ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

調理実習室

2011-10-10 14:17:43 | 南ちゃんと南山
来週の土曜日曜は、稲城市の市民祭り。毎年、春と秋に開かれている。

“南ちゃんの会” では、春には南ちゃん手作りのマーマレードやリサイクルショップを、秋には食べ物のお店を出す。

一昨年、初めて秋の祭りに参加した時には、コーヒーとキノコ汁、南ちゃん手作りの梅干、焼き芋、朝採り野菜等を。

初めは、ドライカレーを出そうと、市の調理実習室で作って試食をした。美味しい美味しいと意気込んで、申し込みに行ったら、ドライカレーはダメと言われた。それでしょうが無く、キノコ汁にした。

キノコ汁も梅干も好評だった。意外とコーヒーが良く売れた。

去年の秋は、オヤキをしょうと市役所に聞きに行ったら、OKと言う事で、これも調理実習室に集まって試食会をした。

でも、結局は、オヤキの皮が手作りなのがいけないみたいでダメになる。あれはダメ、これはダメで、結局作る物が限られて詰まらない。それなのに、市民が安い値段で売っているのに、場所代に1万9千円も払うのは高すぎる。確かに、テント等の設営に業者に払うのだろうが、その内訳を知りたいと思う。

去年、秋の市民祭が台風で中止になった。事前に払い込んだ場所代は、払い戻ししませんと言われ、ウチの会長が激しく抗議した。皆が事前に材料も仕入れているというのに納得がいかない。今までも、払い戻した事はありませんと。

何と、お役所仕事。結局、最終的には取り戻したが、他の人に、良く返してくれたねとビックリされたらしい。当たり前だと思う。そのお金を市の収入にするつもりだったのだろうか。100以上のお店がでるから、相当の金額になると思う。

今年は、トン汁とコーヒーと、冷凍餃子を買って来て焼いて出す事にした。手作り餃子はダメだけど、冷凍を買って来て焼くのはいいらしい。トン汁だって、中の具は家で切って来るのに、それはいいらしい。その基準が良く分からない。

それで、昨日は調理実習室で餃子を焼いて食べた。美味しかった。それで、何個、幾らで売ろうかと話し合った。



ついでにオヤキも作って食べた。形はイロイロだけど、こんなに美味しく出来たのだから売りたかったねと。



去年のように台風で中止にならないように祈る。








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FC東京、天皇杯勝利

2011-10-09 18:30:12 | FC東京とサッカー
昨日は、天気も良く、サッカー日和。

いつもは、初回の天皇杯はマッタリと観戦していた。昔は、相手が高校生だったりして応援も無しだった。

だから、餃子売りの声が聞こえたり、選挙のウグイス嬢の声が聞こえたり。

昨日は、スタメンが変更があるかと思ったが、ベストメンバーだった。しっかりと勝つために、手を抜かないという事か。

最近は、どんなに東京の戦いがオヤオヤであっても、相手にグングンと攻め込まれている状態が続いても、何か、安心して見ていられる。

絶対に大丈夫、ウチのディフェンスは守りきるからと、ヘンに自信を持って見ている。

昨日だって、身体を投げ出し、倒されても必死に足を延ばし、前線から激しく相手ボールに寄せて行く。マイボールになれば、早いパスを回して攻撃に向かう。

必死にボールを奪い、素早いカウンターでなだれ込むようにゴールに向かう、泥臭い昔のワクワクするような東京スタイルを思う出した。

でも、今はそれだけでは無い。無理となれば攻め急がないでユックリとパスを回す。時に大きくサイドチェンジをしてピッチを大きく使う。

後半、目の前のゴール前に相手の選手達が沢山守りを固めていた。友達が、「どれだけ白いユニの人がいるのよ。」と呆れるくらい。確かに、溢れている!ってくらいに。

それでも、ウチの選手達は、細かいパス、大きく振るパス、小さいドリブル、早いクロス、イロイロ取り混ぜてゴールしてしまった。

以前は、終わりが近づくと時間稼ぎをしたが、今は、最期までゴールを狙う。監督も、守るなと交代メッセージを送る。

今は、行きも帰りも楽しい。選手達も楽しいだろうなと思う。

このまま、一位をキープしてJ1に帰り、J1でもあの悔しさを忘れないで頑張って欲しい。そして、元旦も国立で。

あの谷澤のパフォーマンスに、他の選手達は誰も反応しない。笑ってしまった。私達は、「あれは、何?グリコ?」 と言っていたが、あれは本人が言うには白鳥との事。白鳥ねぇ…。

