「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

     イスラム過激派の礼拝強要と旧日本軍の宮城遥拝

2013-01-25 06:29:06 | Weblog
アルジェリア人質事件は邦人10人が殺害されるという最悪の事態になった。無事だった7人と23日までに死亡が確認された9人の遺体を乗せた政府専用機は25日帰国した。菅義偉官房長官は帰国後、これまで公表しなかった犠牲者の氏名を明らかにするが、事件後9日たって次第に今まで判らなかった事件の全容が明らかになりつつある。

産経新聞のカイロ電は現地紙や政府関係者の発言などから今回の人質事件の計画準備から襲撃の模様緊迫した現地の様子を伝えているが、その中で犯人のイスラム過激派が人質に対して礼拝を強要したとあった。強要がアルジェリア人だけなのか日本人を含む全員なのか明らかではない。が、過激派のファナティックな一面が覗えて事件の解明にも役立つかもしれない。

この礼拝の強要から、僕は先の戦争中の日本軍政下で現地人や抑留外国人に不評だった宮城遥拝を想起した。元インドネシア大使で戦争中は旧日本陸軍の軍政官だった斉藤鎮男氏(故人)は著書「私の軍政記」の中で、軍政が悪評だった具体的な例として日本語の強制、宮城遥拝の強要、頭髪の刈込の制度化をあげている。メダンの中心部には紘原神社が建設されて、ここでもイスラム教徒が礼拝するメッカと反対の東方向にむかって礼拝を強制した。

イスラム教徒は1日6回、どこにいてもメッカの方向が判るようにキブラという矢印が書かれているが、僕の知る限り回教徒が同じ回教徒や他宗教の信者に礼拝を強要するのを見たことはない。産経新聞によると、アルジェリア人の人質の一人は”怖いから礼拝に従った”と告白しているが、僕の知っているイスラム教徒とは違った人たちである印象を受けた。