「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

東京ぶらり昔話 四谷 青春の思い出の地

2021-08-16 11:27:54 | 2012・1・1
四谷は筆者の青春時代の思い出の地だ。昭和23年4月から28年3月までの5年間、JRの駅から数分にある上智大學で旧制予科1年から、新制学部4年まで学んだ。大学のキャンパスは都電新宿通りから新築中の聖イグナチオ教会越しにあったが、駅の周辺は空襲の焼け跡が残っており、商店もトタン屋根張りであった。

大學の地名の紀尾井町は江戸時代に徳川二家の紀州家と尾張家、それに井伊家の屋敷があったことから、明治になって三家の頭文字,紀、尾、井をとって命名された。キャンパスの脇には江戸城の外掘が残っていたが、掘を掘った大名の名前をとり「眞田堀」と呼ばれていた。筆者が学部に入学した年、堀は焼け跡のごみで埋められ、大学のグラウンドとゴルフの打ち放し場になった。

真田堀の大学の対岸には現在国の迎賓館があるが、当時国会図書館に使用されていた。まだ、品川から飯田橋まで都電がトンネルを抜けて走っていた。筆者も時々、図書館を利用したが、立派なシャンデリアの下で読書するのはひときわ雰囲気があったものだ。

大學から赤坂見付に抜ける界隈もまだ歴史が残っていた。今は超高層のホテルが建ち並んでいるが,当時は清水谷公園近くには古い武家屋敷が残っており、昔をしのばせたものだ。