人類の発明の中でも、特にすごいなと思うもののひとつが、ワクチン。
初めにできたのは「種痘」だが、これの何がすごいって、こんな方法を思いついたのもすごいけど、病気を絶滅させて、ワクチン自体をいらなくしてしまったことがとにかくすごい。
・防ごうとする病気が重大なもの(死ぬようなもの)であること
・効果が高いこと(打ったらまずかからない)
・効果が長続きすること
・発病だけでなく感染自体を防ぐので、流行を阻止できること
その後、他のワクチンもいろいろできたけど、間違いなしのベスト・オブ・ワクチン。病気がなくなりワクチンを打つ必要もなくなれば、なんらかの事情(持病など)で打てない人、打ってもうまく免疫がつかなかった人も守られるし、ワクチンの副反応で苦しむ人もいなくなる。完璧なゴールといえる。
これに比べると、今話題のインフルエンザワクチン君はかなり見劣りする。
打ってもかかることはけっこうあるし、毎年打たないといけない。接種率を上げても流行を防ぐ力がほとんどない。
これは、考えてみればあたりまえで、種痘とは根本的にデキが違う(生ワクチンでなく不活化ワクチン)。血中の免疫は高めるけれど粘膜上の防御はできない。インフルエンザは特に、まず喉の粘膜あたりに取り付いて自分をどっと増やしてから、血中に入り込む(そして人間は本格的に寝込む)という振る舞いをするもんだから、やっかいな話だ。
しかも、インフルエンザが多様な型を持ち、さらにそれをコロコロ変えるっていうのだからワクチンも力を発揮しにくい。しかも、豚だの鳥だのもからんでくるわけで、人間様の接種率をどうこうしたって、絶滅させるのは土台無理。
…それでも。
もしかかっても軽く済むならうれしいし、かからないですむのならもっとうれしい。そのことがとてもとても大事で、とりわけ2月1日に寝込んでいるのは絶対イヤ!! という場合は、まぁやはりよほどの事情がなければ打つでしょう。
我が家でも去年は全員打った。はなひめは「なんで私も!?」とブーイングだったが、とにかくはなひめに寝込まれてもやっぱり困るわけで、ここは外せない。まぁ、はなひめだけ受験の年もみんなで受けてあげるからさ…
そして結果的に、2月には誰もインフルエンザにかからなかった。ありがたいことである。ワクチンのおかげかどうかは確かめようがないので一生わからない。ただ、打たないで当日かかったときの後悔(打っておけばかからなかったかも??)と、打ってもやはり当日かかってしまったときの後悔(結局かかるならお金と手間が無駄だった)の大きさを比べて、できることはやっておくのが吉と思ったまでである。
で、そこまでの事情がない年にどうするかといえば、インフルエンザに一番かかりたくないのはいつかと考える。それは、年寄りになって、インフルエンザでどうかすると肺炎から死ぬ、というときだと思う。
それまで、特に理由がなくても毎年打つとなると、手間もお金もけっこうばかにならないし、毎年まいとし打った場合に、何か悪いこと(何かって…何だかはわからない。副反応かもしれないし、アレルギーかもしれないし、ワクチン製造工程の誤りかも)が起きる可能性だってごくごく少ないとはいえじわじわと足し算されるだろうし、毎年打ち続けて年寄りになった場合と、そうでない場合に自分の免疫の状態に違いがないとも限らない。
要するに、はしかのワクチン(*)などと違って、回数が多すぎるのだ。そして、その病気が一番怖いのは年取ってからなのだから、気が長すぎる。
というわけで、我が家では様子見。私やよしぞうが老人になったころは、インフルエンザワクチンだってもしかしたら進化してて、「のどにシュー」かなんかで、もっとずっと効くワクチンになってるかもよ。
(*) はしかは、インフルとはだいぶ事情が違う。接種率を上げることで、ひょっとしたら絶滅までいけるかもというロマンがあります(感染を防ぐワクチンなので・人間しかかからないので)。
