都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

雪の降る町をー 2

2006-01-22 | 中野区  
中野区新井 新井町医院 16時半頃

 新井薬師寺に至る薬師銀座周辺は昔は三業地として繁盛した町。沢山の人が行き交う薬師銀座商店街の一つ裏に医院がひっそり佇む。最初の内は、外観の様子からもう営業していないと思っていたのだが、夜ここを通りかかると、玄関灯が点いていて室内も明るく、ちゃんと営業していた。今日は往診のため午前中のみという貼り紙があり、あたりはひっそり。

中野区新井 薬師銀座の銅板張り看板建築 16時半頃

 薬師銀座にはいわゆる看板建築がいくつか建っている。2軒先のタバコ屋さんも、以前は緑青を吹いた銅板張り看板建築だったのだが、今では銅板張りはこの一軒だけになってしまった。このお店は額縁屋さん。そもそも額縁だけを売るというのが成り立つのか疑問。店内にうずたかく額縁が積み上げられており、購入にはちょっと躊躇してしまう。でも残っていて欲しい建物。

#雪  #失われた建物 中野区  #古い建物 中野区 
#街並み 中野区  #医院  #商業系 
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雪の降る町をー 1

2006-01-22 | 中野区  

 今冬初めて雪が積もったので、近所をお散歩

 静岡で生まれ育った私は雪にあまり馴染みがない。なにしろ静岡は4、5年に一度しか雪が積もらない場所。寒い地方の方からすれば羨ましい土地かも知れないが、雪が全く降らないのもちょっとさみしい。だから東京で積雪があったりすると、雪国の方には申し訳ないのだが、ちょっと嬉しくなってしまい、寒いのは分かっているが散歩に行ってしまう。

 そういえば私が通っていた小学校には、雪見遠足という行事があった。富士山の二合目あたりにバスで行って、文字通り雪を見て体験する遠足。静岡育ち以外の人にこの話をすると、かなり驚かれる。今日は雪見遠足ではないが、雪見散歩だ。

西武新宿線 新井薬師前駅 Photo 2006.1.21 16時頃

 時折かなり降っていた。積雪は大したことないが、撮りようによっては大雪に見えてしまう。

新井薬師前駅南口

 車が入ってこない広場は真っ白。右側の3階建ての建物は、戦後に駅前に建ち並んでいた露店を集約して作られた共同建物。新井薬師駅は共同建物が建ったことで、駅前に歩行者用の広場が確保できている。

中野区上高田 16時半頃

 裏通りは通る人も少なく、既に数cm積もっていた。東京山の手の少し密集した住宅地の典型的な景色。

#雪  #鉄道  #街並み 中野区
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早稲田大学大隈講堂 その1

2006-01-21 | 新宿区  
早稲田大学 大隈講堂(21号館)
所在地:新宿区 戸塚町1-104
構造・階数:SRC・3F+時計塔
建設年:1927(昭和2)
設計 :佐藤功一+佐藤武夫
構造設計:内藤多仲
備考 :東京都選定歴史的建造物(注)

 早稲田大学には東京大学のような重々しい門はない。そのへんが開かれた大学と言われる由縁でもあり、大隈講堂も西早稲田キャンパスの前の、街の人々や車が行き交う広場に面して建っている。

 外観はチューダーゴシック様式で、内部は表現派的だと言われる。

 玄関脇の壁面。壁面はスクラッチタイルで覆われ、正面のチューダーアーチ(写真右端)は色を混ぜたコンクリートで作られている。冬場の斜めからの陽光で、ランプの長い影が壁面に落ちていた。左の丸い窓は階段室の採光窓。

 玄関アーチの内側天井は交差ヴォールト状で、ランプが下げられている。

 別角度から。ランプ底面にも装飾が施されている。また壁面には花のような形をした大きな丸窓がある。この窓枠はテラコッタ製。

 鋳物製の門扉。なかなか手の込んだデザインです。中央のAは何の意味だろう?。次回は内部へ。


追記
 2007年に国の重要文化財に指定。これに伴い、東京都選定歴史的建造物の選定は解除。

早稲田大学大隈講堂 その2
早稲田大学大隈講堂 その3
早稲田大学大隈講堂 その4

#古い建物 新宿区  #早稲田大学  #大学  #塔  #映画館・ホール 
#佐藤功一  #佐藤武夫  #内藤多仲  #近代建築  #昭和戦前期 #重要文化財 
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日本橋

2006-01-19 | 中央区  

 拙Siteに記載している「旧東海道を歩く 静岡編」に続いて、「旧東海道を歩く 東京編」を開始。やはり最初は日本橋から。今更掲載するまでもない有名な景色かも知れないが、起点なのでこれは外せない。

