「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

榎本武揚とインドネシア 函館戦争

2018-05-21 05:29:22 | 2012・1・1
函館出身の娘婿が母親の病気見舞いに出かけた土産に函館名物の「御勝手屋」羊羹(写真)を買ってきた。函館ではトラピスト.クッキーと並んで昔から有名である。円筒の容器に入っていて、底を下から押して取り出し備え付けの糸で切って食べる、昔ながらの羊羹だが、今回包装紙に明治3年創業と書いてあるのに目が引かれた。1970代、札幌の民放に勤務中、年に数回、函館へ出張していたが、函館の歴史については詳しいことは知らなかった。

僕が函館戦争に興味を持ち出したのは1994年、インドネシアのバンカ島沖のレパールという小島へ、榎本武揚らが乗った幕府の和蘭行御軍艦方の遭難の足跡を調べに行ったのがきっかけだ。一行は1962年(文久2年)、暴風雨にあって船が沈没、、レパール島の村長によって救出され、約1か月にわたって現在のインドネシアの地に滞在している。(1994年3月14日付け日本工業新聞所載)

榎本武揚が戊申の役で、海軍副総裁として幕府軍を率い、函館の五稜郭に立て籠り、新政府軍との間に戦闘したのは、1965年ー66年である。榎本が和蘭から帰国してから間もなくである。函館戦争には新選組、”彰義隊隊など旧幕府軍が大勢参加しているが、幕臣だった祖父は参加していない。当時、祖父は幕府の関東方代官をしていたが,勝海舟と同じ”恭順派”だったのだろう。

御勝手屋の羊羹は、函館戦争直後に松前で創業されている。南部藩から開拓に入っ元藩士が始めたそうだが、調べてみると、榎本武揚らはいったん全員逮捕されたが、明治5年釈放され、榎本はその後文部大臣,外務大臣など歴任、新政府によって重用されているが、一般の兵士たちは、その後どんな道を歩んだのだろうか。