都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

東京タワーが見える

2006-03-26 | 港区   

 JR田町駅から慶応大学へ向かって歩き、桜田通りの交差点に出る。

桜田通りと東京タワー  Photo 2006.3.5

 桜田通りは東京タワーの方に向かって延びる道なので、東京タワーが比較的よく見える。ただ、東京タワーには、エッフェル塔のような分かり易い撮影ポイントは、あまりないようだ。

エッフェル塔  Photo 1999.6.19

 東京タワーとエッフェル塔はフォルムが似ていて、高さも同じようなものなのでしばしば比較される。東京タワーの方がちょっと高いので日本の方がエライみたいな、どうでもよいような比較もされるが、絵はがき的な景観の美しさとか、バロック的な分かり易い都市景観という意味では、エッフェル塔の方に圧倒的に軍配が上がるだろう。

 エッフェル塔は、周辺がシンメトリーな公園になっていて、適当な距離をおいて塔の足下から頂部までを全て見渡すことができる場所が存在する。このポイントから見ると、塔の前後左右には大きな建物は全く見えず、まことに絵はがき的でシンメトリーな景色を拝むことができる。絶好の撮影ポイントであり、分かり易く古典的で美しい景色である。

 パリ市内には眺望景観を守るための規制が掛かっている。エッフェル塔のような記念的建物を望むための場所というものが決められていて、そこからの絵はがき的な景色を守るため、景色を乱すような建物の建設は厳格に規制されているのだ。上記の写真は、まさにそのエッフェル塔を見るための場所からのもので、規制されているが故に、景色を乱す建物が全く見えず、絵はがき的な写真が労せずとも撮れるのである。

 さて、東京タワーとエッフェル塔、改めて二枚の写真を交互に何度も見てみる。たしかにエッフェル塔とそれを囲む景色は美しい。均整が取れていて、シンメトリーで、古典的な美しさに満ちている。しかし・・・。何度も見ていると、意外に単純でつまらない見え方なんじゃないかという疑念が起こってくる。

 東京タワーはシンメトリーに見えるポジションは確保しにくい。絵はがきや様々な写真を見ても、シンメトリーな写真はほとんどない。大多数の写真で東京タワーは上記の写真のように斜め方向から撮られている。しかしそれ故、東京タワーは立体的にダイナミックに見えているとも言える。乱雑に並ぶ周辺の建物の間から、足下が半分隠れながら巨大な姿が見えている。建物が沢山建ち並んでいるところに、それらを跨ぐような感じでドーンと巨大な塔が建っている様子は、それはそれで驚異的な景色のような気がしてくる。林立するビルに挟まれながらも高さを誇るタワーの景観には、成長を続ける日本・東京のエネルギーが投影されているようでもある。

 この二枚の写真だけを比較すると、エッフェル塔の景色は絵葉書的、絵画的で、どちらかというと静的でおとなしい。それに対して東京タワーの景色はかなり複雑でダイナミック・動的である。計画的で統御された景観と、非計画的で様々な思惑の下で自然に生成した景観、意外に奥深いのは東京タワーの景観かもしれない。

 槇文彦氏の著書に「見え隠れする風景」というのがあったが、東京タワーも江戸・東京の都市形成の文脈の中で、見え隠れする風景化することが余儀なくされている。見え隠れする風景は、シークエンス景が持つ面白さを孕んでいて、先の方へ行けば全景が見えるかもしれないとか、近づいていくと見え方がどう変わるんだろう? という期待感を持たせる。エッフェル塔の景観では、真っ直ぐに塔に近づいて行っても、塔がそびえたって大きく見えるようになるだけで、大した変化は期待できないし、その変化はおよそ見当が付く。ところが、東京タワーの方はどのような景色が現れてくるか予測できないところがある。東京の景観は意外性やギャップが一つの魅力なのかもしれない。

