「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

東京ぶらり昔話 蒲田 勤労動員された町

2021-08-30 09:02:16 | 2012・1・1
筆者にとって蒲田は戦争に最も近い町である。昭和20年1月4日から4月15日,京浜大空襲で工場が全焼するまで、当時中学2年生から3年生だった筆者らは授業を中止し蒲田の軍需工場へ学徒動員された。毎朝早朝8時、国鉄蒲田駅東口に集合、多摩川べりの工場まで約1.5キロの道を行進した。この年は大雪が多く、子供には大変だった記憶がある。

工場では海軍の秘密潜航艇,丸六の部品を製造していたようだが、筆者ら子供は雑用していただけ、ストーブの火の番人であった。大空襲で工場は全焼したが、そのあとも焼け跡整理に動員され、工場だけでなく近くの雑色駅の焼けこげを牛車に乗せて運んだ。こんな作業の中でも艦上機の機銃掃射にあった。

蒲田には戦前、松竹の映画撮影所があり、映画の町だったが、戦争中は閉店休業だったのか、まったく思い出がない、日の丸ハチマキにもんぺい姿、戦闘帽にゲートル姿の学徒動員の町だった。70余年も前の話である。