次回は、姉の一周忌で見れないが、このまま好調をキープして ぜひ勝利を。

試合が終わって、お互いのチームがお互いのゴール裏に挨拶に行ったのは、驚いた。

相手チームがメインスタンド前で挨拶したので、ウチのゴール裏がカゴシマコールしたから、彼らはこっちに来て挨拶した。それで、東京の選手達も、向こうのゴール裏に挨拶に行った。Jリーグでは絶対に見られないシーン。

まるでユースの試合みたい、と友達と話した。そして、お疲れ様でしたと拍手した。

















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もう秋

2011-10-09 08:40:40 | 花と自然
毎年、ベランダの手すりには、春夏秋冬の花達を買って来て飾っていた。時には乱れ咲く花達に、近所の人が 「いつも綺麗に咲いてますね。」 の言葉に、花を切らさないように飾っていた。

でも、今年は、一つも花のポットを買わなかった。姉や夫の事もあり、そんな気に全然なれなかった。

夫が作ってくれたベランダの手すりには、いつも咲いているゼラニウムの鉢だけ飾っていた。水さえやれば、ちゃんと咲いてくれる。

今年の暑い夏も、水をやってさえいれば咲いてくれる前からあるバラやブーゲンビリアやハイビスカスを見つめていた。

そして、気が付いたら秋になっていた。

まだ、心残りのようにブーゲンビリアが咲いている。









夏眠していたシクラメンに水をやり始めた。ちゃんと起きてね、と。

毎年、この時期には来春のチューリップ等の球根を買って来て植木鉢に植えている。今年はどうしょうかな、とそれ用の植木鉢を見つめている。

春、チューリップが咲きだすと 「かわいいね」 と喜んでくれる夫はいない。ベランダの手すりに咲き乱れるパンジーに目を細める夫はいない。

花苗を買おうか、でも、まだそんな気にもなれないし、と心は揺れている。

今週末の日曜日は姉の一周忌。もう、あれから一年が立ったのか…。

季節は、当然のように巡り、時は当然のように整然と進んで行く。

今年は、沢山の魂が天国に召されて行った。沢山の悲しみの涙が溢れ続けた日々は、寒い寒い寂しい冬へと向かって行く。

何事もないように、過去から未来に時は流れ続けて行くんだな、と、つくづく思う。






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ヘラクレスの塔の思い出

2011-10-08 08:05:18 | Weblog
NHKのBSで世界遺産の「ヘラクレスの塔」 を取り上げるというので見た。

楽しかったFC東京のスペイン遠征に付いて行ったラ・コールニァを思い出す。

ホテルは、海のそば。ホテルの裏の散歩道のずっと先に、ヘラクレスの塔は見えていた。

マドリードなどが気温40度近くになっているという真夏に、避暑地のラ・コールニァは過ごしやすかった。

朝は毎日、海からの朝霧でヘラクレスの塔は見えなかった。ジョギングをしている人達とすれ違いながら塔に向かって歩いていると、太陽が昇って暖かくなって霧が晴れる頃、塔に着いた。

TVを見ながら、行く前にこれを見ていれば中に入ったのにと思った。

その時は、他に行きたい所が一杯あった。

ホテルの前の道のバス停でバスを待っていると、その下の浜辺に多くの海水客がいた。そして、トップレス!の人も。

電車にも乗りたかったけど、観光する場所や時間の関係で乗れなかった。

ラ・コールニァは小さな町。歩いてどこへでも行ける。娘と二人で地図を見ながら路地を歩きまわった。小さな教会での結婚式で、可愛い花嫁さんに手を振った。

疲れれば、オープンカフェでお茶をしながら、歩く人々を眺めた。

水族館大好きな私達は、地図に水族館を見つけ、そこへも行った。

市役所の広場で友達と待ち合わせをして、お昼を食べた。

イロイロな種類の料理を食べたいので、一人分づつを頼むのに苦労した。注文を取るおじさんのスペイン語は早口で、娘と友達は聞き取れなくて、当然、英語は通じない。

隣のテーブルの男性が見かねたように、英語で通訳してくれて、おいしそうな料理が並んだ。スペイン料理は、何を頼んでも基本的に日本人の口に合うと言われたが、本当にその通りだった。

