ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

FC東京、鳥栖に引き分ける。

2011-10-23 23:11:05 | FC東京とサッカー
東京にとって、大事な一戦。

私にとっては、それ以上に楽しみな一戦だった。

一緒にずっと東京を応援して来た友達の一人が、旦那さんの仕事の都合で鹿児島に引っ越してしまった。東京生まれの東京育ちの彼女は、ガス時代から東京を応援していた。

会ったばかりの頃は、「カガミくん、カガミくん」と言っていた彼女。

J2最後の新潟戦は、一緒に一泊応援バスツアーで行った。

自力での昇格の無い東京。バスの中は、私達とフロントの人との話し合いで沸騰していた。

フロントの人が、「私達は、J2に残る事は考えていませんでした。J1に上がってからの準備しかしてないです。どうしても上がってもらわないと」 と言った。

夜も宿の大広間での食事会は、村林常務も一緒だったので、大議論となり、食後も延々と続いた。

途中から友達は、ガス時代からの友達と一緒に、「サポーターの闇鍋に行って来るね」と出ていった。

そして、あのドラマのような昇格劇。そして、選手もサポーターも皆一緒にJ1昇格を祝って乾杯した、あの夜。

あれから、喜びも悔しさも共に分かち合った彼女は、J2降格と共に鹿児島に行ってしまった。

彼女が観戦出来る貴重な鳥栖戦。今年3回目の生観戦だという。

前2回は引き分けたから、今日は絶対に勝ち試合を見たいと、言っていた。

でも、今日は引き分けてしまった。

「今年、3回しか見てないんだよ。勝つ所を見たかった。全部引き分け…。」 と涙ぐむ。

今日は、パスミスが多かった。なかなかゴール前まで、ボールが運べなかった。ルーカスもピタっと張り付かれて仕事をさせてもらえなかった。

これだけ混んだ日程なら、こんな日もあるさ、とポジティブに考える。

次は、コンちゃんがお休み。ゆっくり休んで、ダービーで頑張ってもらいましょう。ダービーには鹿児島のお友達が見に来る事になっている。今年4回目の生観戦の彼女の為に、ぜひ勝利を。

試合後、彼女達夫婦と夢中で話していて、気が付いたらスタジアムには、ほとんど人がいなくなっていた。

外に出たら、東京選手達の出待ちの沢山の人達にビックリ。地元の人達みたいだ。

もう少し歩いたら、小型の貸し切りバスが止まっている。鳥栖の選手達用かな?出待ちらしい人達がいるからそうなのかも。でも小さい…

遅く出て来たけど、駅への歩道橋は登る人の長い行列が出来ていた。

やっと駅内に入り、上りと下りに分かれて帰った。博多駅で“極チャンポン”を食べた。美味しかった。

明日は吉野ヶ里遺跡に行く予定にしていたが、帰りの飛行機の時間を考えて計算し直したら、あまり余裕がないので止める事にした。

勝てなくて、今日はちょっぴりくたびれた。
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羽田にて

2011-10-23 11:39:14 | FC東京とサッカー
鳥栖は思い出の場所。私が東京のサポーターになって、初めて一泊応援ツアーに参加したのが鳥栖戦だった。

参加者は数えるほど。福岡空港に着いて迎えに来た観光バスに乗り込んだのは、フロントを入れても10人いたか。

その時、いっしよだった彼女は、私が初めて日帰り応援ツアーに参加した時、声をかけてくれた人だった。

サッカー応援初心者の私には分からない事だらけだった。

雨の市原臨海でのナビスコ戦は、今の私への入り口であり忘れられない体験だった。

その時の彼女とは、その後は別々の仲間と別々の場所で応援していた。スタジアムで会えば、熱く語り合う仲だった。

ある暑い夏の国立競技場。日陰で開門を待っている私に、知り合いの男性が、「○○さんが亡くなったの知ってる?」と言った。

その日の試合はシッョクで覚えていない。

まだ若くて、丸いメガネをかけて、太陽のように、丸く笑う人だった。一人娘と聞いている。ご両親の嘆き苦しみを思うと心が痛くなる。

東京を応援し始めて12年、いろいろな事があったな、としみじみと思う。
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