アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

またろうの作り方: 保育ボランティア(四年生)

2009年11月05日 | 高専生活
またろう中二のときの「職場体験」というのがあったが、実はその前にもまたろうは保育園でお手伝いをしたことがある。

三年生の春休み、3/31までは学童があり、同じ春休みの中で4/1からは学童がなくなってしまう(四年生だから)という制度の端境期に、ふつうだったらもう心配しないんだろうけど、またろうだからねぇ。いきなり一日野放しというのがあまりに不安で、古巣の保育園に泣きついて、保育ボランティアという形で受け入れてもらったのだ。面倒みるんだかみられるんだか微妙な年齢で、もちろん小学生のボランティアは前代未聞。

その四月の様子、保育日誌(という名目で親が勝手に作ったノート)より。[楽しかったこと]などの項目は、親が設定したもの。
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[楽しかったこと] ぼくはちゃんとみんなとあそべました。(あそべたのは2しゅるい)(1)午前 (2) 午後
(1) は、うまさんこうえんへいってピラミットをのぼったりみんなとかくれんぼをしてあそびました。
(2) はだいたいみんなでキックボードであそびました。そしてみんなではないけど三人とかいじゅうたおしをしました。
[困ったこと] かいじゅうたおしでぼくかいじゅうにされたこととピラミットやかいじゅうたおしやキックボードで全員であそべなかったこと。
[工夫したいこと]こんどはあそんだことを全員でしようとおもいます。そしてみんながおひるねしてるときはじめてぼくのじさくひんをつくろうとおもう。
=== 先生から
四日間お疲れ様でした。またろうくんの成長した姿にはびっくりしましたヨ!! いろいろなことに気がついて、自分からお手伝いをたくさんしてくれたり、子どもたちともたくさんあそんでくれました。みんなもすぐに「お兄さん(^-^)」と甘えてしまうほどでした。四日間という短い間でしたが、みんなとても良い思い出になったことと思います。お兄さんってすごい!! とみんなもお兄さん目指してがんばっています。ぜひまたあそびに来てくださいね。
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先生方は、幼児期のまたろうをよく知っているので、とにかくものすごく落ち着いたとびっくりしたようだが(もとがすごいから…)、まぁ役に立つとかいうレベルではないので迷惑な話ではある。小さい子たちは喜んだらしいが。

またろうの文章をみると、どうも開始時に「みんなと遊べるように工夫してね」かなんか言われたらしく、「全員と」遊ぶことにこだわっている様子が見られる。

四年生の夏休みにはまた、お盆を挟んで10日間くらい保育園に通った。このときは、春休みよりはこなれた感じで、自分が幼児に対して役に立つこと(遊ぶこと、何かつくってあげること、寝かしつけ)と、雑用の手伝いとして役に立つこと(草抜き、お便り製本、シールなどこまごましたものの準備)をある程度正しく把握している様子がみえる。

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[楽しかったこと] みんなとよくいっぱい遊べた。ふくろうのすべり台でなわをぶらんこにしていた。今日の人気メニュー: さかな
[お手伝い] おやつの前は、ひるねしてる間にイスを並べたり、そのあとおさら運んだりした。
[困ったこと] かぶとむしがとんでった。ふだんはとばないかぶとむしだったのでゆだんした。
[工夫したいこと] 林間学校へいってつかまえられたらかぶとむしをあげたい
=== 先生から
とら組でかっていたかぶと虫が目の前でとんで行ってしまってびっくりしたね。またろう君が「林間学校へ行ったらかぶと虫を見つけて持ってきてくれる」と言ってくれたやさしい気持ちうれしいです。見つからなくても大丈夫だよ。他にも保育園にかぶと虫いるからね。
園便りの表紙折り全部仕上げてくれて今日も助かりました。
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[楽しかったこと] かぶとむしのおすとめすをあげたらよろこんでくれた。うれしかった。
[困ったこと] プールバッグをわすれてプールに入れなかった。
[工夫すること] こんどはごはんをたべすぎないようにおかわりをしないようにする。(注: どんぶりめし3杯、お味噌汁2杯平らげたらしい)
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かぶと虫を一匹逃がしてしまったらしいが、ちょうどまたろうが林間学校に行く時期だったので、オスメス一匹ずつを捕まえてきて返すことができたらしい。それにしても、[困ったこと] [工夫すること]がこれというのは…