Photo 2005.6.12

 高速道路が石橋の上空を覆う、1963年の高速建設以来、40年以上あちこちで言われ続けてきた問題な景観。数年前から高速道路の移設の可能性を検討する会などが活動していたが、ここへ来て小泉首相の一声で状況は変わりつつある。

 3000~6000億円掛かるとも言われ、そこまでする必要はないんじゃないかと言う向きもある。しかし他の場所はともかく、日本橋は江戸期の五街道の起点であり、日本国道路元標がある歴史的な場所。1911年に架橋された現在の石橋も重要文化財で、とにかく日本を代表する道路史跡で、オーソドックスな東京名所の一つであることは間違いない。だが一方で、日本橋は景観的に残念な名所No.1?でもある。

 生まれてこの方日本橋の上空が開けている景色を見たことがないので、私はやはり高速道路のない日本橋を見てみたい。川沿いの建物を建て替えて、橋のすぐ隣の場所に高架で高速を通す案も検討されているらしいが、これは橋周辺の景観を根本的に良くすることにはならないだろう。この路線自体を廃止するわけにはいかないだろうから、やはり地下化しかないかもしれない。地下にもインフラやら地下鉄やら多くの埋設物があるので、事業費は掛かるのだろうが、ここは一から新規に高速を造るつもりで考えるべきかと思う。

 負の景観遺産として残すべきだという方もおられるようだが、日本橋の景観は広島やアウシュビッツのような人の生死に関わるような負の遺産ではない。また江戸期からの日本橋の歴史を考えると、上空が塞がれた歴史は40年程度と相対的に短く、今ならまだリセットできる。美しくない景観は記録の中に留めるだけにしたい。

 お隣の韓国ではソウルの中心部を走る都市高速が廃止され、暗渠になっていた川の流れが復活した。廃止しても交通面でそれほど問題がないことが、調査で明らかになったこと、老朽化も進んでいたことなど、日本とは状況が多少異なるが、やはりその気になればできる、その気にならなければ当然できない、ということなのだろう。だとすれば今回の小泉首相の発言は、人気取りなどとは言われているが、40年来の懸案の解決に一歩を踏み出したという意味で、この件に関してはやはり英断と言っても良いのではないだろうか。

 ソウルの場合、現在のソウル市長になってから構想が具体化され、延長6kmの高速の解体と河川修復に約420億円を投じ、3年という短期間で事業が完成している。日本橋の方は10年後の2016年の完成を目指すと言われる。日本のペースだと、現在の日本橋が100周年を迎える2011年には間に合わないのかな。昔はここの上空に高速があって邪魔だったんだよ、と言える日が来るのが待ち遠しい。

#橋  #道  #近代建築  #近代土木遺産  #明治期 
#旧東海道  #旧街道  #重要文化財 
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神田小川町 タムラ帽子店

2006-01-18 | 千代田区 
タムラ帽子店
所在地:千代田区神田小川町3-3
建設年:1925(大正14)
階数 :3階(木造?)
備考 :2006.1解体
Photo 2005.3.25

 日曜日に神保町を通りかかったら、駿河台下交差点近くの靖国通りに面して建っていたタムラ帽子店が解体されていた。3階のアーチ型の窓が可愛らしい小さな建物だったが・・・。調べてみると昨年の11月末に閉店したようである。

 写真は昨年まだ営業していた頃のもの。現状と当時を比べてみると、驚いたことに、左側の比較的新しい8階建て程度の雑居ビルまで解体されていた。写真左端の空地も併せて、3軒分の土地を集約して新たに建物を建てるようである。

 神保町界隈には学生の街らしい小さな専門店が数多くあったが、やはり次第に少なくなっている。店に入って帽子を見たり買ったりしたことはなかったが、界隈の昔の姿を知る手掛かりのような建物だっただけにやはり惜しい。

Tokyo Lost Architecture Index

#失われた建物 千代田区  #商業系  #看板建築 
#近代建築  #大正期 
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落合の妙正寺川

2006-01-17 | 新宿区  

 杉並区の妙正寺公園内から流れてくる妙正寺川は、西武新宿線下落合駅周辺では、三面コンクリートで深く直線的になっている。これは洪水対策のためであり、都市河川の宿命なのだろう。確かに大雨が降ると普段は川底が見えるこの川も、上端部すれすれまで濁流で一杯になってしまう。昔はしばしば洪水が起こったわけだし、昨年も中野区内では集中豪雨で護岸が崩れたりしている。主に関東大震災以降の都市の拡大、郊外化の過程で、もともと氾濫原だった所までもが、宅地化したことによって、大雨の際の水の行き場が無くなって洪水が発生する。川沿いを元のように氾濫原にしてしまえば洪水も起こらないが、なかなかそうはいかない。杉並区内の善福寺川などでは河川周辺の住宅を減らして公園化したりしている。中野区内の妙正寺川では川沿いに人工的な遊水池(一時調整池)を長い時間をかけて作ったりした。野球場の地下に巨大な空間が用意されていることを知り、地方出身者の私などは、そこまでするかーとかなり驚いたものだ。

