「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

東京ぶらり昔話 二子玉川 大山詣での渡し場

2021-08-22 09:22:56 | 2012・1・1
若者言葉で「ニコタマ」と呼ばれているそうだが、正式には「フタゴタマガワ」である、東京の南西部を流れる神奈川県と境を接する多摩川に面している。歴史書によると、江戸時代には落語で有名な大山詣での渡し場があって行楽地として賑わったそうだ。昭和になってからは関東大震災復興の砂利需要から多摩川の砂利を運ぶため渋谷から路の玉電の玉電が敷かれ発展、さらに昭和40年台になってからは駅前に高島屋デパートができ、都心からの地下鉄も乗り入れて急激な発展をした。

戦後すぐの昭和23,24年の二夏、筆者は大学生だったが、当時二子玉川にあった明大プールで更衣の預かりのアルバイトをした。明大プールはもともと玉川プールと呼ばれていいた戦前からの古いプールで、アジア大会の前身の極東大会が催され、ターザン役で有名な俳優のワイズ.ミラーが泳いだ。井戸水をくみ上げたもので水温が低いのが特徴だった。

二子玉川駅には東急大井町線と玉電が乗り入れているが、駅から数分のところに多摩川の土手があり、それにそった河川敷には、かっては子供向けの遊園地があった。我が国最初のジェットコースターもこにあった。戦争中にはプールの先に訓練を兼ねた落下傘塔があった。高さ10mほどだったが、装具まであった.。塔はその後解体されて江ノ島に移された。今はどうなっているか。