--- 最後の日
今日、Yくんにしゅりけんをつくってあげた。そしてひるごはんをたべてみんながねているあいだに九月のなんとかだより150まいをおっていました。今日ぼくがボランティアおわかれなのでパーティーをしましたみんながさよならをいっぱいいってくれてうれしかった。またきたいです。そしてくもんの日とまちがえて4:00にかえってしまいました。
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なかなか最後までまぬけな感じで終わったけど…

夏休みに、保育園で「ボランティア」をすることは担任のM先生にも伝えてあったので、M先生は「心配になり」、保育園までまたろうの様子を見に行ったようだ(保育園は小学校の真向かいにある)。

=== M先生より
かいじゅうたおしでかいじゅうにされたこと、またろう君がえんのみなさんよりお兄さんとおもわれてるしょうこね。
せい本のお手伝い、またろう君にとってもあってたのね。ニコニコしていたもの。カブトムシよかったね。
プールのあと体をふくお手伝いのを呼んで私はニタニタ。学校で体をふくまたろう君を思い出しました。ひなんくんれんのヘルメットの話(*)、またろう君ごめんね、わらってしまいました。小さなヘルメット用意してあげたいな。
「ねかしつけ」はプロですね。
またろう君のこと、えんのお友だちはきっと忘れないでしょうね。年のちかい先生て、それだけでも、うれしいものよ。せきにんをもって仕事をやりとげることができましたね。夏休みにしか体験できないこと。できることをまたひとつ増やしましたね。
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(*)中学生のボランティアは大人のヘルメットだったが、自分は子どもと同じ布の防災頭巾だったこと。


昨日の問題の解答:

数字が見にくいですが 「2分の11ルート3」と書いてあります。
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またろうの作り方: 数学できるかな

2009年11月04日 | 高専生活
小学校低学年のころのまたろうは、
・本人は、算数ができないと思っている(九九が覚えられないから)
・親と先生は、算数が得意になる子だと予想している
という状態だった(「またろうの作り方: 算数できるかな(数の世界の入り口)」参照)

親と先生の予想は、主観的な感触にすぎず、実証されたことのない能力のようなものである。算数の能力を測る指標として、「九九を覚えるはやさ」を考えるならほぼ最悪(クラスでビリ)だったわけだが、あとは学校でやるテストだろうか。

公立の小学校でやる算数のテストは、非常に簡単な問題しか出ないから、よほど基本的な概念を取りこぼしていたりしなければ、後に算数数学がぼろぼろになる子も含めて満点が取れても不思議がないものばかり。事実、半分以上の子が満点というのが普通の状況だっただろう。

しかしまたろうは、どんな簡単なテストでも満点を取ることはなく、「問題に気づかずとばす」「判読不能文字」「計算間違い」「問題読み違い」のオンパレード。それ以前に、「横道に逸れていてテストに取り組み損ねた」なんてのまであり。

私がちょっとしまったと思っているのは、この、公立小で明らかに平均レベルを下回っていたまたろうが、中学入試で出てくるようなパズル的難問に取り組んだとしたら、どんなレベルだったのかを確かめなかったことである。ひょっとしたらできたかもしれない…あるいはできなかったかもしれない(そもそも問題が読み取れないかも)…でもちょっと知りたい。実際には、生活全体が混沌としていてそれどころじゃなかったんだけど。

中学校に上がると、もっと明確にテストの点数で評価されるようになる。定期テストの数学の問題は、どれもむちゃくちゃ簡単で、考えるところもないほどであるが、相変わらず、上記のような理由で満点をとれないまたろう。加えて、テスト頭に必ず載っている知識問題で、教科書に載っているキーワードが書けない(-_-;; という理由により、うっかりでなくコンスタントに点数を落としてきた。漢字が書けないせいという場合もあったし、言葉自体覚えてないこともあった。

