3月末にあるピアノの発表会で、モーツァルトを弾けないものかといろいろ考えていたのだが…
やはり、人前で弾くのは無難にフォーレのノクターンのほうにして、その練習に入る前にちょっとモーツァルトを弾いてみようと思った。
それで、レッスンにはK.V.310の三楽章を持っていった(といっても、まだほとんど弾いてないけど…)。すると先生がいうには、この一小節ずつ「>(デクレッシェンド)」が続くような音形は「嘆き」あるいは「すすり泣き」を示しているので、まずはこの「大小」が正確に弾けるようにすること、またそれでなくては(全部の音をがちっと弾いていては)どうやってもprestoにはならないのだということも言っていた。
それと、複音楽っぽくなる個所では、私の楽譜(全音の安いやつ)に書かれているアーティキュレーションが良くないといって修正し、バッハのカンタータにもよく出てくるやつで…などとひとくさり。なんというか、曲全体が嘆いている感じである。ともかくバッハのころには(ロマン派じゃないので)、メロディーもそれぞれ感情の表れというよりは、こういう「言葉」にはこういう「音形」というような約束事、パターンがきっちりあった。モーツァルトのお父さんのころはバッハの時代と重なっていて、もちろんモーツァルトの父もそういったことを熟知していた。云々。
それはそれとして、やはり「冬は何が起こるかわからないので(お互いのインフルエンザなど)」まずは発表会で弾くフォーレのほうをやっておき、途中で別の曲(モーツァルトなど)をやるという順番のほうが安全だという話になり、次からはフォーレをやることにした。
帰り際、私が、一番気に入ったのは「幻想曲」K.V.475だったが長さが論外だったというと、先生も、確かにいい曲ですが15分近くかかりますねという。先生はその曲を、修士の最後の試験で弾いたそうだ。「モーツァルトの幻想曲の次にプロコフィエフの戦争ソナタというプログラムにして、私はもう会心のプログラム構成だったんだけど誰も評価してくれなかったんですよ」…ん?? プロコですか??
モーツァルトの幻想曲は、えんえん最後のぎりぎりまで、c-molのⅠの和音は出てこなくて、ずーーっと不安定なまま…そしてすごく軽い感じでようやくⅠの和音が出てきて、最後はきっちりとシメ。
一方、プロコフィエフのほうは、無調といわれることも多いのだけど、よく調べていくとすごく古典的なパターンどおり、最初のテーマでなんとか、展開部でどうとか(…途中、トニック、ドミナント、サブドミナントなどの言葉が飛び交い、理解できなかったので再現不可)、機能和音をきちんと使っている。
要するに、
アバンギャルドなモーツァルトと古典的なプロコフィエフ
という対比がおもしろいと思ってこの構成にしたのだそうだ。修士論文の中身も、そのプロコフィエフの使った和音の進行についての分析だということで、先生としてはたいへん首尾一貫したプログラムだったのだろう。
「…でも審査員誰も評価してくれなくて、『とにかくプログラムがひどい』とかいろいろいわれちゃった」そうである(^^;; まぁなかなか変わった先生だ。
やはり、人前で弾くのは無難にフォーレのノクターンのほうにして、その練習に入る前にちょっとモーツァルトを弾いてみようと思った。
それで、レッスンにはK.V.310の三楽章を持っていった(といっても、まだほとんど弾いてないけど…)。すると先生がいうには、この一小節ずつ「>(デクレッシェンド)」が続くような音形は「嘆き」あるいは「すすり泣き」を示しているので、まずはこの「大小」が正確に弾けるようにすること、またそれでなくては(全部の音をがちっと弾いていては)どうやってもprestoにはならないのだということも言っていた。
それと、複音楽っぽくなる個所では、私の楽譜(全音の安いやつ)に書かれているアーティキュレーションが良くないといって修正し、バッハのカンタータにもよく出てくるやつで…などとひとくさり。なんというか、曲全体が嘆いている感じである。ともかくバッハのころには(ロマン派じゃないので)、メロディーもそれぞれ感情の表れというよりは、こういう「言葉」にはこういう「音形」というような約束事、パターンがきっちりあった。モーツァルトのお父さんのころはバッハの時代と重なっていて、もちろんモーツァルトの父もそういったことを熟知していた。云々。
それはそれとして、やはり「冬は何が起こるかわからないので(お互いのインフルエンザなど)」まずは発表会で弾くフォーレのほうをやっておき、途中で別の曲(モーツァルトなど)をやるという順番のほうが安全だという話になり、次からはフォーレをやることにした。
帰り際、私が、一番気に入ったのは「幻想曲」K.V.475だったが長さが論外だったというと、先生も、確かにいい曲ですが15分近くかかりますねという。先生はその曲を、修士の最後の試験で弾いたそうだ。「モーツァルトの幻想曲の次にプロコフィエフの戦争ソナタというプログラムにして、私はもう会心のプログラム構成だったんだけど誰も評価してくれなかったんですよ」…ん?? プロコですか??
モーツァルトの幻想曲は、えんえん最後のぎりぎりまで、c-molのⅠの和音は出てこなくて、ずーーっと不安定なまま…そしてすごく軽い感じでようやくⅠの和音が出てきて、最後はきっちりとシメ。
一方、プロコフィエフのほうは、無調といわれることも多いのだけど、よく調べていくとすごく古典的なパターンどおり、最初のテーマでなんとか、展開部でどうとか(…途中、トニック、ドミナント、サブドミナントなどの言葉が飛び交い、理解できなかったので再現不可)、機能和音をきちんと使っている。
要するに、
アバンギャルドなモーツァルトと古典的なプロコフィエフ
という対比がおもしろいと思ってこの構成にしたのだそうだ。修士論文の中身も、そのプロコフィエフの使った和音の進行についての分析だということで、先生としてはたいへん首尾一貫したプログラムだったのだろう。
「…でも審査員誰も評価してくれなくて、『とにかくプログラムがひどい』とかいろいろいわれちゃった」そうである(^^;; まぁなかなか変わった先生だ。