昨日は、姉の一周忌が姉の住んでいた安城市で行われた。
土曜日から子供達と一泊で出かけた。朝、雨風の中、荷物をビニール袋で包んで。
名古屋に着いて、ホテルに荷物を預けてから、姉の家に行った。
丁度、新しく買った仏壇に、お坊さんが入魂のお経をあげていた。
小さな仏壇でいいよね、と言っていた子供達だが、私の実家の仏壇と同じくらいの大きさの立派な仏壇が鎮座していた。ビックリした。
その後で、姉の三兄弟の家族達と一緒に、特養の母に会いに行った。
総勢16人で行ったので、いつもは母の部屋のある階で話をするのだが、今回は、一階の広場で話をした。
いつものように、母は涙を流して喜んだ。孫の名前は覚えていたが、曾孫は、大きく成長して印象が変わっているので、言わなければ分からない子もいた。
姉が亡くなった事は言っていない。でも、何か、感じているような気がする。だって、毎日姉と一緒にいたのに、急に、姉が病気で入院したから、と、特養にお世話になった。それっきり、姉に会っていないのだから。
時の流れに取り残されたような生活をしていても、姉が顔を見せなくなってから、長い月日が立った事は何となく実感していることだろう。「どうして来てくれないんだろう」 と心に思っている事だろう。
私も、妹も、遠く離れて生活しているから、なかなか会いに行けない。
寂しいだろうな、悲しいだろうなと思う。母の、小さくなった車椅子の姿を思うと、胸が締め付けられる。もっと、会いに行ってやりたいが、私も夫が亡くなり、年金生活では厳しい。駅から車ではたいした距離では無いが、タクシーで行くのも大変だ。
姉が亡くなった時に、夫と母をこっちに連れて来る準備をしていた。それが、夫の事があり、キャンセルしてしまった。もっと前に連れて来ればよかったかなと思っている。
姉の一周忌の法要がお寺で行われた。
姉との数々の楽しかった事が思い出され、涙が止まらなかった。
寂しくて、悲しくて、辛くて堪らない。
でも、どんなに望んでも、どうにもならない。
私を名前で呼んでくれる姉も夫もいない。
物思いの秋、そして、寂しい冬が巡って来る。
土曜日から子供達と一泊で出かけた。朝、雨風の中、荷物をビニール袋で包んで。
名古屋に着いて、ホテルに荷物を預けてから、姉の家に行った。
丁度、新しく買った仏壇に、お坊さんが入魂のお経をあげていた。
小さな仏壇でいいよね、と言っていた子供達だが、私の実家の仏壇と同じくらいの大きさの立派な仏壇が鎮座していた。ビックリした。
その後で、姉の三兄弟の家族達と一緒に、特養の母に会いに行った。
総勢16人で行ったので、いつもは母の部屋のある階で話をするのだが、今回は、一階の広場で話をした。
いつものように、母は涙を流して喜んだ。孫の名前は覚えていたが、曾孫は、大きく成長して印象が変わっているので、言わなければ分からない子もいた。
姉が亡くなった事は言っていない。でも、何か、感じているような気がする。だって、毎日姉と一緒にいたのに、急に、姉が病気で入院したから、と、特養にお世話になった。それっきり、姉に会っていないのだから。
時の流れに取り残されたような生活をしていても、姉が顔を見せなくなってから、長い月日が立った事は何となく実感していることだろう。「どうして来てくれないんだろう」 と心に思っている事だろう。
私も、妹も、遠く離れて生活しているから、なかなか会いに行けない。
寂しいだろうな、悲しいだろうなと思う。母の、小さくなった車椅子の姿を思うと、胸が締め付けられる。もっと、会いに行ってやりたいが、私も夫が亡くなり、年金生活では厳しい。駅から車ではたいした距離では無いが、タクシーで行くのも大変だ。
姉が亡くなった時に、夫と母をこっちに連れて来る準備をしていた。それが、夫の事があり、キャンセルしてしまった。もっと前に連れて来ればよかったかなと思っている。
姉の一周忌の法要がお寺で行われた。
姉との数々の楽しかった事が思い出され、涙が止まらなかった。
寂しくて、悲しくて、辛くて堪らない。
でも、どんなに望んでも、どうにもならない。
私を名前で呼んでくれる姉も夫もいない。
物思いの秋、そして、寂しい冬が巡って来る。