…深くて暗い川がある。
←別に同じこと考えてるのがいいってこともないけどね
というわけで、「冥王星を殺したのは私です」(マイク・ブラウン)の中におもしろい話があったのでご紹介。
これ、もちろん天体発見ドラマの本なので、本筋には関係ない枝葉としてですが、著者の子どもが生まれるときの話が出てきます。
妊娠がわかると出産予定日を計算しますね。これ、まぁ推定というか概算ですし、赤ちゃんが準備でき次第なんかよさげなタイミングで出てくる(陣痛の始まり)ってことなんで多少の前後はあります。予定は未定にして決定にあらずってとこですね。
一週間早いとか、逆に一週間遅いとか、どっちもよくあることで、どちらも別に問題ないんですが(あんまり早すぎるのは困る。早産は肺が未熟だったりして高リスク)、待つ側としては、「それでいったいいつなのよ」ってのは気になります。
特に、初めての出産ならなおさら、先が見えないのでわくわくドキドキいらいら、あぁこの重いうっとおしいお腹から早く解放されたい。もちろん、二回目以降の出産の場合は、出てきてからのほうがずっと大変なことはわかってるんですけど(^^;;
さて、この著者の場合、新天体発見の公表などの日程とからみ、いつ生まれるのかは通常よりもっと気になっちゃう状況でした。
でもお医者さんは、いつ生まれるかについてはっきりしたことを言ってくれないでしょ…(当たり前)
ぴったり予定日に生まれる赤ん坊はどれだけいるのかと聞くと5%だと。
「じゃあ残りの半分が予定日前で、半分が予定日後?」
「あら、いつ生まれるかなんてわかりませんよ」
「そりゃそうでしょうが、統計を知りたかったもので」
「準備ができたら出てきますよ」
大勢の人の実際の記録から、統計を取ればすぐに分布がわかるのに、先生はそういうデータを教えてくれない(持っていないのか教える気がないのか)。
ところがこの著者は、統計的にとか数字でとか、そうやって世の中を見ることに慣れ切っているので、そういう状態にはまったく我慢がならなかった。
夫婦でディナーパーティーとかに出ると、彼が、医者や出産準備教室の先生について、科学的考察が足りない、なぜ数学を毛嫌いする? と批判し、度数分布は太っているか痩せているか、そのカーブは病院が違うと差があるのか、など熱弁をふるいはじめるので、妻はそれを嫌がり、かすかに怒りを湛えた目をして「お願いだから」とささやくのだった。
ちなみに、ディナーパーティーに来ているのはだいたいが科学者夫婦で、そしてほとんどの場合、夫が科学者で、妻はそうではない。
そうするとどうなるかというと、彼の度数分布語りが熱を帯びてくるとき、男性陣はこぞってその話に乗ってきて盛り上がり、自分なりに考えた統計などを披露しあう。一方、女性陣は揃ってあきれ顔になり「かわいそう。気持ちわかるわ」、妻のほうによってきて、「気分はどう」とか「よく眠れている?」とか聞いてくれるのだった。
ことほど左様に、男と女の間には、深くて暗い川があるのだけれど、これはそもそも「男女差」なのだろうか??
私たち夫婦も、よしぞうは理屈っぽく、私は感覚派だ。ところで私がこの件についてどう感じるかというと、
それは度数分布がどうなってるのかは知りたいけど(好奇心から)別に知らなくてもどうというほどのことではない。
なぜなら、カーブがどうなってるか知ったところで、結局自分の子がいつ生まれてくるかは確率的にしかわからないので、実用上の役には立たないから(決め打ちで休暇を取るとか)。
役に立つということでいえば、予定日から何日以降になったら分娩誘発するほうが安全であるというデータがあればまぁ役に立つけど(出産日の度数分布だけあってもわからない)。
…といったところだ。これは、別によしぞうの思うところと大きな違いはないので、この件について我々夫婦の間には深い川はない。
マイク・ブラウンさんも書いていたのだけれど、上記のような男女差というのは、この当時(マイクさんの第一子が生まれるころ)そうだったということなのだ。
「おもしろいことにここ数年は指導する大学院生の大半が女性だ。時代は否応なく変わっていく」「女子大学院生たちはやはり私の疑問の答えを知りたがっていて、一緒に熱弁を振るってくれそうな勢いだ。時代は否応なく変わっていく」
私とよしぞうの場合も、統計データの読み方とか利用方法について、大雑把にいって同じような教育や経験を経てきたから自然にこうなったということだろう。
男女差に見えたものも、教育や置かれる環境や世間の期待や…まぁいってみれば伝統? によって規定された部分があると、その伝統が崩れたときに胡散霧消していく。要するに生まれつきでなく社会的な性差ということだけれど、それなら社会的な性差を取り払えば(そんなことにもし成功すれば)性差はなくなるのかというとたぶんそんなことはないだろう。ただ今当たり前と見えている形とはかなり違う、あるいは小さなものになるかもしれない。
エンヤコラと船を漕ぐ…のも少し楽になったりしたらおもしろいよね。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
