いまだかつて、ノートをきちんととれる子どもが育ったことのない我が家ではあるが、はなひめはノートをとれる子に育つ…かもしれない…というほのかな期待もないではない今日この頃ではある。
実をいうと、親である私も、ましてやよしぞうは、「美しいノート」とは縁のない生活をしていたので、あまり偉そうなことはいえない。この場合、「美しい」というのは別に字が上手とかきれいとかいう意味ではなくて、なんというか…
そう、「構造的な」ノート。昨日読んでいた「小学生の学力は「ノート」で伸びる!」という本にも、そのことが強調して書かれていた。
ただ単に字が丁寧に書いてあっても、ノート活用ができるとは限らない。重要なことは
・日付、問題番号、単元名などが目立つように書いてある
・縦と横を揃える
・間を空ける
・ダラダラ書かずに箇条書き
などの工夫をして、情報がつかみやすく読み返しやすい(おさらいができる)ということだ。
ところで、この本がすごいと思ったのは、こんな部分:
----
ただ、カン違いしていただきたくないのですが、
「構造的にノートを書けない子は、学力が低い」ということではありません。
なぜなら、たとえ構造的に書けなくても、学力が高い子はいるからです。
----
…ですよね。例えば私の隣にいる人とか。またろうやこじろうだって、ノートきれい順位(?)に比べりゃ学力のほうがずいぶんマシなわけで。構造的にノートを取れなくても勉強ができる子はいるが、逆に構造的にノートが取れるようになれば、学力は伸びるというのが筆者の主張。
また、別のところにはこんなことが書いてあった。ノートを見やすく書くことは大事だけれど、あまりムキにならないようにという趣旨で、例えば判読できないくらい汚い字を書く子がいるけど(いますね)、
----
私の経験から言って、これを直すのもかなり難しいことです。字が雑なのと、整理整頓が苦手なのを直すのは、かなり難しいことなのです。
私は、これらを直せたことがありません。そして、親も教師も含めて、本当に直せた人を未だに一人も知りません。
----(注:太字はアンダンテによる)
…(-_-;; よくおわかりで。この方は、長年小学校の先生をなさってきた方だそうで、できることとできないこと(現実)がよく見えている。
だから、「ノートは褒めるために見る」「十個褒めて一個指導する」というペースで親が子どものノートを見る中で、
「満員電車は?」「息苦しい!!」
「満員ノートは?」「見苦しい!!」
というようなユーモラスな合言葉を活用し、親がムキにならない範囲で、徐々にノートを使えるものにしていこうという提案をしているのだ。
まぁ現実的な提案で、その他細かい工夫や親の心得としても、とてもよくできていると思う。それでもなんでも、やっぱりまたろうが「構造的ノート」を取れるようになったとは思わないけど、はなひめには通じる部分がありそうな気がする。すでにいくつかの項目はほぼ身についているし。
むしろ、はなひめの場合の課題は「丁寧さ」と「速さ」の使い分けかな。丁寧であること、速いことはいずれも大切で、バランスを考えなくちゃいけないんだけど、そのあるべきバランスは場面によって異なる。
----
(1) 丁寧に書く→テスト、提出用の書き取りノート
(2) 丁寧に速く書く→授業中のノート
(3) 速く丁寧に書く→計算ドリルをグイグイ書くとき、日記をグイグイ書くとき
(4) 速く書く→メモ、考え、アイディアを忘れないうちに記録するとき、社会科見学の聞き書き、授業で友だちの発言をメモするときなど
----
これまで何回か、まとめノートの真似事のようなことをさせてみたとき、妙に時間かけたくなっちゃったりとかの「女の子病」が出ていたので、これからどうしようかと思っていたのだ。
この本の中には、子どもの手によるノート例というのがあって、これがわかりやすい。これを直接はなひめに見せて、「どっちが見やすい??」とか聞いてみたり、「速さも大事」というあたりを読ませてみるのもいいかもしれない。
ところでこの本には「慣れるまでは「筆箱の中身」に気を配る」という項目もあって、特に男子とか気がつけば書ける鉛筆はゼロ本なんてことになりかねないので中身をチェックせよ、という実践的なアドバイスがある(^^;;
「鉛筆をなくしやすい子は、お尻のところを削り、「マサル1」「マサル2」「マサル3」と、名前と番号を書いておきます。」番号をつけるところがミソで、本人もなくしたことに気づきやすくなるというわけだ。う~ん、またろうクラスの大物に通用したかどうかわからないけど、アイディアだな。番号とは思いつかなかった。
というより、よく筆箱ごと無かったんだよね(遠い目)。
今日の弁当:
肉団子、カニクリームコロッケ、プチトマト、ブロッコリー、焼きかぼちゃ、焼きがんも
はなひめ昨日の勉強:
漢字1ページ
実をいうと、親である私も、ましてやよしぞうは、「美しいノート」とは縁のない生活をしていたので、あまり偉そうなことはいえない。この場合、「美しい」というのは別に字が上手とかきれいとかいう意味ではなくて、なんというか…
