。感謝している。 夕食は父の日なのでグリーピース炊きこみご飯にしたと孫が持ってきてくれた。 アイスボックスに入れてきたワラサの半身を四半身の皮を剥き刺身にした。残り四半身は切り身にして塩をふって朝食に焼き魚。いわしの刺身は油がのっていて晩酌の肴にした。 我が家の父の日は刺身がメーンとなった。おいしいと言って食べた妻からはウオーキングシューズの空手形をもらった。(笑い)       

慌て者 魚切らずに 指を切る 


 




一体改革って?

2012-06-16 17:57:17 | 時事
2012年6月16日(土)雨・くもり
オウム特別手配最期の信者 克也容疑者が逮捕されたという大きなニュースが報道された。今後の取調べでオウムの引き起こした事件の幾つかが解明されていくのだろう。
亡くなられた方、被害に遇われた方、家族、親族、関係者の方々の深い傷は癒されない。

 新聞各社の一面は 高橋逮捕のニュースがトップ記事はになっていた。
その記事の脇に一体改革 3党合意の活字。
民主、自民、公明3党は15日、社会保障・税一体改革関連法案を巡る修正協議で合意した。何日も何日も協議を重ねようやく合意したようであるが、各党のメンツなどが協議を長引かせていた。消費税を2014年4月に8%、2015年に10%にするということ以外は何も決まっていないと同じ。この合意したことが国会で議決されるまでにはまだまだ時間がかかる。国会延長もあるだろう。

 
 議員が何人いてもどたばたしている国会は荒地みたいで何も実らない。数がいればよいというものでもない。
 国の借金が国債と借入金、政府短期証券を合わせて2011年度末時点で959兆953億円。国民一人当たりに概算すると約761万円。2012年度末はさらに借金が増える。世界一の借金大国日本。ギリシャやスペインどころではない事態である。

 金曜日に地元に帰省して選挙運動をし月曜日に東京に戻って来る政治家では、日本の国政を任せられない。国会も期間延長などしなくてもいいように、通年国会にしてしっかりと政策について議論してもらいたい。


政治家は 政策たてて 議論せよ 


 




忌地(いやち)

2012-06-12 19:36:38 | 家庭菜園
2012年6月12日(火)くもり 風が冷たい
 20年以上も家庭菜園をして植物を育てていると、“忌地”ということが気になる。
忌地は連作障害ともいい同じ場所に同じ科の植物を植えると生育が悪くなることを言う。
 野菜、特にナス科、ウリ科、アブラナ科、マメ科は連作障害が大きいとされている。
 ナス、きゅうり、トマトなどは連作障害を避けるため植え付けの土地を替えたり、接木した苗を購入している。

 例えば連作障害予防として キャベツ→ピーマン→ネギとか白菜→きゅうり→ネギなどのように輪作している。
 また、腐葉土、鶏糞、油粕など有機肥料を元肥にしている。

 昨年はうっかりして枝豆を同じ場所に2年続けてしまい殻はできても実が入らなかった。今年は玉ねぎを連作してしまい生育があまりよくなかった。
連続失敗しているので、夏野菜以後の秋野菜植え付けでは失敗しないようにしたい。

連作障害は野菜以外の植物の場合も同様である。
忌地の原因は特定の養分や微量要素の欠乏(+特定肥料分の蓄積)、線虫など特定の病虫害の蔓延。土の物理性の低下。植物が排出する成長抑物資の蓄積が原因。

 手を抜かず 野菜作りに 精を出す







ヤブガラシ

2012-06-10 21:55:00 | 家庭菜園
2012年6月10日(日)くもり
 何日も何日も畑の草むしりをした。入梅して雨が降るといっせいに草が芽を出し、草丈が伸びる。特にヤブガラシの除去には苦労する。
  

「ヤブガラシは名前のとおり、藪を枯らしてしまうほど繁茂して覆ってしまうことから名づけられた。ビンボウカズラという別名もあるが、このツル植物が繁茂するると樹木が枯れて家が貧乏するという意味出だそうです。
 熱帯から東亜まで、火六分布する。多年草のツル植物であり、毎年地下茎から勢いよく地上茎を伸ばす。巻きひげで絡みつきながら登る。畑の周辺など肥沃な場所に生育する。」
 ヤブガラシを根絶する方法はないかとインターネットで調べたら、除草剤を使えば根も地下茎も根絶できるとあった。環境などにもやさしい除草剤「ラウンドアップ」が紹介されていた。
 また、除草剤は使わず細いひげ根まで根気よく抜き取るしかない。などの意見もあった。
 野菜を栽培している畑なので除草剤の使用は躊躇する。
 
 草むしりが追いつかない。作物の植えてない通路とか空き地は草刈機で始末。
 作物の周辺は手で草むしりをするしかない。腰を屈めての作業は腰痛持ちの私には辛い。妻も一緒に作業をするが右肩が筋肉痛となってしまった。
 気がもめるができることをするしかないとあきらめの心境です。
 誰かヤブガラシの根絶方法知りませんか?