 さて、写真は下落合駅から妙正寺川沿いに東へ歩いた所の、ややぐったりする景色。右は妙正寺川、一方、左側のゴムシートのカーテンの方から流れてくるのは、落合下水処理場から放水された処理水。なんだか人工河川ここに極まれりという感じ。臭いの問題とか、洪水の問題があるのは承知なのだが、もう少し川の景色というものがなんとかならんのかなーと思う。神田川も妙正寺川も最近は水質が良くなってきて、早稲田のあたりでは鮎も見られるというが、水はきれいかも知れないが、景色はちっともきれいではない。こういう風景を見て育ちたくない。

 ぐったりついでにもう一枚。こちらは同所から下流方向。下水処理場からの放水と合流した妙正寺川は、その直後、ここから暗渠になってしまう。そしてしばらくは新目白通りの下を流れ、1kmほど下流の、明治通りと新目白通りの高戸橋交差点で、外に出ると同時に神田川と合流する。ウィキペディアによると、当初の合流点(落合の語源となった場所)は、この2枚の写真の場所に近い下落合1-12あたりだったが、現在は河川改修で下流になったのだそうだ。落合の名の由来である、川が落ち合う場所が落合には無くなってしまい、代わりに妙な合流点ができてしまっている。暗渠入口のゴムシートの方はかなり破けてしまっていて、汚らしく無惨。ゴムシートカーテンの向こうに流れゆく川の景色は、大学生時代に電車の中から見て以来、強烈に記憶に残り続けている。

 そういえば渋谷川の川底から撮った写真を、作品として発表されている方がたしかおられた。都市河川は、都市の問題をはらみつつ、それでも美しく見える瞬間があるのかも知れない。しかしこちらはちょっと無理かも。

#海・川・池 
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落合の歩道橋

2006-01-15 | 新宿区  

 中落合の新目白通りにかかる歩道橋。道路が切り通しになっているので、歩道橋の階段の下半分は、その崖を使って作られている。歩道の幅を広く取るためにも有効なレイアウトだが、折り返しの踊り場部分の下は低いので自転車に乗ってくぐるのはちょっと恐いかも。

 この階段では切り通しの上の住宅地には行けない。だから崖上の住宅地に住む人は別の場所で一度道路まで下りて、その後もう一度歩道橋を上らなければならない。なんとも疲れる歩道橋である。そもそも新目白通りが切り通しでここを貫通しなければ、そのまま平面移動で北側の地区へ行けたのだが、大きな通りができたために上下移動も大幅に加わってしまった例。

 いろいろ文句をつけたが、こういうちょっと変な階段、意外に好きです。

#階段・坂 新宿区  #橋
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乱暴な風景

2006-01-14 | 新宿区  

 引き続き目白文化村界隈。山手通りと新目白通りは目白文化村の近辺で十字型に交差している。戦前にひとまとまりの街として分譲された文化村地区は、この二つの道路により、ほぼ3つに分断されてしまっている。

 何故、よりによって、せっかくの郊外住宅地を縦横に横切る形で道路計画がされたのか、私は理由を知らない。しかし、以前にも参照した目白文化村HP内の「文化村の改正道路(山手通り)開通」という記事にも書かれているように、この道路の建設は、目白文化村のみならず周辺一帯の住環境に、結果的に大きな影響を与えた。そして目白文化村というものが、田園調布などとは異なり、人々の記憶から薄れてしまった要因がこの道路建設であることもほぼ間違いない。

 山手通りは1935年頃から戦争を挟んで建設されたという。1922年に第一文化村が販売されてから20年程度の内に街は東西に分断された。更に1960年代後半には新目白通りが開通し、街は南北にも分断された。

 目白文化村が位置する中落合の高台の南側には、妙正寺川が流れる谷があり、西武鉄道はこの谷筋を走っている。山手通りはこの谷を跨ぎ、丘を越える道になっている。幹線道路なので、アップダウンを最小限にするべく、谷間の妙正寺川と西武鉄道は高い位置で跨ぎ、一方で中落合の丘は切り通しを使って越える構造になっている。この結果、目白文化村の近くには深い切り通しができてしまった。新目白通りも切り通しを使って山手通りと交差しているが、更にもう一段削って山手通りをも立体交差でくぐって郊外へ向かっている。交差点付近には高台の住宅地へ上る急な階段がいくつもできた。

 その後、山手通りには地下深くに大江戸線が建設され、更に現在は首都高速新宿線が全て地下で建設されていて、交差点の付近には背の高い換気塔の建設が予定されているとも聞く。また地上でも山手通りの拡幅が行われている。数年ぶりに訪れたら、かなり様子が変わっていてびっくりしてしまった。

