都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

明治書院

2007-06-25 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2007) No.12 千代田区神田錦町1-16

明治書院
所在地:千代田区神田錦町1-16
建設年:1932(昭和7)
構造・階数:RC・3F
備考 :2002年解体 建て替え
    2003年エムズスクエア(現 いちご神田錦町ビル)竣工。
Photo 1992.1.15

 明治書院は神田小川町交差点近くの本郷通り沿いに建っていた、付け柱が印象的な建物だったが、築70年で残念ながら解体された。

Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2007.1.27(マウスオン

古い建物がなくなって街は退屈になった。

 左端の北日本相互銀行は北日本銀行になっていたが、建物は変化なし。道路沿いの街路樹は伸びて、大きくなっていた。また、電線の地中化が行われ、電柱が無くなる代わりに、道路際にトランスボックスが設置されている。

 しかし、なんというか、つまらない景色だ。現在の建物は、建物に顔がないというか、表情がない。1981年の撮影者は、昭和7年(1932)に建てられた、この様式建築が気になってカメラを向けたのだろうが、今、ここを訪れて誰が現在の建物の写真を撮ろうとするだろうか?

 この景色だけを見ていると、建て替えは経済的には良かったのかもしれないが、景観的、文化的に大切ななにかを失い、後退してしまった気がする。新時代を画する新デザインを生み出しているのならまだしも、お世辞にも新しいデザインとは言えない。これでは完全に、新しい建物を設計した者の負け。

 しかし、これはデザイナーとか施主の精神の問題だけではないのかもしれない。こういう建物しか造ることができない、経済至上主義的な風潮及び仕組みが、施主やデザイナーの前に大きく立ちはだかっている可能性も大きい。その意味では、彼らも負け戦を覚悟で設計をせねばならない、ある種哀しい人々なのかもしれない。

 ところで、手前を走り抜ける車はISUZUのジェミニのようだ。ISUZUはいつのまにか小型乗用車の生産をやめ、トラックなどのみの会社になったので、急速に私たちには馴染みのない会社になってしまった。80年代まではジェミニや117クーペなどが、街を走っていたものだが、経済の激しい移り変わりとともに、自動車の風景も変化していく。

Tokyo Lost Architecture  
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コメント (2)
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