きょう77回目の誕生日を迎えた。自分でいうのもおかしいが喜寿の祝いである。
いつのまにか馬齢を重ねたものだ。"嬉しくもあり嬉しくもなし”というのが正直
な気持ちだ。親不幸者で、僕は両親の喜寿を祝ったことがない。父の時はまだ
安サリーマンで、長女が生まれたばかり経済的にも精神的にもその余裕がな
かった。母の時は転職と転勤が重なる人生の転機に当っていた。
喜寿の想い出は母方の祖母の時だけだ。昭和15年、僕が小学校4年の時だが、
元冶元年生れの祖母はそのとき、すでに認知症になっていた。昔は喜寿のお祝
いのお返しとして白地の扇子に「喜」を草書体で書いて贈ったが、祖母は「七」の
字の書き順がわからなくなっていた。僕もその時の祖母の年齢に達したが、幸い
今のところボケはないようだ。
いまの日本では喜寿ぐらいは長寿に入らない。今年、僕は35人の大正生れの人
生の先輩から年賀状を貰っている。「傘壽」(80歳)「米寿」(88歳)「卒壽」(90才)
をすでに祝った方もいる。そのほとんどの方が、不思議とご夫婦健在の方々であ
る。僕ら夫婦も願わくば、そうありたいものだ。
同じ屋根の下に住む娘夫婦と孫2人が、先日喜寿の祝いを前倒しでしてくれた。
有難いことだ。一方、あまり有難くないのは40歳をとうに過ぎた独身の長男から
は、まったくの音沙汰なしだ。子供は親の背中をみて育つという。両親の喜寿を
祝わなかった"報いだ”と老妻はいうが、その通りかもしれない。
いつのまにか馬齢を重ねたものだ。"嬉しくもあり嬉しくもなし”というのが正直
な気持ちだ。親不幸者で、僕は両親の喜寿を祝ったことがない。父の時はまだ
安サリーマンで、長女が生まれたばかり経済的にも精神的にもその余裕がな
かった。母の時は転職と転勤が重なる人生の転機に当っていた。
喜寿の想い出は母方の祖母の時だけだ。昭和15年、僕が小学校4年の時だが、
元冶元年生れの祖母はそのとき、すでに認知症になっていた。昔は喜寿のお祝
いのお返しとして白地の扇子に「喜」を草書体で書いて贈ったが、祖母は「七」の
字の書き順がわからなくなっていた。僕もその時の祖母の年齢に達したが、幸い
今のところボケはないようだ。
いまの日本では喜寿ぐらいは長寿に入らない。今年、僕は35人の大正生れの人
生の先輩から年賀状を貰っている。「傘壽」(80歳)「米寿」(88歳)「卒壽」(90才)
をすでに祝った方もいる。そのほとんどの方が、不思議とご夫婦健在の方々であ
る。僕ら夫婦も願わくば、そうありたいものだ。
同じ屋根の下に住む娘夫婦と孫2人が、先日喜寿の祝いを前倒しでしてくれた。
有難いことだ。一方、あまり有難くないのは40歳をとうに過ぎた独身の長男から
は、まったくの音沙汰なしだ。子供は親の背中をみて育つという。両親の喜寿を
祝わなかった"報いだ”と老妻はいうが、その通りかもしれない。