都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

Field調査 新旧比較写真3 ・サウナ

1992-10-10 | ロシア  

1992.10.10(Sat) Vladivostok

旧ランゲリーチェ商会とスヴェトランスカヤ通り   Google Map
PCのWebブラウザでは、写真にマウスを重ねると古写真が表示されます。
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)

 約90年前の写真と比較してあまり変化がなかった建物。中央広場の前にあり、目抜き通りのスヴェトランスカヤ通りとオケアンスキー大通りの交差点の角に建つ。廃墟などにはなっておらず、状態も良いように感じられた。

 しかし2012年に改めて現地の写真を検索してみたら、ミラーガラス張りの4〜5Fが増築されていて全く異なる印象に変貌していた。ガラス張り部分の形がやや奇抜で、そちらにばかり眼が行ってしまう。個人的には以前の建物の方が良かったのではないかと思う。

旧ランゲリーチェ商会とスヴェトランスカヤ通り
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)
電信局とオケアンスキー大通り   Google Map
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)

 電信局周辺も約90年前とほとんど変わっていなかった。ソビエト時代、計画経済で発展が停滞し、外国からの投資もなかったためか、ある意味、時間が止まったような都市空間だったとも言える。2012年時点で確認したところ、この建物の用途は分からないが、リフォームされてそのまま利用され続けているようだ。


 夕方まで動き回ったが、調査は全ては終わらなかった。残りをまた別の日に譲って今日の調査を終わり、17:30に中央広場に集合する。別班の街路調査は今日でようやく全て終了した。

 18:00、今日も寮では風呂に入れないので、オケアンスキー通り北部のサウナに行く。サウナはこの前ほどきれいではないが平均的なものだった。中にある暖室の温度は90℃を超していると思われるが、慣れると気分が良い。しかし何度もやると目が回ってきてしまう。

 ところで、私たちは18時〜20時の予約だったのだが、入口の前には何人もの地元の人が並んで待っている。何かと思ったら、20時以降そこがFreeになると聞いて待っているのだそうだ。中には朝8時から並んでいる人もいたらしい。物がなくなるから並ぶわけでもないのに、なぜ朝から並ばねばならないのかさっぱり分からない。そこで、少しでも私たちが早く出てあげれば、彼らも早くサウナを使えるだろうと考え、早めに出ようとしたのだが、アレキサンドル氏は、急いでも意味が無いというのだった。たとえ早く出たとしても、20時までは待っている人々を入れることがないのだという。相変わらず全くわからない。

 寮に戻ってビアレストラン「熊」にて20:00過ぎから夕食。ロシアの料理だが意外に美味しい。結局、良い店(高い店)なら美味しいのだということが、しばらく過ごしてようやく判った。

 21:30から明日の打ち合わせ。M2はどちらかというと旅行モードなので、遊んだり買い物をする事を考えており、調査に関してはあまり熱心ではない。この後、I氏は彼女たちの部屋に出向く。私はやや疲れていたので部屋で日記を書いてごろごろする。

 25:00、日記を書いていたら半分寝てしまった。明日のこともあるので本格的にきちんと寝ることにする。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#古い建物 海外  #街並み 海外  #道  #新旧比較写真・海外
#商業系  #公共施設 
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Field調査 新旧比較写真2

1992-10-10 | ロシア  

1992.10.10(Sat) Vladivostok

アレウツスカヤ通りと旧ゾロトイローグホテル   Google Map
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)
古写真は現アルセーニエフ郷土博物館の2階から撮ったものらしく、視点の高さは異なっている。

 旧ゾロトイローグホテルと旧ホテルツェントラーリ(3枚目中央)の建物は、私たちが訪問した1992年当時はかなり傷んでいて廃墟のようだったが、その後、修復されて、昔のような美しい姿を取り戻しているのだそうだ。

スヴェトランスカヤ通りと旧ゾロトイローグホテル   Google Map
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)

 撮影時にはコーナー部のベランダが無くなっていたが、その後、修復されて、現在は昔のようなベランダが再現されている。

 もう少し時間をかければ、もっときれいに一致させることができたかもしれないが、現在と違ってデジタルカメラではないので、正確に一致させるのはかなり難しかった。現場ではかなり正確に撮ったつもりでも、後で見ると詰めが甘かったものも多い。海外だと撮り直しが効かないのが残念だ。

アレウツスカヤ通りと旧ホテルツェントラーリ   Google Map
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)
古写真より交差点寄りで撮ってしまったため、見え方が異なっている。

 新旧比較写真で使っていたもとの写真は、20世紀初頭の絵葉書などを集めたアルバムだ。従って、その写真とほとんど違わない姿が眼前にあるということは、80年間あまり景色が変わっていないということで、それにまず驚かされる。また80年あまり前、この絵葉書の写真を撮影した人が同じポイントに立って、今の私と同じようにカメラを構えたであろうということも感慨深かった。

スヴェトランスカヤ通りとアルセーニエフ郷土博物館  Google Map
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)
古写真はゾロトイローグホテルの2階から撮ったものらしく、視点の高さが異なる。このため諸々の見え方も異なっている。