ふるさと会津工人まつり

2012-06-09 19:57:47 | 地域情報
2012年6月9日(土)雨
 永和ものづくり教室の受講生12名と公民館職員2名・運転手で移動学習。
 次のようなコースと日程
北公民館8:30→「工人まつり会場」9:30~12:30→昼食(三島町のんびり舘)12:45~13:15→道の駅 尾瀬街道みしま宿13:30~14:00→西山温泉(せいざん荘)14:20~16:20→北公民館17:15

三島町でこのような工人まつりがあることを始めて知った。「作る手から使う手へ」をテーマにものづくりする工人(こうじん)が全国から集まって来る。
 その素晴らしい工人の技をみたり、作品を買い求めて県内・県外から多勢の人が集まって来ていた。チャリティーオークションでは多くの出品が高値で落札され熱気むんむんであった。自家用車で来ては駐車場の確保が難しい。

また、昼食を取った三島町町内は地域起こしの指定を受け、「のんびり舘」などのように古い民家を改修したり、屋号を復活させたり、テント張りの店を出して地元の産品を販売していた。  小さな町でも町長を先頭に何かを仕掛けていけば町の活性化が図れることを実証している。  



福島民報では次のような記事を載せていた。    
「全国えりすぐりの工芸品が集まる「第26回ふるさと会津工人まつり」は9、10の両日、福島県三島町生活工芸館周辺で開かれている。  町の主催。奥会津伝統の編み組細工をはじめ漆器、陶磁器、木工、染織、ガラス、皮革などの工芸家が自慢の逸品を展示、即売している。東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市雄勝町から特産の雄勝硯(すずり)が出品され、注目を集めている。浪江町の大堀相馬焼「栖鳳(せいほう)窯」の3代目窯元で、工人まつり常連出品者の山田正博さんは被災を免れた作品を並べている。  




オーバーワーク

2012-06-08 20:36:19 | Weblog
2012年6月8日(金)晴れ
オーバーワークの付けが自動車に来きた。セルが故障して修理しました。
笑ってください。
5月27日(日)~28日(月)同級生との旅行。
5月29日(火)竹田総合病院で胃手術3ヶ月後の胃カメラ検査。潰瘍が小さくなっている。順調な快復。帰宅後は畑の除草。
5月31日(水)~6月4日(月)4泊5日で九州一周の旅行。<写真を整理して後日アップしたいと思います)
6月5日(火)南公民館で「苔だまづくり」
6月6日(水)会津稽古堂堂で「パソコン教室」。同日夜東公民館で「男の生け花教室」
そして、6月7日(木)猫魔猪苗代CCでゴルフの予定でした。


6日(水)生け花教室から帰宅し車庫に車を入れた。遅い夕食を済ませゴルフバックを車に入れるためエンジンをかけた。
ほんの少し前まで順調に始動していたエンジンがかからない。いろいろと調べたがわからない。午後9時過ぎていたのでガソリンスタンドも修理工場も販売店も連絡がつかない。ゴルフは不参加ということで関係者に連絡した。

 考えてみるとこの車の故障はハードに動き回っている私への警告だったのかもしれない。翌日ゆっくり起きて体を休め、修理工場へ電話して車をみにきてもらった。セルモーターの故障とわかりレッカー車で運んでもらった。
 代車はトヨタのプリウス。1回説明を受けて操作してみた。簡単に車庫入れができた。 次ぎの日もスムーズに運転した。昨日「永和ものづくり 移動学習」があり、午前8時半まで北公民館に行かなければならない。  ブレーキを踏みスイッチを入れギアをドライブに入れるが、ニュートラに入ってしまい発進できない。あわててやるから何度やっても同じ。時間がないのでタクシーで出かけた。  故障が直ったので修理工場へ。
昨日と同じような事が起きたので説明書を読んで操作したら簡単に始動し発進できた。エンジン音が聞こえない、ハンドルにいろいろな操作ボタンがある。  プリウスは何度も乗って操作し慣れるしかない。    
もうしばらくセフィーロを乗っていよう。

ほどほどに 休みを入れて 動くべし


 




