「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        三島由紀夫が”最後の晩餐”をとった料亭

2013-01-12 07:45:09 | Weblog
昨夕、知人の招待で東京新橋の料亭「すえ源」で懐石料理をご馳走になった。「すえ源」は明治42年創業、鳥料理を中心に東京では屈指の老舗である。同店のHPによると戦前の宰相、原敬や六代目菊五郎も訪れたことがある。また戦後は、作家の三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で割腹自殺する前夜、盾の会の同志とともに”最後の晩餐”をとっている。

三島由紀夫が壮絶な自殺をとげたのは昭和45年11月で、数えてみたらもう43年の歳月が流れている。当時僕は福島県郡山の開局したばかりのテレビ局に勤務していたが、この事件に大きな衝撃を受けたのを覚えている。しかし、一方では新会社を如何にして経営軌道にのせるか夢中で、三島らが、なぜこんな擧に出たのか、馬鹿なことをしたものだと覚めた目でみていた。

三島の主張は占領下で制定された憲法を改正し、自衛隊に決起を促すものだった。43年の歳月が流れ、この間当時の佐藤内閣から数えて24人の総理が変わり、第二次安倍晋三内閣で、再度憲法改正の声が浮上してきた。三島の死後、その伝記をまとめてた「ペルソナ」の作家、猪瀬直樹が石原慎太郎の後を受けて東京都知事に選ばれた。

三島由紀夫が憲法改正に絡んで、領土問題についてどのような発言をしていたのか不勉強で知らないが、中国の新華社通信が尖閣諸島は中国の領土だと初めて主張したのは、三島が自決した翌月の12月である。僕は昨年、野田内閣が尖閣諸島のの国有化を宣言した後の中国の対日強硬態度を想起した。いたずらに事を荒らたげる必要はないが、日本にとって憲法改正はやはり必要なのではないだろうか。