私達は、自分達が行って来た所の事を夢中に話していたら、隣のテーブルの男性のお母さんらしい老婦人が、私達を見て笑っていた。

私が、無意識にパンを小さくちぎって食べていたのを、「日本人はパンを小さくちぎって鳥のように食べる」 と言ってるよと娘が言った。

なるほど、身ぶり手ぶりで私にも分かる。そして、笑いながら足元に寝そべる犬にパンを小さくちぎって与えていた。

娘が 「ザラの本社に行きたい」 と言う。ところが、行ったら日曜日だったので休みだった。そうなのだ、日曜日は、ほとんどのお店が休み。

その代わり、夕方になると通りも路地も沢山のテーブルが出され、どこから?というほど沢山の人達が出て来る。お祭りのよう。

私達も歩いていたら、必ず、東京サポーター達に会った。東洋人は私達しか歩いていないから直ぐに分かる。

そして、選手達にも会って一緒に写真を撮った。

TVを見ていると、その頃の楽しかったラ・コールニァにタイムスリップした。選手達は、そのヘラクレスの塔に見守られて練習をしていた。

その、“デボルティボ・ラ・コールニァ”には梶山の勝ち越しゴールで勝利した。2-1。

楽しかった、本当に楽しかった。スペインに、又、行きたい。




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ネットにつながらない。

2011-10-07 17:01:00 | Weblog
昨日、PCの調子が悪くて修理に来てもらった。ネットに繋がらなくなったのだ。

本当に、PCが調子悪くなるとお手上げになる。何をどうしていいのか、ある種のパニック状態。

12年前に初めてノートPCを買った時は、無謀にもパソコンのパの字も分からない超初心者だった。会社で、入力が出来る程度だった。

だから、今と違って使えるようになるまでが大変だった。訳の分からない数字や記号をイロイロな所に入れて、で、間違えて何回もやり直して、春の気候のいい時に大汗をかきながら、丸一日かかった。

そのPCがウイルスにやられて画面がグチャグチャになって、サポートセンターに電話して指示通りに初期化から初めて、これも大変だった。

だから、次に調子が悪くなった時には、今度は旅行にも持って行けるようにとB版のノートPCに替え変えた。

そして、2年前に、そのPCが調子が悪くなった時には、修理をやめて替え変えた。

その後、このB版のノートPCは修理屋さんで直してもらって、メモリーを大きくしてウイルス対応をキチンとしてもらった。これは旅行などに持ち運んでいる。

そして、又、ノートPCを買うつもりで、電気屋さんに行ったら、一体型のカッコいいデスクトップPCがあった。これなら、部屋の中を軽く移動できるからと、それを買った。

そのPCがネットにつながらなくなって、娘と無線が悪いのか、あーだこーだ言いながら、いろいろやっても、どうしてもネットに繋がらない。どうしょうか。又、これをかかえて修理屋さんに行かないといけないのかと、時間もかかるし、うんざりした。

それで、タウンページを調べて、電話して来てもらった。

「ネットにも繋がるし、何処が悪いんですか?」 と言われて、「ええーーー!」。

何か、どっかがOFFになっていたらしい。何、そんなに簡単な事だったの? まア、故障でなくて良かったけど…。

その修理屋さんが、「カッコいいパソコンですね。いいなーー。」 と撫でまわした。

「いえ、もう、2年も前に買ったのですから…」 と私。

デスクトップPCなのに、ノートPCのようにアチコチ移動出来るので気にいっている。特に、娘と共有している事あるし、スペースも取らないから。

でも、故障で無くて本当に良かった。









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“南ちゃんの活動日”