松本城・安曇野方面 第二日目の2

2012-06-07 11:50:55 | 旅行
6月7日(木)雨・晴れ

同級生との旅行の続きをアップします。5月28日(月)
諏訪大社の参拝を終えて高速道で松本市へ。
国宝松本城を見学。3度目。今回は朱塗りの狸橋を渡らず、お堀端を回って黒門から入場した。日本最古の五重天守にふさわしい風格ある環境整備がなされていた。

パンフレットによると《創始》
 『松本城は戦国時代の永正年代初めに造られた深志城が始りです。戦国時代になり世の中が乱れてくると、信濃府中といわれた松本平中心の井川に館を構えていた信濃の守護小笠原氏が、館を東の山麓の林地区に移すと、その家臣らは林城を囲むように、支城を構えて守りを固めました。
 深志城もこの頃林城の前面を固めるために造られた。その後、甲斐の竹田信玄が小笠原長時を追い、この地を占領信濃支配の拠点としました。その後天正十年(1582年)に小笠原貞慶が、本能寺の変による動乱の虚に乗じて深志城を回復し、名を松本城と改めました。』

 戦うための黒い堅固な天守と平和な時代になって造られた優雅な辰巳附櫓・月見櫓。数々の優れた築城技術が今に伝えられている。
 それは天守閣保存に尽力した功労者(市川量造・小林有也など)がいたからである。
彼等は明治時代になってからは、旧物破壊思想のもと、松本城天守も売却競売・破壊の運命にあったのを買戻し保存に貢献した。

 会津の鶴ヶ城も廃城されることが決定していた。町民は廃城に反対し幾度も請願したが陸軍省の考えは替えられなかった。取り壊す前に場内を見たいという町民の願いで明治七年東北ではじめての博覧会を開いた。826円で落札された鶴ヶ城は、博覧会が終わるとすぐ取り壊しにかかり、七月には荒城と化した。
 その後、明治26年(1890年)、仙台の第七十七銀行頭取であった旧会津藩士遠藤敬止が、城郭地全部を陸軍省から払い下げを受け、旧藩主松平家に寄付した。
 松本城を見学しながら鶴ヶ城に想いを・・・・・・。

 松本城を見学した後、安曇野スイス村で昼食。スイス村とは名ばかりでそれらしい民俗衣装を纏った店員もいないし店内の雰囲気も普通のドライブインであった。
大王わさび農場では、黒沢監督が映画撮影をした水車や皇太子と雅子様がご覧になったわさび畑の景色を眺めた。ここも3度目なのであまり感動はしなかった。

今回の旅行の主な場面をランダムに載せました。下記のアルバムをご覧ください。
残雪残る妙高の峰々を眺め長野へ旅行
 


諏訪大社 第二日目の1

2012-06-06 07:00:00 | 旅行
6月6日(水)晴れ
九州一周旅行をしていてブログを休みましたがまたアップします。

 とりあえず同窓生との旅行の続き 5月28日(月)・・・・・。
 <第2日目>  上諏訪温泉→諏訪大社上社本宮→諏訪IC→松本IC→松本城→安曇野→大王わさび農場→豊科→上越JCT→新潟JCT→会津若松

旅館を出て15分位で諏訪大社上社本宮へ。=諏訪大社公式ホームページより=

『 諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社です。信濃國一之宮。神位は正一位。全国各地にある諏訪神社総本社であり、 国内にある最も古い神社の一つとされております。

 諏訪大社の歴史は大変古く古事記の中では出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきて、そこに国を築いたとあり、また日本書紀には持統天皇が勅使を派遣したと書かれています。

 諏訪大社の特徴は、諏訪大社には本殿と呼ばれる建物がありません。代りに秋宮は一位の木を春宮は杉の木を御神木とし、上社は御山を御神体として拝しております。

古代の神社には社殿がなかったとも言われています。つまり、諏訪大社はその古くからの姿を残しております。

諏訪明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神。また武勇の神として広く信迎され、現在は生命の根源・生活の源を守る神として御神徳は広大無辺で、多くの方が参拝に訪れます。 』


 この神社の御柱祭は天下の奇祭として有名。御柱は長さ五尺五寸(約17m)、直径1.2mの樅ノ木。上社網置場(御柱置場)より20数キロの行程を数千人の氏子の奉仕により曳行され。茅葺の御宝殿と共に寅歳と申歳の七年目ごとに建てかえられる御神木で神域の四隅の建立される。
また、神楽殿(文政10年 1827年)に奉納された大太鼓は合わせ木作りで神籠が描かれている。
皮は一枚皮が使われ、一枚皮では日本一といわれている。この大太鼓は元旦の朝にのみ打たれる。
奥の院は柵があり遠くから参拝し、望遠で写真を撮りました。