 午後のため、西向きの撮影は逆光になってしまう。もとの写真に比べて条件が悪いことも多い。日程に余裕があればまた後日ということにもなるが、残念ながらそうもいかず、このまま撮ることになってしまう。

 毎日の調査で、疲れは結構きていたが、駅前、スヴェトランスカヤ通りとアレウツスカヤ通りの交差点付近、スヴェトランスカヤ通りとオケアンスキー大通りの交差点付近、市役所付近で写真を撮る。割合に多くの撮影ポイントが正確にわかり、中にはほとんど同じ画角から撮れたものもあったので作業は楽しかった。

 なお、ウラジオストクの都市形成、街並みの歴史については、佐藤洋一氏の著書に詳述されている。この一連のロシア日記の記事でも、同氏の論文等を随時参照している。ウラジオストクの古写真アルバムも同氏が所有・管理しているもの。

Amazon.co.jp
 > 「帝政期のウラジオストク 市街地形成の歴史的研究」
   佐藤洋一著、早稲田大学出版部、早稲田大学学術叢書、2011.3

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#古い建物 海外  #街並み 海外  #道  #新旧比較写真・海外
#ホテル・旅館  #ミュージアム 
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Field調査 新旧比較写真1

1992-10-10 | ロシア  

1992.10.10(Sat) Vladivostok

 14:00から昼食。今日は豪華な昼飯だった。食後、チャイ(紅茶)にS氏がミルクのつもりでマヨネーズを入れ、つられて添乗員のSさん、F氏も間違って入れてしまう。

 15:00から再び Field調査。まず郵便局で昨日書いた絵葉書を計5通出す。ここからは待望の新旧比較写真の撮影。H君と作業することになる。別班は午後も街路調査、またK氏とY君は眺望調査。

ウラジオストク駅   Google Map
建設年:1912年

 残念ながらウラジオ駅の古写真は駅構内に行かなければ撮れないものだったので、同じポジションからの撮影は諦めて駅前から撮影。

 ウラジオストク駅は1912年に造られた建物で、南北に長く、駅前はモータープールになっている。中央には前へ突き出る形でホールが造られており、全体は緑色に塗られている。S氏によると、その後1995年になって駅舎は建設当時の色に塗り直され、壁はクリーム、屋根は紫になったということだ。立派な建物だが、基本的には平屋で、さほど大きな建物ではない。しかし何となく愛嬌があり印象的な駅である。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#鉄道  #20世紀  #ネオ・ロシア  #新旧比較写真・海外
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Field調査 西通り~コマロワ通り

1992-10-10 | ロシア  

1992.10.10(Sat) Vladivostok

第一熱供給発電所  Google Map

 北の方に行くと巨大な煙突が見えてくる。日本と同じように白と赤の帯で塗り分けられている。このあたりはほとんど人通りがなく、車も多くは通らない。煙突のてっぺんから煙が少したなびき、建物から音がしている様子を見ると操業はしているようだが、一体全体なんの工場かはさっぱりわからなかった。しかし前述の「こんにちはウラジオストク」を見ると、これが第一熱供給発電所であることがわかった。近くにはこの他にも工場がいくつかあって、こちらはまちの食肉加工コンビナートだということだ。どうやら街の北部は工場地区らしい。引き込み線があるのもそのためだろう。

コマロワ通り(Комарова)の高層アパート  Google Map

 次に中心市街の北部を東西に走るコマロワ通り(Комарова)を東方の山手まで見て歩く。中心部をはずれると12F建て程度の高層アパートが目に付くようになる。渡し船に乗って海側から見たとき、丘の上にいくつかの中高層ビルがすっくと建っているのが目立って気になっていたのだが、それらのほとんどはアパートメントのようだ。鉄骨ラーメン+コンクリートパネル(PC)でプレハブ的に造られたり、RCで造られたその姿は、独特のインターナショナルスタイルを見せている。

 更に東へ進むと、道は無線鉄塔のある鷲の巣山へ向かう。しかし途中で舗装は途切れ、しまいには道自体もなくなってしまった。集合時間が近づいてきたのでウラジオストクホテルに戻る。

 帰路、途中で偶然S氏に出くわす。S氏も調査中に別のおじさんに招き入れられたとかで、そこでVodkaを呑むはめになり、更に彼の背中に彫ってある、レーニンとスターリンの刺青を見せられてしまったということだ。歓迎の仕方が不思議というか、手荒いというか・・・。

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#道  #高層ビル #住宅系  #塔 
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おじさんに拘束される!?