中一の秋ごろからI塾に通うようになって、このときからようやく、「数学が得意科目である」という位置づけがはっきりするようになった。数学のテストは相変わらずそんな感じではあるけど、難しい問題も簡単な問題とほとんど変わらない率で解けるので(笑)、学校の定期テストなどに比べれば相対的な位置はぐっと上がる。上がるといっても偏差値で50台後半とかせいぜい60とか。でも英語や国語がずっとしょぼいので、どれが得意かは明白になった(^^;;

I塾テストでも不完全燃焼な点を取り、学校でも決して5は取れず、そんな状態で中二後半。このころ、大きな変化が起こった。字を書くという行為に対する敷居の高さが突然ぐっと下がったのである。漢字も、これまでいくら練習しても覚えられなかったのが、練習すれば覚えられるようになった。

そもそも、数には強そうなのに計算を間違えまくるのは、何でも暗算に頼っていたからである。連立方程式とか、ふつう暗算で解く人はいないと思うが、またろうはしばらくぼぉっと眺めていたかと思うと、やおら答えだけ書く、というようなことをしていた。そりゃ間違えるわ。。

字を書くのがおっくうでなくなってきたようなので、ここで一気に途中式が書けるようになってほしいと思い、公文につっこんだ。I塾に通いながら、公文に通う子は滅多にいないと思うが、またろうにはこれがぴったりハマった。

そこからの快進撃は去年のブログに書いたとおりである。

学校の成績にも改善があった。ノート提出ができないため、通信簿で「5」を取ることは絶望的な状況だったが、見かねた担任の先生が、まともな子からノートを借りて、コピーを取ってまたろうに渡してくれた。それを写して提出し、初めて5を取った。

この超恥ずかしい事態を経て、ようやく自力でノートを取るようになったまたろう。定期テスト前には、母の強制的な書き取り練習も入るようになり、ようやく数学で5を取れる体勢ができてきた。

なんにせよ、数学だって字が書けなきゃ始まらないというお話でした。

さて、いつも超簡単な問題しか出されなかった、中学校の定期テストであるが、なぜか中三最後の期末テストでは、学校の授業と特に関連のない問題が突然出された。学年で三人しか正解しなかったそうで、またろうはこのめずらしい成功体験を今でも覚えていて、ブログ用に再現してくれた。



ま、この問題を正解しても、プラマイ逆かなんかでやっぱり満点じゃないところがまたろうのまたろうたるゆえんではあるけど…またろうが確固たる自信を持てる分野ができたということは、たいへんめでたいことである。
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「つぶしがきく」人材とは

2009年11月03日 | 高専生活
(昨日ご紹介したウィンドカーの作り方補足を末尾に掲載しました)

高専の文化祭を回りながら、卒業研究その他を見せてもらいながら、いろいろつっこんだ質問をしていくなかで、ちょっと気になることがあった。

つまり、「それでこれは、従来技術と違う、どういう特長があるんですか??」「どういう点で得になることを狙っているのですか??」という質問をすると、まったく答えられないことがけっこう多かったのだ。

卒業研究は、先生に提案やアドバイスをもらいながらなんかいっしょうけんめい作っていって、でもそれだけではなくて、爪の先くらいの「何か新しいこと(技術の改善や新しい知見)」を狙って…その結果やっぱりうまくいきませんでした、でも全然かまわないから、ともかく何か、1ミクロンのオリジナリティー(を目指す心)がほしいと思う。

どのみちたいしたことができるわけではないんだけど、その中で、全体を「研究」としてまとめるポーズの付け方みたいなものを学んでほしい。

この考え方はおかしいだろうか?? 私の知っている卒業研究は大学のそれであって、高専のものではない。大学と高専では「二歳」ずれている。だから求められるものが違っても不思議はないのだけれど、高専は一般教養的な無駄(?)を省いて、専門科目の面では同じくらいの高さを目指しているのではないだろうか。と、とりあえずは贅沢をいってみる。

もちろん、並んでいる「作品」の数々を見ると、ほとんどの理系大学生にはマネができない工作技術に支えられて、「ごりっ」とした機械が出来上がっている。そこは魅力だと思う。けれども、そういう「手に職」の部分だけでは一生食っていくことはできない。