2011-10-02 20:40:15 | 南ちゃんと南山
第一日曜日は、“南ちゃんの会”の活動日。

朝、雨がパラパラして心配した。集合場所で他の人を待っている時も、ちょっとパラっとして心配した。

でも、雨も降らなくて、太陽も照らなくて、作業するには最高だった。

しかし、よくもまア、笹竹がこんなに密集して茂ったものだと感心る。



そして、ツタ植物が絡みついているので、なかなか作業がはかどらない。

でも、夢中でノコギリで切り、大きなハサミで切り離して行く作業は、心の中の雑念を追い払ってくれる。

散歩で通り過ぎる人が、「大変ですね」 と言うけど、これがまた楽しいのだ。たまに会う友達にも、「楽しい」 と話しても信じてもらえない。

確かに、前は、下草刈りなんて私には無理と思っていた。難儀な辛い仕事と思っていた。

だから、勢いで下草刈りをする事になった時、心の中で 「早まったかな…」 と正直思った。

やるっと言ったのだから、やらなければと思いながら言われたように刈り始めた。でも、回を重ねれば重ねる程、楽しくなって来た。

足を踏み入れられない程、荒れた森が綺麗になり、木漏れ日が落ち葉の足元にキラキラと落ちて来る様子には、達成感と感動を覚える。

食後に、ひっくり返って梢を見上げる気持ち良さ!木々を渡る風に火照った身体が収まって行く心地よさ。目をつむると小鳥や虫の音や風のささやきや諸々の声が聞こえ、最高の時間と空間。

この、貴重な里山を失いたくないと、心からそう思い願う。

でも、現実は悲しい。

鬱蒼としていた竹林が切り倒されて、工事現場が眼下にハッキリと現れて来た。ここに、たくさんの住宅が建設される悲しい現実。









今の所、私達が下草刈りをしているフィールドは建設計画から外れてはいるが、未来は分からない。

現実に、私達が借りている畑は、今年一杯で閉鎖されて工事が始まる事になっている。





嘆いていてもしょうがない。私達は残された里山を手入れし、未来に向けて守って行けるようにコツコツと努力して行こうと思う。


そして里山は、もう秋へと移行している。































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キンモクセイの香り

2011-10-01 18:01:01 | 花と自然
駅から、家へと歩いていると、どこからともなくキンモクセイの香りが漂って来た。

もう、キンモクセイの季節になったのかと、暑すぎた夏が終わった事に、ちょっと寂しさを感じた。

そして、このキンモクセイの香りは、どうしても大坂時代を思い出す。

下の子が2歳の誕生日を終わり、上の子が年長さんになる3月に引っ越した。

マンションの2階のベランダに出ると、向かいの民家の大きな木が目の前にあった。目の前のその大きな木は丸く刈りこまれ、その根元にその家の犬の 「ゴン」 がいつも寝ていた。

私達のマンションは、同世代の夫婦が多く、同じ年頃の子供達が多かった。マンションの隣と裏のマンションも、同じような子供達が多かった。

毎日、朝から夜まで子供達の走り回り遊ぶ声が途切れなく響いていた。

その子供達の大好きな仲間のゴンは、上に乗られても尻尾を引っぱられても、蹴られても、いつも知らん顔して寝そべっていた。

空き地もあり、ザリガニのいる池もあり、秋にはバッタを取る田んぼもあり、子供達はドラえもんの世界のように遊ぶ所には困らなかった。

そして、秋のある朝、ベランダの戸を明けたら、キンモクセイの濃厚な香りが満ち溢れていた。

目の前の大きな木がキンモクセイだったのだ。キンモクセイって低木だと思っていたので、ビックリした。

そのキンモクセイの季節を7回、経験して東京に転勤して来た。

キンモクセイの香りは、条件反射のように大坂時代にタイムスリップする。

若くて元気一杯だった私達夫婦。今日の遊ぶ事しか考えていなかった子供達。

あれから、何十年もたってしまった。

今から思えば、夢のような、大切な宝石のような毎日だった。

キンモクセイは、楽しかった埋もれていた思い出を浮かび上がらせ、今の寂しさを際立たせる。






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