 日本人はヨーロッパなどに行くと、秩序だって整った街並みに感心し、帰国すると日本の乱雑さにガッカリするといわれる。ところが、ヨーロッパの人は日本に来ると、アジアンな雑多な景観にパワーやエネルギーを感じるとも言われる。街並みは汚いけど、次々に素晴らしい電化製品を生み出す極東の先進国の首都・東京。同じことがエッフェル塔と東京タワーの景観にもあてはまる気がする。もともと航空法の規定から生じた赤と白の縞模様は、ずっと格好悪いと言われ続けてきたが、ライトアップされるとあまり気にならなくなる。外国人的な視点に立てば、アジアンな配色で、世界的にも珍しい色づかいの塔(Red & White Tower !)ということになるのかもしれない。

 エッフェル塔は100年ほど前に行われたパリの万博に際して作られたという。建設時は300mを超える鉄塔などというものが世の中に全くなく、醜悪なものとさえ言われたというのは有名な話。日本電波塔という送信塔である東京タワーとは違って、エッフェル塔はObservatory=展望塔である。初期においては展望以外には用途はなかった。それでも近代構造技術の結晶として現在に至るまで残り続け、今ではフランスが誇る文化財になっている。

 さて、東京タワーは建設から50年近くになるが、あと20~30年経ったとき、東京タワーは文化財になるんだろうか? 新東京タワーが600m超で墨田区内に建設されることになったということが最近公表されたが、新東京タワーができたら東京タワーは要らなくなってしまって、取り壊されてしまうってことはないのだろうか? 送信塔としての収入がなくなったら、東京タワーは維持できるのかしら?

 非常勤で教えている大学の学生に、最も印象的な建物は何かを尋ねたことがある。国宝の法隆寺とか、金閣寺、東大寺、姫路城などの古建築を挙げた学生も多かったのだが、東京タワーと回答した学生もかなりいた。

 ライトアップされた東京タワーはキレイだという答えも多かった。確かに石井幹子氏によって東京タワーの照明が変えられてから、東京タワーは輝きを取り戻したように思う。それまでは高いところから見渡すための建物だったので、あちこちに超高層ビルが建って高さに魅力がなくなると、人々の気持ちは離れてしまっていた。ところがライトアップによって、東京タワーは見る対象に変化した。遠くから眺めるシンボルタワーになったことで、東京タワーは別の存在価値を持つようになった。

 さて、設問を変えて、海外から日本を訪れた人に是非見て欲しいと思う建物は何か?、と尋ねたところ、東京タワーはかなり減ってしまった。やはり海外からの人には日本文化を知って欲しいということなのだろうか。金閣寺や東大寺、日光東照宮などの割合が増加し、近現代建築はほとんど挙げられなかった。東京タワーは、個人的には印象的で記憶に残るのだが、他人に勧めるほどの存在にはまだなっていないらしい。なんだかその辺は微妙で複雑な感情が混じっている。何故か誇りに思える状態にはなっていない。

 パリでは、エッフェル塔のシルエットが簡略化されてポスターなどに使われていることがある。「人」という字に近い極めて簡略化されたマークを見て、誰もがそれがエッフェル塔であることに気づく。エッフェル塔は、フランス・パリのまさしくシンボルなのだ。東京タワーはどうだろうか? 東京タワーはそこまで明確な景観資源にはなっていない。

 しかし、東京タワーよりエッフェル塔が美しくって、東京タワーはエッフェル塔のコピーだからダメだという議論は、既に過去の話になっているのだろう。上述のように、生まれた時から東京タワーが存在していて、修学旅行で東京タワーに行った経験者は確実に増えている。そしていつのまにか東京タワーは国民的存在になり、あるのが当たり前なものになってきている。美醜や文化的意義を超えて、東京タワーは一つの重要な景観資源に既になっている。

 そういえば、同じ内藤多仲博士設計の、名古屋のテレビ塔の内部が改修されるとの報道も最近あった。どうやら名古屋のテレビ塔の方は、既に文化財的な扱いがされているようである。テレビ塔などの高層の塔が、近代化遺産として文化財になる時代がもうすぐ来る。

 田町からの東京タワーのこの風景。最初は東京の都市景観の計画性のなさを指摘するつもりでいたのだが、何度も見返すうちに、意外に捨てたもんじゃないよなと、思い返すことになった。印象的な風景、良い景色、そういう風景を構成する、愛着がわく建物ってなんだろう?

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コメント (6)
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