アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

絶対音感にもいろいろあるらしい

2020年02月07日 | ピアノ
昨日の記事に貼った「三分クッキング」の関連動画を辿っているうちに、
かてぃん×あきた対談② 絶対音感について語ります。音が文字に聞こえるって本当? ピアニスト角野隼斗氏と話してみた
を見たのですが

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お二人とも、いわゆる「絶対音感」なるものを持っていて、それを活かして耳コピアレンジとかをよくやっているわけですが、そうやって発揮されている場面だけを見ると「同じ能力」のように見えるところ、主観的にはかなり異なる仕組みのようです。

音を聞いたときに、「あ、この音だ」という把握が、
あきたさんのほうは手の感触として
かてぃんさんのほうは「ド」「レ」「ミ」(という発声)として
まず、なされるようです。

もちろん、音の高さがまず「何」になるかという、その人の認識の入り口がどこかという違いであって、
そののち、あきたさんも当然、それをドレミに変換して言うことができますし、
かてぃんさんもそれを手の動きに変換して弾くことができるわけですけどね。

それでも、「音が聞こえた」というところがまず何の感触に近いか、というのは、
何かのシチュエーションでは、何ができて何ができないかという結果に関わったりするんだと思います。

かてぃんさんは面白いことをいっていました…
歌を聞くと、それがドレミで聞こえてしまう(ドレミで歌っているように聞こえてしまう)
歌詞が頭に入ってこないのだと。

そういう仕組みの絶対音感なのですね。

これを聞いて、「ご冗談でしょうファインマンさん」の中にあった「ワン・ツー・スリー…」という話を思い出しました。

一定のテンポで数を(心の中で)かぞえる練習をしてもらって、たとえば100まで数えたら安定してほぼ1分という状態にしておく。

それから、何か別のタスクをしながらこの「1分カウント」をやってもらうんです。あるタスクをしたときにダメダメになる(1分からすごくズレる)とすればそれは、カウントするのにたぶんタスクと近い仕組みを使っているんだろうと…たとえば、ファインマンさんの場合、しゃべると絶対ダメだったそうですが、友だちで、いくらしゃべっても大丈夫な人がいて、でもその人は逆に視覚的なタスクだとダメだったとか。

数を数えるなんて当たり前のようなことだって、人によって脳みその別のところを使っているわけで、
絶対音感もそうなのでしょうね。いろんな仕組みで結果として似たようなことができているのだと思います。

小さいころやらないと絶対音感が育たないとはよく言われます。まぁそれはある程度ほんとうなのでしょうが、違う仕組みで似たことが可能になるというのはいくらでもあることだと思います。

さらにいえば、目的はふつう、絶対音感そのものではないはずで、
たとえば耳コピがしたいのであれば、絶対音感がなくても耳コピはできますし(調が間違っていてもいいとする、あるいは基準音を聞いてからやる)、
あるいは「ピアノでよい演奏をする」という目的であれば、絶対音感の有無とは違う方向の耳の良さで役に立つでしょう。響きの美しさを聞くとか、ノリを感じるとか。

絶対音感だけをとっても実はその仕組みはひととおりではなく、さらに「音楽をするために良い耳」となればよくわからんくらい幅広くなります。その面のいくつかは大人になってからでも十分伸びるでしょう…と確信持っていえるのは、自分でも、決して若いとはいえない年になってから伸びたと思いますし、それこそ、定年過ぎてからピアノ始めたような方でもちゃんと伸びていっているからです。(耳がよくならなくてはピアノだってうまくならないはずですからね)

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コメント (7)
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