「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

100年前、ウェルーズ沖で沈没した平野丸の慰霊碑

2018-05-15 04:59:04 | 2012・1・1
先の戦争後、海外各地に建てらえた慰霊碑を巡拝されている知人から第一次世界大戦末期(1918年)英国のウェルーズ沖で、ドイツ海軍の潜水艦(Uボート)の攻撃を受けて沈没した日本郵船の貨客船、平野丸の犠牲者、210人を祀る、現地人によって建てられた慰霊碑が、今年100年に当たり再建されるという宮崎日日新聞の記事(共同通信)をメールで送って頂いた。

初めて聞く話である。ウェールズというと、僕ら昭和一ケタ世代は、大東亜戦争勃発時の昭和16年12月10日、マレー沖で、日本海軍航空隊の爆撃、雷撃を受けて瞬時にして沈没した大英帝国東洋艦隊の旗艦、プリンス.オブ.ウェルーズ号を想い出す。当時小学生だった僕は学校から映画館に連れられて映画「ハワイ. マレ沖海戦」を見に行き、その勝利の場面に拍手を送り胸を躍らせた。

第一次世界戦争について、僕らの世代はほとんど学校で教わっていない。わが国は日英同盟の関係でドイツを敵にする連合軍だったが、戦闘行為は青島(チンタオ)やドイツ領南洋群島に限られていた。しかし、今回、平野丸の慰霊碑を機会に調べてみたら、欧州航路で33隻の日本の商戦がドイツ軍の攻撃で犠牲になり、その慰霊碑が鶴見(横浜)の総持寺の境内にあることを知った。^

ウェルーズの現地では平野丸沈没100年に当たる今年10月、朽ちかけた慰霊碑を再建し、新しい碑の除幕式が行われる。日本では厚労省が保存維持のできない民間の慰霊碑について処分する事業が展開されている。いつから日本人は慰霊の心を失ってきたのだろうか。プリンス.オブ.ウェルーズの船体はマレー沖海底に沈んだまま。現地に慰霊碑があるかどうかは寡聞にして知らない。