1992.10.6(Tue) Vladivostok
セメノフスカヤ通り(Семёновская)交差点
ジープが急な坂道を横切る。
右方の低層部が貴金属店
貴金属店に入ってみる。やはりめぼしいものはなく、品薄で今一つの状況だった。金メッキのさじが170~200RB(約70~80円)、ダイヤの指輪が74,000RB(30,000円弱)、カード状のデジタル時計が743RB(約300円)、アナログ時計340RB(約140円)、指輪17,000~20,000RB(6,800~8,000円)等だった。F氏によると、ギターは500RB(200円)位で、品物が到着する端から売れて行ってしまうようだったとのことだった。
本屋さんには相変わらずめぼしいものがない。また、買われると補充の在庫がなさそうだ。それから、どこの本屋もそうなのだが、本を買ってお釣りがカペイカのレベルになったりすると、お釣りが無いという理由で、バースデーカードなどを勝手に追加されて、RBに切り上げられてしまう。
一方、バス、トロリーバスなどの公共交通は1RB。公衆電話も1RBだが、硬貨を受け入れる部分が壊れてたりして、そのまま掛かったりしてしまうことも。少額貨幣の価値がめちゃくちゃだ。
しっかりした建物の中の店舗にはあまり品物がなく、客も少ないのだが、路上には小屋状の仮設売店-キオスクが沢山ある。特にTAXI、BUS乗場等の付近には非常に多く、そこにはやたらに人だかりができている。キオスクの方にはなかなか品物があるのでちょっと驚く。多くはジュースや菓子、たばこ、酒、雑貨の類、衣料品などであるが、時々ラジカセなんぞを売っていたりして、これにもまた驚いてしまう。
路上でピロシキを売っていたが、ここでも10人以上が並んでいた。売り切れてしまえば即閉店。ゲリラ的に出店されるので、見つけ次第買わないとずっとありつけない。なんなんだろ?
薬局
この日の調査地域にはあまり店がなかった。ウ~ム、これはちょっと残念。広場のそばの地下道には数軒の店が出ている。また個人の間のやり取りも多く見られる。非合法なんだかどうだか良くわからんが、宝くじのようなものもやっている。しかし売り場が少ない、またはないので、何屋だか良くわからない。まぁたとえ看板が出ていても僕らには読めないからワカンナイんだけど。それでも商店の看板には文字に並んで記号というかマークがついているので、多少は業種がわかる時がある。例えばАПТЕКАという看板の脇には蛇と天秤のマークがついていて、およそ薬局だということがわかる。でもこのように推測、理解できるものはやっぱり少ない。
道行く人々の服装は割合キレイだ。これはちょっと不思議だった。革ジャンやジーンズが少し多いかなとも思う。ジャージを着ている連中は危ないといわれていたが、何となくそれはわかった。一度だけ、ジャンパーの間からピストルの銀色の銃身を見せながら歩く輩を見かけ、これには少々焦った。
ごみは少ない。というより大量に出せるほどモノがないのかもしれない。また、あちこちの建物の入口に花の形をしたようなごみ箱?が置かれていて、皆が適当にごみをそこに捨てているので、路上にごみ屑が散らかっていることは少ないようだった。
商店(職種不明) スプレーのペイントがかなり雑。
旧市街の建物はほとんどがレンガ造モルタル仕上げまたは石造のようで、RCは少ないようだ。もしかするとコンクリートブロック造かも知れないのだが、表面をペイントして適当に石造っぽく仕上げているので、一瞥しただけではよくわからなくなっている。一方、中心部から少し離れた所の中高層アパートメントはほとんどがRC のようだ。
道路は舗装をしなおしても、皆がその上を平気ですぐ歩いてしまい、車も走り回ってしまうため、またガタガタになってしまう。まったくよくわからんことが多い町というか国だ。
オケアンスキー通りは中央広場からどんどん丘の上に向って上って行く道だ。傾斜がかなりきついので、坂に沿った建物は上の方では5階建てが4階建てになってしまう。坂を上って振り返ると、中央広場にある高い台座の上に立つ銅像が港の方に見えて、なかなか晴れやかな気分になれる良い眺めである。
高緯度の国の夕方は陽が早くから傾き、長い影ができて、10月だというのに東京の冬至の頃のような感じになる。空が真っ青に晴れてコントラストが高い景色は透き通ったような感じだが、実際は排気ガスや砂ぼこりで埃っぽい。
ウラジオにはトロリーバスと路面電車が走っている。そこで市内の主な通りにはこのような公共交通機関のための架線が縦横に張られている。私個人はこのような景色に実は僕はあまりお目にかかっていなかったのでとても興味深かった。乗り物のある風景は良い、そして乗り物のある町は良いと、単純に童心に帰って楽しくなってしまう。
ウラジオの場合、町中では石造の恒久的な建物が、道路に接して連続して建っているので、架線を吊るワイヤーは基本的に建物から張られている。日本だったら管轄とかの関係で、わざわざ道路脇に柱を立てて架線を張らねばならないところだが、そんな必要はなく、いきなり壁面からフックを使ってワイヤーが張られているのが興味深い(あとあと、ヨーロッパに行って、向こうでは割とこれが当たり前だと知るのだが・・・。)。
街区内部の建物
私たちはフィールド調査の際に、S氏から青焼きの地図を持たされていたが、これには、見て写真を撮って来るべきポイントが記されていた。その一つに日本人が住んでいた頃にあった日本人学校の建物があった。その写真を撮るために街区内部に入ることにする。
街区の内部はやはりプライベート性の高い空間なので、入るのには多少、勇気を必要とする。アーチ型になったゲートを通って恐る恐る進むと、三角形の中庭があり、レンガ造の2階建て建物があった。街区の外側とは異なる小振りな建物で、やはり古いように思われたので、これが目指す建物だろうと考え、写真をスバヤク撮る。中庭部分にはあまり人影はない。人が来ておまえら何者だとか言われても、何を言ってるかわからないし、説明のしようもないので、このような場所では地元の人には会いたくないであるな、などと考えながらスタスタと出てきてしまう。しかし後年、これは日本人学校ではなかったことが判明した。これまた残念。
1992年10月 ロシア日記・記事一覧
#階段・坂 海外
#道
#モニュメント
#商業系
#街並み 海外