そう、「構造的な」ノート。昨日読んでいた「小学生の学力は「ノート」で伸びる!」という本にも、そのことが強調して書かれていた。
ただ単に字が丁寧に書いてあっても、ノート活用ができるとは限らない。重要なことは
・日付、問題番号、単元名などが目立つように書いてある
・縦と横を揃える
・間を空ける
・ダラダラ書かずに箇条書き
などの工夫をして、情報がつかみやすく読み返しやすい(おさらいができる)ということだ。
ところで、この本がすごいと思ったのは、こんな部分:
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ただ、カン違いしていただきたくないのですが、
「構造的にノートを書けない子は、学力が低い」ということではありません。
なぜなら、たとえ構造的に書けなくても、学力が高い子はいるからです。
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…ですよね。例えば私の隣にいる人とか。またろうやこじろうだって、ノートきれい順位(?)に比べりゃ学力のほうがずいぶんマシなわけで。構造的にノートを取れなくても勉強ができる子はいるが、逆に構造的にノートが取れるようになれば、学力は伸びるというのが筆者の主張。
また、別のところにはこんなことが書いてあった。ノートを見やすく書くことは大事だけれど、あまりムキにならないようにという趣旨で、例えば判読できないくらい汚い字を書く子がいるけど(いますね)、
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私の経験から言って、これを直すのもかなり難しいことです。字が雑なのと、整理整頓が苦手なのを直すのは、かなり難しいことなのです。
私は、これらを直せたことがありません。そして、親も教師も含めて、本当に直せた人を未だに一人も知りません。
----(注:太字はアンダンテによる)
…(-_-;; よくおわかりで。この方は、長年小学校の先生をなさってきた方だそうで、できることとできないこと(現実)がよく見えている。
だから、「ノートは褒めるために見る」「十個褒めて一個指導する」というペースで親が子どものノートを見る中で、
「満員電車は?」「息苦しい!!」
「満員ノートは?」「見苦しい!!」
というようなユーモラスな合言葉を活用し、親がムキにならない範囲で、徐々にノートを使えるものにしていこうという提案をしているのだ。
まぁ現実的な提案で、その他細かい工夫や親の心得としても、とてもよくできていると思う。それでもなんでも、やっぱりまたろうが「構造的ノート」を取れるようになったとは思わないけど、はなひめには通じる部分がありそうな気がする。すでにいくつかの項目はほぼ身についているし。
むしろ、はなひめの場合の課題は「丁寧さ」と「速さ」の使い分けかな。丁寧であること、速いことはいずれも大切で、バランスを考えなくちゃいけないんだけど、そのあるべきバランスは場面によって異なる。
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(1) 丁寧に書く→テスト、提出用の書き取りノート
(2) 丁寧に速く書く→授業中のノート
(3) 速く丁寧に書く→計算ドリルをグイグイ書くとき、日記をグイグイ書くとき
(4) 速く書く→メモ、考え、アイディアを忘れないうちに記録するとき、社会科見学の聞き書き、授業で友だちの発言をメモするときなど
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これまで何回か、まとめノートの真似事のようなことをさせてみたとき、妙に時間かけたくなっちゃったりとかの「女の子病」が出ていたので、これからどうしようかと思っていたのだ。
この本の中には、子どもの手によるノート例というのがあって、これがわかりやすい。これを直接はなひめに見せて、「どっちが見やすい??」とか聞いてみたり、「速さも大事」というあたりを読ませてみるのもいいかもしれない。
ところでこの本には「慣れるまでは「筆箱の中身」に気を配る」という項目もあって、特に男子とか気がつけば書ける鉛筆はゼロ本なんてことになりかねないので中身をチェックせよ、という実践的なアドバイスがある(^^;;
「鉛筆をなくしやすい子は、お尻のところを削り、「マサル1」「マサル2」「マサル3」と、名前と番号を書いておきます。」番号をつけるところがミソで、本人もなくしたことに気づきやすくなるというわけだ。う~ん、またろうクラスの大物に通用したかどうかわからないけど、アイディアだな。番号とは思いつかなかった。
というより、よく筆箱ごと無かったんだよね(遠い目)。
今日の弁当:
肉団子、カニクリームコロッケ、プチトマト、ブロッコリー、焼きかぼちゃ、焼きがんも
はなひめ昨日の勉強:
漢字1ページ