清正公前の交差点のすぐそばの三角地帯に建っていた古い木造家屋。
山口邸
所在地:港区白金台1-1
建設年:1882~84(明治15~17)頃
構造 :木造
Photo 1995.2.23
なにかの資料で建設年を見たのだが忘却してしまった。藤森照信氏の著書もしくは港区の資料だったような気がする。たしか幕末か明治期の建物で、都心では数少ない事例だと言われていた(下部に追記しました)。江戸期以来、代々米屋だったのだとか。ただ残念ながら、数年前に解体されて、現在、現地はマンションのモデルルーム+仮設的オフィスになっている。
鬼瓦が大きく立派で、平屋だが堂々とした建物だった。内部は知らないが、外観から想像すると、屋根裏のようになった階高の低い二階がある、いわゆる逗子二階の出桁造り家屋だったように思う。
交差点そばの三角地帯で、孤立したようになり、周辺を大量の自動車が行き交っていた。
この建物の東側を南北に通る桜田通りは、震災後に開通した大通り。西の方から来る目黒通りがそれにあわせて東へ伸ばされ、現在の清正公前交差点へ至るようにされたため、この建物の一角は三角地帯となって取り残された。もともとは目黒通りは写真右手前で曲がり、この山口邸の前を下って、東南方向、高輪の二本榎通りの高台へと向かっていた。写真中、後方の白いマンションと煉瓦色のマンションの間へと、道が繋がっていたわけで、この建物の両側にも大正期以前は家屋が建ち並んでいたはずなのだが、桜田通りの新設と交差点改造によって、街並みが分断され、この家だけが取り残された。
なぜ交差点のそばに奇妙な三角地帯があるのか、以前から不思議に思っていたのだが、今回、地図で変遷をたどってようやく了解。通りを挟んだ南側には、たしか今も長屋があるが、通りの構造が大幅に変わり、建物も無くなったため、往時の街並みの雰囲気はほとんど失われてしまったのだろうな。
2007.6.17 追記
コメント欄にもあるが、この記事をきっかけにGG-1さんのブログ「Roc写真箱」に、とても雰囲気のある写真が掲載された。→「取り残されて」
自動車の灯りが流れる中、白熱灯が一つだけともる姿が印象的だ。また、私の写真では陰になって全く分からない玄関先の様子がよくわかる。庇を支えるために、腕木金具が付いていたのは知らなかった。完全に木造和風住宅なのに、そこだけちょっと洋風っぽいしつらえだったのがおもしろい。
2007.07.11 追記
「看板建築」藤森照信著、三省堂選書、1994、p.27に、この山口邸は掲載されており、明治15~17頃に米問屋として造られたこと、旧江戸の市域内で最古の出桁造りと考えられると、書かれていました。
やっぱり藤森先生の本だったー。
Tokyo Lost Architecture #失われた建物 港区 #出桁造り #住宅系