会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

一家団欒

2013-01-03 21:00:00 | 家族
2013年1月3日(木)雪 0.0度

 毎年のことながら正月は夫婦二人でのんびりと過ごすことが多い。ちょっと寂しくしていたが今晩は息子家族(4人)と娘家族(4人)と義姉と犬一匹が我が家に集まった。総勢11人で久しぶりに賑やかである。みんなで食卓を囲んで話が弾み食もすすむ。細やかではあるが一家団欒の至福の時間を過ごせてたことを感謝し、これからも長生きして孫達の成長を見守っていきたいと思った。

 『正月はいいもんだ・・・・』


「正月」とは、本来旧暦1月の別名である。改暦後は新暦1月を意味することもある。

現在は「三が日」または「松の内」と混同して使用することが多いが、1月31日までが正月である。

松の内は元々は1月15日までだったが、現在は一部地域では1月7日までに短縮している。寛文2年(1662年)1月6日 (旧暦)、江戸幕府により1月7日 (旧暦)を以て飾り納めを指示する最初の通達が江戸の城下に町触として発せられており、それに倣った風習が徐々に関東を中心に広まったと考えられる。幕末の考証家である喜田川守貞は、この時同時に左義長(いわゆる「どんど焼き」)も禁止されていることから、松の内短縮発令の理由を注連飾りを燃やすこの火祭りによる火災の予防の一環だとしている。

1月20日までを正月とすることもあり、1月20日を二十日正月(骨正月)と呼ぶ。

新暦の元日を軸とする「大正月」(おおしょうがつ)と旧暦の15日を軸とする小正月(こしょうがつ)と呼ぶものがある。大正月はまた大年(おおどし)、男の正月と呼ぶのに対して、小正月を小年(こどし)、女の正月と言うところもある。



雪片付けをしたり雪遊びを楽しむ東京の孫達

初詣

2013-01-02 12:51:59 | Weblog
2013年1月2日(水)晴れ 3.3度 

午前中はからりと晴れて暖かかった。妻と二人で近所の住吉神社にお参りに行った。初詣は正月三日以内とか一週間以内とかいわれているが
新年になって、正月に初めて神社やお寺、寺院に参詣し、その一年の幸せを祈願することを初詣でというので期間はないと思う。
(初参り=はつまいりとも言われます)

 住吉神社の御祭神は底筒男命(ソコツツオノミコト)、中筒男命(ナカツツオノミコト)、表筒男命(ウワツツオノミコト)、神功皇后(ジングウコウゴウ)、総称して住吉大社という。
 由緒:会津領主葦名直盛公(七代)の重臣簗田左京亮盛胤は、直盛公に従った鎌倉より来て当地に居住した。葦名公は至徳元年(1384)に始めて黒川(若松)に築城し、この城を小田垣城と呼び、後に黒川城と改めた。現在の鶴ヶ城の前身である。領主直盛公は今後の会津発展のためには、農工商業の守護神である住吉大社を勧請し、神の御加護を願わねばと思いたち、重臣盛胤に命じ京都に上京させた。簗田盛胤は、足利将軍義満公より会津四郡並びに隣国迄の商人の司となることを許され、帰若にあたり、大阪住吉大社の御分霊を材木町の川原の清浄な地に勧請し奉鎮したのが始まり。十日市は住吉神社で行った市神祭や大町四つ角で行った簗田市が始まりである。市神様の「おふだ」には住吉大社と春日大社の二柱の神名が載せてある。
 明治戊辰戦争では、住吉神社前で激しい戦火を交え、向拝殿は焼失したが、会津兵は勝利の凱旋を挙げる。この戦いを「住吉川原の戦い」と云って史実として有名である。
毎年7月31日には夏超大祓の祭式が盛大に行われる。
 

罪や穢れを自ら祓い、汚れや不吉を浄化し過去を反省し、心を改め明日への新しい出発を誓って祈った。

今年の願い 心豊かに老いるこつ

2013-01-01 16:18:03 | Weblog
2013年1月1日(火)元旦 雪 
 

 謹んで新年のお慶びを申し上げます。一夜開けると2012年辰から2013年巳。たった1日なのに新しい年が開けた。白銀の世界。昨年は私事でいろいろなことがあり厄年かと嘆いたが、今年は健康も回復したので明るい年になるような気がする。
 12月初めに「松竹梅」の寄せ植えを作り、ポンプ小屋に入れ、温度調節、水管理、霧吹きなどをしてきたところ元日に紅梅が咲いた。
甘い芳香が玄関内に漂う。一足早い春がきた。
 
 玄関の外には手づくり玄関飾りをかけ、紅白の南天を生けてみた。正月らしい雰囲気が出たようで自己満足。

 昨年百歳以上の高齢者が、厚生労働省の調べで初めて5万人を突破し、あらためて日本人の長寿を印象づけた。長い老年期を心豊かに過ごす秘訣を、幸福な老いについて研究している放送大准教授(認知心理学)の星薫氏は次のように述べている。
「退職は終わりというより始まり。仕事を卒業したら引退というかっての発想からもっと自由になったほうがいい」。また、星氏は「アンチエイジング」という言葉が広まっているが、老いを上手に受け入れ、人として成熟していく「サクセスフルエイジング」に関心を持つことを勧めている。
 星氏が注目するのは、米国の大学の研究報告にあるサクセスフルエイジングの四つのポイントで、
①創造的な活動をする ②学ぼうとする向上心を持ち続ける ③遊ぶ時間をつくる ④できるだけ多くの人と付き合うー。
 例えば「創造的な活動とは、俳句やそば打ちなど、何かをつくり出すこと。これらの四つを義務感でなく、心から楽しいと思ってすることが心豊かに老いるこつ」
 
 サクセスフルエイジングなどということを知らなかったが、私は退職後を第二の現役時代と考え、好奇心のおもむくままいろいろなことに興味関心を持って今まで生活したことは間違いではなかった。
 今年も必要なものを残して「ダンシャリ(断行・捨行・離行)」を続ける。そして昨年から実践している「ボケない五ヶ条」のような人になるよう努めていきたい。それが心豊かに老いるこつに繫がると思う。
 ①仲間がいて気持ちの若い人 ②人の世話をよくし感謝のできる人 ③ものをよく読みよく書く人 ④よく笑い感動を忘れない人 ⑤趣味の楽しみをもち旅の好きな人