←別に同じこと考えてるのがいいってこともないけどね
というわけで、「冥王星を殺したのは私です」(マイク・ブラウン)の中におもしろい話があったのでご紹介。
これ、もちろん天体発見ドラマの本なので、本筋には関係ない枝葉としてですが、著者の子どもが生まれるときの話が出てきます。
妊娠がわかると出産予定日を計算しますね。これ、まぁ推定というか概算ですし、赤ちゃんが準備でき次第なんかよさげなタイミングで出てくる(陣痛の始まり)ってことなんで多少の前後はあります。予定は未定にして決定にあらずってとこですね。
一週間早いとか、逆に一週間遅いとか、どっちもよくあることで、どちらも別に問題ないんですが(あんまり早すぎるのは困る。早産は肺が未熟だったりして高リスク)、待つ側としては、「それでいったいいつなのよ」ってのは気になります。
特に、初めての出産ならなおさら、先が見えないのでわくわくドキドキいらいら、あぁこの重いうっとおしいお腹から早く解放されたい。もちろん、二回目以降の出産の場合は、出てきてからのほうがずっと大変なことはわかってるんですけど(^^;;
さて、この著者の場合、新天体発見の公表などの日程とからみ、いつ生まれるのかは通常よりもっと気になっちゃう状況でした。
でもお医者さんは、いつ生まれるかについてはっきりしたことを言ってくれないでしょ…(当たり前)
ぴったり予定日に生まれる赤ん坊はどれだけいるのかと聞くと5%だと。
「じゃあ残りの半分が予定日前で、半分が予定日後?」
「あら、いつ生まれるかなんてわかりませんよ」
「そりゃそうでしょうが、統計を知りたかったもので」
「準備ができたら出てきますよ」
大勢の人の実際の記録から、統計を取ればすぐに分布がわかるのに、先生はそういうデータを教えてくれない(持っていないのか教える気がないのか)。
ところがこの著者は、統計的にとか数字でとか、そうやって世の中を見ることに慣れ切っているので、そういう状態にはまったく我慢がならなかった。
夫婦でディナーパーティーとかに出ると、彼が、医者や出産準備教室の先生について、科学的考察が足りない、なぜ数学を毛嫌いする? と批判し、度数分布は太っているか痩せているか、そのカーブは病院が違うと差があるのか、など熱弁をふるいはじめるので、妻はそれを嫌がり、かすかに怒りを湛えた目をして「お願いだから」とささやくのだった。
ちなみに、ディナーパーティーに来ているのはだいたいが科学者夫婦で、そしてほとんどの場合、夫が科学者で、妻はそうではない。
そうするとどうなるかというと、彼の度数分布語りが熱を帯びてくるとき、男性陣はこぞってその話に乗ってきて盛り上がり、自分なりに考えた統計などを披露しあう。一方、女性陣は揃ってあきれ顔になり「かわいそう。気持ちわかるわ」、妻のほうによってきて、「気分はどう」とか「よく眠れている?」とか聞いてくれるのだった。
ことほど左様に、男と女の間には、深くて暗い川があるのだけれど、これはそもそも「男女差」なのだろうか??
私たち夫婦も、よしぞうは理屈っぽく、私は感覚派だ。ところで私がこの件についてどう感じるかというと、
それは度数分布がどうなってるのかは知りたいけど(好奇心から)別に知らなくてもどうというほどのことではない。
なぜなら、カーブがどうなってるか知ったところで、結局自分の子がいつ生まれてくるかは確率的にしかわからないので、実用上の役には立たないから(決め打ちで休暇を取るとか)。
役に立つということでいえば、予定日から何日以降になったら分娩誘発するほうが安全であるというデータがあればまぁ役に立つけど(出産日の度数分布だけあってもわからない)。
…といったところだ。これは、別によしぞうの思うところと大きな違いはないので、この件について我々夫婦の間には深い川はない。
マイク・ブラウンさんも書いていたのだけれど、上記のような男女差というのは、この当時(マイクさんの第一子が生まれるころ)そうだったということなのだ。
「おもしろいことにここ数年は指導する大学院生の大半が女性だ。時代は否応なく変わっていく」「女子大学院生たちはやはり私の疑問の答えを知りたがっていて、一緒に熱弁を振るってくれそうな勢いだ。時代は否応なく変わっていく」
私とよしぞうの場合も、統計データの読み方とか利用方法について、大雑把にいって同じような教育や経験を経てきたから自然にこうなったということだろう。
男女差に見えたものも、教育や置かれる環境や世間の期待や…まぁいってみれば伝統? によって規定された部分があると、その伝統が崩れたときに胡散霧消していく。要するに生まれつきでなく社会的な性差ということだけれど、それなら社会的な性差を取り払えば(そんなことにもし成功すれば)性差はなくなるのかというとたぶんそんなことはないだろう。ただ今当たり前と見えている形とはかなり違う、あるいは小さなものになるかもしれない。
エンヤコラと船を漕ぐ…のも少し楽になったりしたらおもしろいよね。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)