都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

日暮里富士見坂

2006-01-29 | 荒川区  
日暮里富士見坂からダイヤモンド富士を望む
Photo 2006.1.28 17:02

 久しぶりに日暮里富士見坂へ行ってみた。東京には江戸期から富士見坂と称する坂がいくつかある。しかし富士見坂という名が付けられた坂で、しかも山手線の内側で古くからあるもので、現在も富士山が見えるのは、この日暮里富士見坂と、大塚の不忍通りの富士見坂の二箇所しかないという。不忍通りの富士見坂の方は建物でかなり見えなくなっていて、比較的よく見えているのはこの日暮里富士見坂のみ。

 富士山が見える、というと、都庁や文京区役所に行けば見えるじゃんと言われるかも知れない。そう、高い所に行けばもちろん見える。ビルの上から見るというのは、ある意味眺望の独占である。そこからよく見えるということは、その後ろの陰になった場所からは全く見えないことを意味する。ビルに居る特定少数の人が、地上の不特定多数の人の眺望を奪っている。都庁の展望室は誰でも行けるが、早朝や夜間には開いていなくて、いつでも見られるわけではない。だから地形の上から見えるということ、誰でもいつでも見ることができるということは、非常に価値あることなのだ。

 さて日暮里富士見坂からは、毎年11月中旬と1月下旬に、太陽が富士山の頂上付近に沈む現象が見られる。日没の瞬間、富士をシルエットに太陽が光り輝く様子から「ダイヤモンド富士」と呼ばれている。新聞等でも何度もとりあげられているので、ご存じの方も多いかと思う。

 太陽の沈む位置は、毎日少しずつ変わる。今回のダイヤモンド富士は1月28日~31日、夕方16時50分頃である。だが昨日、実は私は日没に間に合わなかった! 日没後数分経過しているが、まだ空は茜色で富士山のそばの雲に光が反射して輝いている。

富士への日没を見る人々
Photo 2006.1.28 17:03

 近年は、日没時刻の少し前から人が集まりだし、日没時には数十人が集団で富士を見るという、ちょっと面白い光景を見ることができる。昔はあちこちの富士見坂や坂から日常的に富士山が見えたらしい。もちろん印象的な風景だから、昨日も記したように浮世絵などの絵画にも描かれているのだが、富士見は現在ほどは特殊な状態ではなかったはずだ。都心でほとんど唯一の富士見の場所であるという特殊な状況が、非日常的な場所性を強めている。

 ダイヤモンド富士などは、交通整理のお巡りさんなども現れ、一種のお祭りになっている。夕方30分限定のお祭り。主役は富士と太陽。見るものは示し合わせてあっという間に集まり、日没の十数分後にはもとの静かな坂に戻る。

日暮里富士見坂の夕暮れ
Photo 2006.1.28 17:06

 富士見坂からの風景は、上野台地から西南方向へ眺めるもの。不忍通りの谷の反対側には、本郷通りを尾根道とする本郷台地が見える。昔はほとんどの建物が平屋か二階建てだったので、地形に沿って甍の波が見えていたはずだ。

 数年前に本郷通り沿いでマンションが建設されて、富士山の左側が隠れることになった際は建設反対運動も起こった。昔は富士の両裾が見えていたが、今は右側だけ。なかなか強制力を持って富士への眺望を規制できないので、現在は富士を隠すような建設行為のみに運動が展開されている。

 確かに富士山のお姿が気になるので、ついそっちの方だけを注視してしまうのだが、冷静に坂の様子と富士山へのヴィスタ景全体を眺めてみると、周辺の状況も気になってくる。例えば、富士の右側、画面中央に大きく見える不忍通りのマンション。また、遠方左側の東洋大学の校舎も富士より高くなっていて気になる。

 残したいのは、谷になった斜面全体の景色とその向こうにある富士山なのだと思う。富士山さえ見えれば良いというわけではないのだ。額縁に囲われた富士山にはしたくない。富士山が見えなくならないようにという活動はもちろん大切だが、富士へのライン以外の場所は何をしてもOK、という状況は望ましくない。とは言っても、現在の状況ではすぐにはコントロールはできないかもしれない。日暮里富士見坂からの富士山の眺望が、文化景観として多くの人々に愛され、かけがえのない風景遺産になることが重要で、そうなれば、バロックの都市計画で創られたヴィスタ景を守ろうとするパリのような、強制力を持った取り組みをすることができるようになるのだろう。

 日暮里富士見坂からの眺望について

富士見坂眺望研究会
日暮里富士見坂を守る会
日暮里富士見坂からの眺望
東京の斜面地空間−都心部山の手の地形−

#階段・坂 荒川区  #ヴィスタ  #眺望  #山
コメント
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