1992-10-10 | ロシア  

1992.10.10(Sat) Vladivostok

 西通りを歩いていると、とある事務所の入口付近に立っていた背の高いおじさんに声を掛けられた。ロシア語でしか話さないため、何の事やらさっぱり判らない。にこやかな笑顔で手招きするのだが、何もわからないのでとまどっていると、背を押され、パジャールスタ、ハラショーを連発されて、結局ビルの中に入れられてしまう。内部の回転ゲートを回して中に入れられ、しばらくおじさんと接見することになってしまう。とはいっても言葉は全然通じない。この時ばかりはかなり緊張した。

 添乗員の女性が作ってくれたロシア語の身元説明カードをO氏が見せると、今度はしかめっ面をしてハンコをもらえという身振りをする。なんだかよくわからず、二人で顔を見合わせていると、彼は私達を外へ連れ出して、道路の向かい側の7F建ての建物を指さし、「あそこへ行け!!」というようなことを頻りに大声で言う。警察か何かなのだろうかと思いつつO氏とそちらへ向かう。しかしその割にはおじさんは同行する風でもない。僕が手を振って挨拶をすると彼も更に手を振って建物を指さす。全くなんだかよくわからない。

太平洋漁業・海洋科学研究所  Google Map
建設年:1930年?

 しかし建物に近づくと、実はこれが何か由緒ある建物であるらしいことに気付く。持参の建物カードをめくると、太平洋漁業・海洋科学研究所(1930年)であるらしいことが判明する。カードに記載されているとおり、確かに大きなモザイクレリーフが壁面にある。屋上にもちょっとした飾りが付いている。結局、大声のおじさんの親切?な行為で、この施設に気付いたようなものだ。でも資料のとおり1930年建設の建物なんだろうか? 1950年代以降のような気もする・・・。

 壁面のモザイクレリーフはいかにもロシアというかソビエト的だ。
 私たちが調査対象とした物件は、ソビエト時代にウラジオガイドとして書かれた、「こんにちはウラジオストク」という本に掲載されているものに基づいていた。しかしソビエト時代の書物なので、全面的にこのような共産主義モニュメントが「見どころ・名所」として扱われている。日本の観光ガイドブックと異なり、「見る」の他の、「遊ぶ」「買う」「食べる」「泊まる」の部分がほとんどないのも特徴だ。従ってこのガイドに沿ってウラジオを歩くと、社会主義の勉強にはなる。だが、日本人などはこれでもかこれでもかの英雄賛美と社会主義礼賛の嵐を浴びて、ぐったりしてしまう。

 先程のおじさんは結局のところ、どっぷり浸っていて、無条件にあれを良しとしているのだろう。確かに地方都市で見どころが少ないので、小さなものも観光スポットとして取り上げざるをえない状況もあるのかもしれないが・・・。

 おじさんは恐らく、街を調査しているという僕等のカードを見て、親切心からあそこは由緒ある建物だから是非行きなさいと言ったのだった。大声でわめきながらビルに連れて行かれ、一時は半ば監禁状態に追い込まれてしまったので、こちらはかなり困惑し、O氏などは後で「なんだあのジジイ」とか言って毒づいていたのだった。

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#オフィス 
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Field調査 西通り

1992-10-10 | ロシア  

1992.10.10(Sat) Vladivostok

 08:00 起床。少し熱っぽい。15日間の調査旅行でちょうど1週間が経過し、今日は旅行中日。慣れない土地での調査なので、早くも日本の生活に戻りたくなってきた。しかし一方ではまだいろいろ見てみたい気もしており、体調が優れないのが恨めしい。

 09:00前に寮を出発し、ウラジオストクホテルへ。技術大学の食堂は10/10から数日間休みなのだという。仕方ないので起床後すぐにホテルへ向かい、朝食ということになる。また、午前中の調査を効率よく行うために、その仕度をして、戻らずとも良いように準備してから出掛ける。

 1Fのレストランで朝食。レストランは一番奥のガラスが割れてしまっていた。穴はベニヤ板で塞いであったが、それでも隙間風が入ってきて寒い。翌日も翌々日もそのままだった。それこそなんともお寒い状況だ。今日の朝食はいわゆる洋食だった。寒いのは最悪だったが、やはりホテルのレストランの方が美味しい。

 ところでウラジオストクホテルには「桜」という名の日本食レストランがあり、日本人ビジネスマンらが利用しているとのことだった。バカみたいに高いのでそちらには行かずじまいだったが。

オケアン映画館(Океап)  Google Map
建設年:1969年

 10:00 ホテルで解散。本日もO氏とスポーツ広場周辺~西通りを調査する。
 とりあえずオケアン映画館(Океап)を撮影。天気の良い朝で全逆光状態になり、露出を決めるのが難しい。
 街中の他の建物と異なり、映画館は1969年に建てられた近代的スタイルの建物だ。正面入口は大階段でその上にいくつも入口が並んで見える。2Fはバルコニーになっており、後方に大きな楕円柱状の劇場スペースがある。ポスターなどがほとんどないので地味だが、その構えはやはり文化施設的で、他の建物に比べて明るい雰囲気が漂う。スヴェトランスカヤ通りにあるウスリー映画館が、やや様式的で古い印象であるのと対照的だ。

 ジナモ競技場では今日はドッグコンテストをやっていた。また海岸沿いの道では高校生か大学生が大勢ジョギングしていた。

 西通り周辺は持参した地図の歪みが激しく、道幅を測る程度の修正で済ませるわけにはいかない状態だった。また北部では道路の上をガードでシベリア鉄道が走っていたり、引き込み線が道を横切っている箇所もあり、手元の地図とはだいぶ様子が異なっていた。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧
#映画館・ホール 
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