1992.10.11(Sun) Vladivostok
20:30、S氏とウラジオ調査の最後の打ち合わせ。氏は調子がやや悪かったが、今日の調査報告及び、明日12日の調査分担について話をする。屋外でやれることは大体やったので、明日は記念碑の類を分担して探して撮影することになり、私は市役所前のジェルジンスキー像(KGBの創設者)の調査担当になる。
21:30、寮で知り合った女子大生たちの部屋へM2の4人で訪ねる。我々はウラジオを明日出発してしまうので、彼女たちと交流する機会は今晩が最後になる。前回同様、入れ替わり立ち替わり何人かが部屋にやってきて話をする。今日の日中、彼女たちは北の方の山林で紅葉狩りをしてきたのだという。松林もあるらしく、彼女たちは松の実をビニール袋にどっさり持ってきて、それを僕等にくれた。帰国後、T氏とかは酒のつまみになると言って喜んでいたが、その時は酒があるわけでもなく、私たちはその場ではたくさんは食べられなかった。
しばらくしてまた、テープレコーダーで音楽を聴くことになる。今日は、彼女たちが日頃聴いているロシアンポップスを聴かせてもらうことにする。お気に入りの曲らしくAnzhelaなどは曲にあわせて歌い始める。その内サビの部分になると今度は彼女たちがみんな声を合わせて掛け声のような部分を唄う。更にのってきて、彼女たちは部屋の中で踊り始めてしまった。こちらがとまどっていると、彼女たちは一緒に踊ろうと言い出し、結局こちらの4人も踊ることになってしまう。寮なので狭いワンルームなのだが、その中で7~8人が踊り騒ぐ、ダンスパーティー状態になってしまった。F氏は小柄なNatashaが気に入ったようで、「Natasha Good!!」を連発していた。
23:00頃になって、踊りにも少し疲れて、飽きてきたところで、そろそろ引き揚げかと思っていたところ、彼女たちは展望台へ夜景を見に行こうと言い出した。まあウラジオの最後の夜だから遊んでまうかということで、連れだって寮を出る。出掛けに建物の出口で、管理人のおばさんが彼女たちを呼び止めて何事か叱っているような様子だったが、ロシア語なので僕等は全く判らず、なんとなく外へ出てしまう。
さすがに夜は寒い。出掛けたのは総勢8人だった。皆で腕を組み、適当に歌を歌いながら丘を降りて展望台へ向かった。しかし、部屋を訪れたときの歓待ぶりといい、その時の彼女たちの服装といい、どうもあまり普段通りでないような印象なのが不思議だった。旅人が旅先ではめを外すのはよくあることだが、地元の人が旅人と仲良くなろうというのは、こちらとしては楽しいことだから良いのだが・・・。数日前にも展望台には来たが、今日は時間がかなり遅かったので街の灯りも少なく、寒いばかりでやや寂しかった。他にやることもないので、仕方なくまた歌を歌いながら寮に戻る。
寮に帰り着いたのは24:00。ようやく帰り着いたのでありがとうを言いながら別れようとしたら、彼女たちの寮の扉が開かない。僕等はこの時になって、彼女たちが門限を破って外出して閉め出しを食ったということを知ったのだった。しばらくガタガタやっているうちに私たちの方の寮の扉が開き、あなたたちはとにかく早く入りなさいと言われる。もちろん言葉は分からないが、私たちだけ建物内に押し込まれた。しかし彼女たちの方が気になるので、何とかならないかと掛け合ってみたが、「ニエット!(NO!)」の一点張りでらちがあかない。結局、彼女たちは「私達は何とかするから、あなた達は入って(たぶんそんな意味だと解釈しただけ)」と言って、立ち去ってしまった。
24:30頃になって、仕方なく私たちも部屋に戻る。結局彼女たちのその後は確認できないまま僕等は床に着く。ウラジオ滞在最後の夜に、そんなことが起こり、そしてそのままモスクワに向かうことになり、少し複雑な思いを抱えながら就寝する。
1992年10月 ロシア日記・記事一覧