アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

新聞問題、ついに「愛」の決着へ

2010年04月15日 | 生活
新聞問題とは何ぞや。ご存知ない方は「新聞をめぐる夫婦バトル」からお読みください。

とにかく、我が家では古くて新しい問題で、もしも私とよしぞうが離婚したなら、「よしぞうの浮気!?」より「新聞問題がこじれたのね」と思ったほうが当たるだろう、というくらいの重要な地位を占めているものであった。

過去記事にもあるように、私の気持ちは余すところなく伝えたので、よしぞうも多少はその意を汲み、なるべく自分で捨てるように心がけているようにも見えたが、もともとコンスタントな片付けなんてのは得意ではなし、妻の満足するようなレベル(=言われなくても毎日片付け、いっぱいになれば縛る)に達することはなかった。

さらに、ここのところ、よしぞうの仕事がむやみやたらに忙しくなり、もはや人間らしい時間に帰宅することもままならず、土日にも家に仕事を持ち込むほどになったため、ぜんぜん新聞どころではなくなってしまった。

朝、会社に行くため玄関を出ると、そこでドアポストにある新聞に気づき、でももう靴を履いているので、とりあえずバサッと玄関に叩き込んで出かける。そのまま玄関に数日分の新聞が溜まり、私がそれを嫌味でよしぞうの椅子の上に移しておくと、よしぞうが帰ってきてそこに座るときに、数メートル離れた古新聞置き場ではなく手近なところにまたバサッとどけ、そのまま。嫌味でしたことなのにイライラが募るのは私だけ…

そして、資源ごみの日になっても、朝会議があるとかで早めにでかけたよしぞうはそのままスルー。私は自分で古新聞を縛り、またろうに手伝わせて下まで運び、これはもうこのまま我慢するのは嫌だと決意した。

よしぞうが仕事で忙しいだけでも、いろいろ子ども関係フォローが余分に回ってきてうれしくないが、まぁとりあえずそれはなんとかしよう。でも、新聞の世話までしたくない。

そこでよしぞうに、「提案があるんだけど。人間らしい生活に戻って自分で新聞の始末ができるようになるまで、新聞をお休みしない??」と切り出した。これは、あまりにもっともな提案で、反対する余地はないのではないかと思われたが、よしぞうは意外なことを言った。「わかった。じゃあ、こじろうの係にしよう」

こじろうの現在の分担は皿洗いである。新聞捨ての係を足すのも、よしぞうが交渉するなら私に関係ないようでもあるが、現状、こじろうのやるべきことが回らずしょっちゅう困っているんだし、それをいちいちタイミングを見て催促しているのは私である。第一、こじろうは何のためにその「家事」をがんばるのだ??

よしぞうがいうには、日々新聞を捨て、溜まったら縛り、資源ごみの日に運ぶだけではなく、ざっと一面は読むなどして活用するところまでをこじろうの係にするのだそうだ。そんな立派なことができるんなら話はうまいのだが。

結局、すぐによしぞうはこじろうに新聞捨て係について頼んでいたが、こじろうは翌日その係を思い出さなかったし、読んでいる様子もない。聞くと、捨てるようには言われたけれど、読むようには言われてないという。そこで、よしぞうに「読むように言われてないっていってるけど??」とつっこむと、時期を見て徐々に進めるんだからいちいち催促するなとキレられた。

でも、落ち着いて考えたらやっぱり納得がいかず、さらに翌日、押してみた私。「ねぇ、やっぱりおかしいよこの話。例えばさ、テニスを習いたいといって習ってさ、自分が忙しくて通えなくなったら、それでもやっぱりテニスをやるってのが自分のポリシーだからとかいって、やりたいともいってないのに家族に代理で行かせるようなもんじゃない??」というと、「だからその話は、とにかく僕がやりたいからやるんだって、もう散々その話したじゃない。だからもう言わないでよ。そこはすり合わせるところじゃないでしょう」

実は、ここに決定的に大きなずれがあった。私がテニスのたとえを持ち出しているということは、この問題が「個人の趣味」と「それによって発生する家事負担」の話だと思っていることを指す。一方、それに対してよしぞうが「すり合わせるところじゃない」という我が家的ブラックワードを返したのは、よしぞうが新聞の問題を単によしぞうの趣味としてではなく、教育・主義・宗教(ポリシー)の問題としてとらえ、自分にとってのその重要性もさんざん説明してきたのに、妻がそれに理解を示さず不適切なたとえを持ち出してきたから。

でも私は、よしぞうが「趣味から発生する家事負担の問題」について「すり合わせる必要がない」と言ったと思ったのでキレた。その会話をしていたのは、貴重な「夫婦の会話」時間である通勤途中だったが、キレた私はそのままその話を続けることを避けた。紛糾するのであとはメールにしよう。

そして会社に着いてからよしぞうにメール。
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「すりあわせをする事項でない」と言われたこと、大変ショックでした。 話がかみ合わないわけです。
自分の趣味(またはポリシー)によって、わずかずつとはいえ、家族にやってもらう「家事」を増やす(つまり時間を使わせる)ことについて「すりあわせする事項でない」と考えている理由を教えてください。その「家族」が私であっても、こじろうでも同じことだと私は思います。
こじろうが自らの趣味として新聞文化を取り込むようにしようという話ならたいへんすばらしいことです。しかし、とりわけ忙しい時期になんのフォローもできず、家事分担としての位置づけで依頼しても成果が上がるとは私には思えません。何か秘策があるというなら結構ですが。

返事は、家に帰ってからでかまいません。私のほうは、言いたいことを忘れないうちにと思って書きました。

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本気で怒っている私はとても静かだ。皿を投げつけるとか、そういう行動レパートリーは私にはない。

このメールを受けて、ついに腹をくくったよしぞう、子ども三人にそれぞれ新聞についての意向をヒヤリング。「誰かしら新聞があったほうがいいって子がいたら」という気持ちだったらしいが…
またろう「ぼくは、意見ないよ。まったく読んでないし(^^)」
はなひめ「???」
こじろうだけは、ごく稀に新聞を見ることもあるので、新聞があるということも悪くないと思っているふしがあったが、なにしろその頻度があまりに少ないのと、それで負担が自分に回ってくるなら、うむむ~というところもあり、さらになにより、「新聞を取るにしろ取らないにしろ、それを自分のせいにされたらかなわない」という雰囲気がありあり(笑)

それで、新聞を止めていいことになりましたー(^o^)/
うれしい!! うれしい!! うれしい!!
(大事なことなので三回言いました)

新聞を片付けなくていいこともうれしいけど、よしぞうが自分のポリシーを曲げて妻の労力に「配慮」してくれたことがうれしい。この「新聞文化」を大切にするというポリシーは、よしぞうにとってとても大切なものだったようだ。それを妻が理解しないことは彼の大きな悲しみであり、それがためにここまで長年、新聞問題は綿々と続いてきたわけだけれども、ついにここで、パートナーの時間を大切に思うことを優先させてくれたんだね。とどのつまり、それがなによりの「愛」だと思うわけです。


今日の弁当:

プチトマト、ブロッコリー、テリヤキミートボール、こんにゃくきんぴら、ひじき煮、かぼちゃコロッケ

はなひめ昨日の勉強
計算と一行題
都道府県書き取り確認、南半分
コメント (12)
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