 写真のように切り通しのそばの高台上には古い住宅がまだ残っている。しかし拡幅によって道路との間にあった庭などが削られ、樹木が伐採されたため、高台の住宅が道路側から丸見えの状態になってしまった。道路建設はかなり乱暴な風景を生み出してしまうことがあるなと思わずにいられない。別の場所では、道路から離れた奥の方には低層の住宅地が広がるが、道路沿いには中高層のマンションが建ち並び始めている。幹線道路から見る限り、目白文化村の面影は残念ながら殆ど無くなりつつあるというのが正直な感想。

#古い建物 新宿区  #道  #地形
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目白文化村の窪地

2006-01-11 | 新宿区  

 blog巡りをしていて、Kai-Wai 散策というブログを発見。アースダイビングなる街歩きというか地形歩きが存在していることを知りました。更に「東京の凸凹地図」という書籍が出たことを知り、早速購入。カラーで微少な地形がよく判る地図が載せられていて、まことに美麗。大変興味深い。それぞれの場所の実際の様子を思い浮かべて頷くことしきり。しかし研究室で東京都心の地図をスキャンして、ドローソフトで一生懸命等高線をトレースして、ようやく色分け地形図(でも道路は未記入)を作った頃からは隔世の感あり。数年の内にこんなことがどんどんできるような時代が来るとは・・・。

 更に石川初さんという方のブログへ飛ぶと、スリバチ学会なる集まりがあり、窪地探索を実行しているとのこと。地形巡り・階段巡りをしている私は興味津々。

 さて今日は目白文化村で遭遇した小さな窪地地形。所在地は新宿区中落合3-17と18の間。昨日も記した目白文化村HPによると、昔は弁天池という小さな池があった所だそうです。目白文化村開発当初はまだ池が残されていたそうですが、後に埋め立てられ、道路が通ったんだとか。

 上の写真は窪地の南端あたりからのもの。手前に下り階段。奥は上り階段。階段を下りたところには交差点があり、交差点の右は上り階段で、左はしばらく平坦ですが数十m先で上りの坂道になっています。写真にうまく写せないのがもどかしいのですが、この階段を下りたところは確実に小さな窪地(高低差3m程度)です。池を埋めたんだから窪地なのは当然かも・・・。

 こちらの写真は、上で述べた「交差点の右側の階段」の上から撮影したもの。

 判りにくいですが、奥の方で緩やかに道が上っています。池は道路が平坦になってるあたりにあったようです。集中豪雨とかがあったら大変なんじゃないかなーと、ちょっと心配になる景色。

 しかし窪地の底に佇むと、独特の異様な感覚に支配されます。逃げ道がないかのような閉塞感とか、見下ろされている感とか、実はあまり心地良いものではない気がします。一方で、かなり特殊な地形なので、珍奇なものを発見した、もしくは特殊な環境に遭遇したという、妙な高揚感があることも事実です。何の予備知識もなしにフラフラ歩いて、こういう所に辿り着くと、衝撃は更に強く、おいおい来ちゃったよー的な、秘やかなヨロコビ感に包まれ、思わず独り言を言ってしまいそうになる自分に気づいて、ちょっと気恥ずかしくなったりします。更に、近所の人以外は知ってる人少ないんだろうなー的な、下らぬ優越感に浸ってしまい、これだから街歩きはやめられないなどと、にやけるのでした。

#階段・坂 新宿区 
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ねじれた階段

2006-01-10 | 新宿区  

 成人の日は西武新宿線の下落合駅で下車して、新宿区の落合界隈を歩いてみました。

 Chinchiko Papalogというブログ及び、目白文化村というサイトを見て、近くに長年住んでいるのに、あまりこの界隈を知らないことに気づき、改めて見て回ろうという気になったのでした。目白文化村の詳細については、このサイトの方に膨大な情報があるので、こちらでは書かないことにして、私はお散歩モードで戦前に形成された郊外住宅地の名残を探しながらウロウロしたのですが、肝心の住宅地の風景ではなく、ちょっとずれた部分が妙に気になり・・・。

 中落合1-7で、新目白通りの歩道へと上る小さな階段です。全体の平面形は台形で、扇形にステップが付いており、手摺に沿って上るとなんだか上りにくい・・・。バリアフリーの観点からするとあまりよろしくないのでしょうが、私は結構、こういうの好きです。実を言うと10年ぐらい前に一度見たことがあって、ずっと気になっていた階段。手前がかなり鋭角になっているのもよろしい。

 区道のようですが、こういうのって誰がデザインしたんだろう?。デザインってほどのものじゃないかも知れませんが、なんだか気になります。デザインしたからこうなったのか、現場で適当にやったからこうなったのか???。街中には意図せざるデザインが転がっています。

#階段・坂 新宿区
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