またろうが高専志望を決めたころ、会社で技術者研修みたいなのがあって、そこに講師に来た「社内ですごい高いところまで出世した技術者」がいた。その人のスピーチの中で、その人が高専出身であることがわかったので、後のパーティーでつかまえて話を聞いてみた。

すると、その人は高専を出てから大学編入したので、会社から見た扱いは大卒(あるいは院卒)。「通信」が専門だったので、高専卒で就職した友だちの多くは船に通信士として乗り込むなどの道に進んだそうだ。就職の際には「引く手あまた」な状態だったが、その後、船で使う通信の方法に技術革新があり、職を失った人も多いとか。

「ある技術分野を極めることは、それだけでも大きな価値がある。しかしそれは一生ものではなく、必ずその技術は陳腐化するので、いつも新しいところに進んでいける力を持っていなくてはいけない」「新しいところでも、ある技術分野を極めた経験はきっと役に立つ。また、そのように別の分野に行ってからも役に立つような方法で極めておく必要がある」「あなたの息子さんが高専を目指したい気持ちはよくわかるし、私も高専に行ってよかったと思っているが、親として心配になる気持ちもよくわかる」というようなことをその人は言っていた。

私なりに解釈すると、その「いつも新しいところに進んでいける力」というのは、例えば、自分が今作っているものを一歩引いて見て、位置づけについて把握でき、それをまた説得力を持って語れる力ではないかと思うのだ。作るだけで終わってしまうのは危険である。

ウィンドカーを作りながら話をした彼は、「組み込み」技術を学ぶためのシステムを作っていると言っていた。学ぶためのシステムってところがおもしろい。「そのシステムを作って、学習効果がどれくらい上がるかの測定までいけそうですか??」と聞いてみたら「いや全然、作るだけでめいっぱい終わってしまいそうですね。でも僕は専攻科に行くのでまだ続きができますよ」とのこと。がんばってね!!


ウィンドカーの作り方:
作り方がわかるように後ろから撮ってみました。

車輪と車体の間や、風車と車体の間には、短く切ったストローを通してすべりをよくしています。

作り方のツボは、ゴムのかけ方です。風車は、速く回るけど力弱く、車輪はもっとずっとゆっくり回ればいいんだけどある程度パワーがないと進めません。なので、風車側は竹ひごに直接ゴムをかけ(直径を小さく)、車軸の側は、写真でいうと赤い丸いのをつけてその上にかけています(直径を大きく)。

この赤いパーツは、竹ひごがしっかり通って固定でき、輪ゴムがずれずにかかるように溝がついているすぐれものです。車輪も竹ひごに差し込んだだけで固定できるつくりになっています。

こういう、すぐれもののパーツが揃っていて寸法も決まっているキットでしたら、作るのは「あっという間」で、逆にいえばおもしろいところもたいしてありません(遊ぶのはおもしろいけど)。材料や寸法を試行錯誤して作るなら、もっとずっと時間がかかるけどプロセス自体がおもしろいでしょう。

でも、手軽に楽しめるほうがいいな、という方には、今回ゲットしたパーツをばらして郵送します。先着二名まで。メールまたは旧ブログの非公開コメントを使ってご連絡ください。
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またろう文化祭

2009年11月02日 | 高専生活
よしぞうは太鼓、はなひめはデイキャンプ、こじろうは家で早慶戦を見るというので、昨日はまたろうと二人で文化祭を回った。メインの機械・電子・電気のあたりは土曜日に回ったのでそれ以外へ。

またろうが歩いていると、クラスメイトに声をかけられ「ワッフル食べに来て。ぼくの名前出したら100円引きだから」。そこでせっかくなので行ってみると、ステージや屋台があってにぎわうあたりからぐっと離れた屋内企画(しかも四階)、漫研など文化部系がひっそり並んでいた。

写真同好会と美術部が、いずれも単独では一部屋が埋まらないので共同で展示している部屋があり、そこが喫茶店風のしつらえでワッフルと飲み物のセットが出る。そこで激甘のワッフルとコーヒーをいただきながら、しずかに絵と写真の鑑賞。