初めにできたのは「種痘」だが、これの何がすごいって、こんな方法を思いついたのもすごいけど、病気を絶滅させて、ワクチン自体をいらなくしてしまったことがとにかくすごい。
・防ごうとする病気が重大なもの(死ぬようなもの)であること
・効果が高いこと(打ったらまずかからない)
・効果が長続きすること
・発病だけでなく感染自体を防ぐので、流行を阻止できること
その後、他のワクチンもいろいろできたけど、間違いなしのベスト・オブ・ワクチン。病気がなくなりワクチンを打つ必要もなくなれば、なんらかの事情(持病など)で打てない人、打ってもうまく免疫がつかなかった人も守られるし、ワクチンの副反応で苦しむ人もいなくなる。完璧なゴールといえる。
これに比べると、今話題のインフルエンザワクチン君はかなり見劣りする。
打ってもかかることはけっこうあるし、毎年打たないといけない。接種率を上げても流行を防ぐ力がほとんどない。
これは、考えてみればあたりまえで、種痘とは根本的にデキが違う(生ワクチンでなく不活化ワクチン)。血中の免疫は高めるけれど粘膜上の防御はできない。インフルエンザは特に、まず喉の粘膜あたりに取り付いて自分をどっと増やしてから、血中に入り込む(そして人間は本格的に寝込む)という振る舞いをするもんだから、やっかいな話だ。
しかも、インフルエンザが多様な型を持ち、さらにそれをコロコロ変えるっていうのだからワクチンも力を発揮しにくい。しかも、豚だの鳥だのもからんでくるわけで、人間様の接種率をどうこうしたって、絶滅させるのは土台無理。
…それでも。
もしかかっても軽く済むならうれしいし、かからないですむのならもっとうれしい。そのことがとてもとても大事で、とりわけ2月1日に寝込んでいるのは絶対イヤ!! という場合は、まぁやはりよほどの事情がなければ打つでしょう。
我が家でも去年は全員打った。はなひめは「なんで私も!?」とブーイングだったが、とにかくはなひめに寝込まれてもやっぱり困るわけで、ここは外せない。まぁ、はなひめだけ受験の年もみんなで受けてあげるからさ…
そして結果的に、2月には誰もインフルエンザにかからなかった。ありがたいことである。ワクチンのおかげかどうかは確かめようがないので一生わからない。ただ、打たないで当日かかったときの後悔(打っておけばかからなかったかも??)と、打ってもやはり当日かかってしまったときの後悔(結局かかるならお金と手間が無駄だった)の大きさを比べて、できることはやっておくのが吉と思ったまでである。
で、そこまでの事情がない年にどうするかといえば、インフルエンザに一番かかりたくないのはいつかと考える。それは、年寄りになって、インフルエンザでどうかすると肺炎から死ぬ、というときだと思う。
それまで、特に理由がなくても毎年打つとなると、手間もお金もけっこうばかにならないし、毎年まいとし打った場合に、何か悪いこと(何かって…何だかはわからない。副反応かもしれないし、アレルギーかもしれないし、ワクチン製造工程の誤りかも)が起きる可能性だってごくごく少ないとはいえじわじわと足し算されるだろうし、毎年打ち続けて年寄りになった場合と、そうでない場合に自分の免疫の状態に違いがないとも限らない。
要するに、はしかのワクチン(*)などと違って、回数が多すぎるのだ。そして、その病気が一番怖いのは年取ってからなのだから、気が長すぎる。
というわけで、我が家では様子見。私やよしぞうが老人になったころは、インフルエンザワクチンだってもしかしたら進化してて、「のどにシュー」かなんかで、もっとずっと効くワクチンになってるかもよ。
(*) はしかは、インフルとはだいぶ事情が違う。接種率を上げることで、ひょっとしたら絶滅までいけるかもというロマンがあります(感染を防ぐワクチンなので・人間しかかからないので)。