「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

      老人に過酷だった昭和20年という年

2010-07-29 06:17:39 | Weblog
病気回復のお礼をかねて昨日、老妻と目不動尊に参詣した。猛暑を通りこして
酷暑の一日であった。昨日は月に一回の縁日だったが、さすがにこの酷暑で参詣
客もまばら、出店の数も少なく、蝉の鳴き声だけが境内に響いていた。

木陰を求めて独鈷の滝の脇を行くと作曲家、本居長世の碑があった。「赤い靴」「七
つの子」「めいめい小ヤギ」など大正から昭和の初めにかけて活躍した作曲家の「十
五夜お月さん」の楽譜の碑である。この歌が作曲された大正9年、本居は、この不動
尊の隣りに住んでいた、その記念碑である。作詞家は野口雨情である。

たまたまの偶然かも知れないが、本居も野口も敗戦の年の昭和20年に亡くなってい
る。本居が60歳、野口が63歳、今なら働き盛りの年齢である。

昭和20年は、わが国開闢以来一番死者が多かった年であろう。海外の戦地で亡くなっ
た兵士、広嶌、長崎の原爆、沖縄戦、東京、大阪、名古屋など各地の空襲で亡くなった
市民。その数は数百万に上る。そのほか食糧難などから病死した人も多かった。とくに
体力のない年寄りに犠牲者が多かった。わが家でも、この年、本居、野口とほぼ同年齢
の叔父と伯母、それに元治元年生まれの祖母が亡くなっている。

亡父も日記に18貫あった体重が12貫500に落ちてしまった、と記している。老人には過酷
な時代であったのだ。今の平和の時代なら本居も野口ももっと長生きしてすばらしい歌を
提供してくれただろうに。