我々のほかに親子連れが来ていて、その男の子(小一くらい?)が受付の男の子に「これ何?」「これどうして~なの??」と「これどうやったら~なの??」とひっきりなしに質問攻め、それをまた受付の子がとても丁寧に説明したり相手をしてあげていて、最初は知り合いの子なのかなと思ったが帰っていくときの様子からみてぜんぜんそんなことはないらしい。

別の子たちが受付に戻ってきて、係の子たちの会話。「このかぼちゃの入れ物(戻ってきた子のお手製らしい)子どもに人気だぞ。すごいいじられてたけど」「あ、オレ、ウェイターやりたいけどいい?? もうすぐ親が来るから」「そう? あーオレなら逆だな…」

まったりした雰囲気。高専の子たちの応対は、そつなくてきぱき、の対極にあるものの(^^;; またろうに慣れた目にはなんだかかわいらしく好ましく映る。そういえばまたろう中二のとき、文化祭に来て屋台でコロッケを包んでくれた男の子などの様子を見て、またろうをここに置いたら似合う!! と惚れこんだんだっけ。

そこを出て、さらに人気(ひとけ)が少ない工場前に「車」を見に行った。この車は燃費競争に出すもので、ガソリン1リットルあたり200キロ以上走れるらしい。行ってみると、他にお客さんもなく、係員はみんなくつろいで飲み食いしたりしているところだったが、ずうずうしく「今は動かさないの??」と聞くと、「あ、じゃあ」と気軽に運転者が乗り込み、走らせてくれた。一人分がきっちり収まる、半分寝たような形で乗り込む座席である。

軽快なエンジン音とともに、つーっとスムーズに走り出したが、途中でごろんと何か落ちた。「バッテリー落としましたよ~」。でも何事もなかったように戻ってきて「あー落ちましたね」と拾う。「乗り心地どうですか?」と聞くと、「見た目ほど窮屈じゃなくて、わりと収まりがいいんですよ。でも振動がモロに来るからそっちはきついですね」

そこを通り過ぎてさらに閑散とした情報棟へ。プログラミングコンテストで優勝したという、テレビ番組に2chの書き込みを重ねてみせるようなプログラムの説明を聞いたり、パズルを解くプログラムなどを見せてもらった。ここの説明員さんは、しゃべりなれた感じで内容もわかりやすく、質問にもてきぱき答えて冴えてる。プロコンではプレゼンの良し悪しも大事だというからそういう雰囲気があるのだろうか。

情報の研究室のほうでは、「大車輪」をする機械がおもしろかった。これは、「制御」がテーマで、センサーで角度を検知しながら、ぶんぶんと足(?)を振ってだんだん勢いをつけてぐるんぐるんと鉄棒の回りを大車輪で回るというもの。ぜんぜん人間ぽくない、ただの棒なんだけど、勢いをつけるときの動きは、オリンピックの体操競技で見る動きを思い起こさせて、妙に人間的。

ひっそりと「ウィンドカーを作りたい人は声をかけてください」のビラが貼ってあり、入っていくとほかに親子が一組。でも我々が作り始めたころちょうどいなくなって、係の人と私たちだけ、しずかーなひととき。

わかりやすい説明書がついて、材料ひと揃えがパックになったキットを渡してくれるのでとっても簡単。なんでもこれは、サイエンスフェスタのときの「八王子子ども塾」企画として準備されたものだったのだが、二日目が中止になりキットが大量に余っていたものだそうだ。それにしては、宣伝が足りないのでほとんど知られておらず、もう文化祭二日目も終わろうという時間なのにまだ大量にあるように見える。

手を動かす間、暇なので、係の五年生のやってる卒研の話などを聞きだしてぼちぼち会話をしながら進める。完成はこんな感じ。


簡単でかっこいい~。付属の「高専うちわ」で風を送ると、風車が回り、それが輪ゴムで車輪に伝わり、風に向かって進んでいくところがおもしろい。

ステージ・イベントの方に行くと、ダンスで盛り上がっていたが…実は、このほとんどは別の学校の子たちで、高専生は三人しかいないらしい…その後の「校長先生とRadio」というトークイベントがすごかった。

