「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

             喜寿の祝い

2008-02-16 07:19:14 | Weblog
きょう77回目の誕生日を迎えた。自分でいうのもおかしいが喜寿の祝いである。
いつのまにか馬齢を重ねたものだ。"嬉しくもあり嬉しくもなし”というのが正直
な気持ちだ。親不幸者で、僕は両親の喜寿を祝ったことがない。父の時はまだ
安サリーマンで、長女が生まれたばかり経済的にも精神的にもその余裕がな
かった。母の時は転職と転勤が重なる人生の転機に当っていた。

喜寿の想い出は母方の祖母の時だけだ。昭和15年、僕が小学校4年の時だが、
元冶元年生れの祖母はそのとき、すでに認知症になっていた。昔は喜寿のお祝
いのお返しとして白地の扇子に「喜」を草書体で書いて贈ったが、祖母は「七」の
字の書き順がわからなくなっていた。僕もその時の祖母の年齢に達したが、幸い
今のところボケはないようだ。

いまの日本では喜寿ぐらいは長寿に入らない。今年、僕は35人の大正生れの人
生の先輩から年賀状を貰っている。「傘壽」(80歳)「米寿」(88歳)「卒壽」(90才)
をすでに祝った方もいる。そのほとんどの方が、不思議とご夫婦健在の方々であ
る。僕ら夫婦も願わくば、そうありたいものだ。

同じ屋根の下に住む娘夫婦と孫2人が、先日喜寿の祝いを前倒しでしてくれた。
有難いことだ。一方、あまり有難くないのは40歳をとうに過ぎた独身の長男から
は、まったくの音沙汰なしだ。子供は親の背中をみて育つという。両親の喜寿を
祝わなかった"報いだ”と老妻はいうが、その通りかもしれない。