校長先生とインタビュアーの、どんどんずれていくトークが絶妙で、観客は少なかったが爆笑の渦だった。
イ「じゃ次は悩み相談コーナーです。えーと、『エスカレーターをつけてほしい』…」
先「どこにでしょうね?」
イ「どこなんでしょうか? 階段を登って上のほうの教室に行くのが面倒ということかも」
先「自分たちで作るというのはどうでしょうかね」
イ「高専生らしくですか、作れますかね」
先「私が通勤で使う駅でね、エスカレーターがあるんですがとても遅い設定なんですよ。遅すぎるんでたいていみんなその上でも自分の足で登るんです。だからよく考えてみますとね、それをどんどん遅くしていくでしょう、そうするとみんな自分で登るようになるんですよ。健康にもいいですね。極限まで遅くするとなると、それはまぁ階段ですよ」
…こんなナイスガイだったとは知らなかった。
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またろうの作り方: 「チューチューZ」現る!!

2009年11月01日 | 高専生活
またろうと「波長がぴったり」のM先生との四年生はあっという間に終了。次はクラス替えして担任も変わり、卒業までの二年間はそのままいくはず…

だからどんな先生になるかはどきどきだった。

そして、現れたのは「チューチューZ」先生(以下、「Z先生」)だ!!

「チューチューZ」は先生がプリントなどによく登場させるキャラクターで、基本的にネズミだがマジンガーZ並に強い正義の味方(だと思う…)。イラストがうまい先生なのでまたろうはだいぶその影響を受けたみたい。

Z先生はかなりマニアックな方で、なにしろ新しい「宿題カード」(このシステムは前年度より受け継がれた)の表紙を開けると、両手を上げているまたろうの写真をアレンジした、PSP画面風のものが貼ってあるほどである。

画面上部「HP800/300 [笑う] [走る] [飛ぶ] [手を下げる] [手を上げる]」
画面下部「またろうがあらわれた!!」
左側にはカーソルキー、右側は△□○×ボタン。

=== 家から
(参観のとき)サッカーの話のときはずっといたずら書きに熱中していたまたろう。音楽は熱心に取り組んでいました。けっこうムラはある
=== 先生から
やる気になるとやれるのですが…
=== 家から
「きょううれしいことがあった」というから何かと思ったら、あんまりよめなかったからもう一度読めと(家で)いわれた音読が宿題になってて一石二鳥だったこと(笑)
=== 先生から
小さな幸せ
=== 家から(メモ用紙に書いて後日貼り付け)
宿題カードなくしたそうです。音読はたぶんないと記憶を頼りにいってたけどほんとかな。
=== 先生から
プリントで配りました。毎日ありますよ
=== 家から
あれあれ
(音読の「早口言葉」について) まぁまぁがんばっていたけど母の勝ちですね
=== 先生から
親には勝てないと言ってました
=== 家から
(持ち物がベーコン、とろけるチーズ、パセリとあったので)
ベーコンもパセリもなくありあわせを持たせています。ひょっとしてもっと前に情報が来ているはずでしょうか?
=== 先生から
授業では予告してると思います。数日前には黒板でも知らせました。ジャガイモも必要だったのです。
=== 家から
たいへん申し訳ありません。またろうは「ジャガイモは学校で用意してくれるんだって」と自信をもって話していました。いったいあれは何だったのか…
=== 先生から
なぜ??

「ウェットに応援」してくれていたM先生に比べると、Z先生はもっとドライに距離を持って応援してくれている感じ。またろうは、スーパーロボット大戦の話にも自分よりはるかに詳しく、うる星やつらの話をしてものってくれて、ルービック・キューブも六面揃えられるZ先生を尊敬し(^^;; あっという間になついた。

上記のように、宿題や持ち物や提出などはちっともうまくいってなかったが、先生も「どうしても持ってきてほしい集金などは親に直メール」という手段などを併用してなんとか日々を回してくださっていた。

でも、年齢が進んだことは、いいこともあり困ったこともある。またろうも微妙に反抗期に突入し、回りの子も、アンバランスに成長していく時期なのだ。だから、先生との相性が良くてもトラブルは増えてきていた。つづく。
コメント
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