10月Ⅰ日は東京「都民の日」である。都内の公立学校は休みで、都立の動物園、水族館、博物館、美術館等は無料で入館できる。残念ながら80歳半ばの老人では、どこへも出かける気力も体力もなく、家で昔を偲びながら、故郷、東京の「都民の日」を祝った。
戦時下の昭和18年、東京府と東京市が一緒になるまで10月Ⅰ日は東京「市民の日」であった。やはり休日だったようだが、一方で、学校の祝典で「東京市歌」を歌った記憶がある。”紫においし”で始まる「東京市歌」は、同時代の東京の小国民は今でもこの歌を憶えている。
♯ 東京市歌(作詞 高田耕甫 作曲 山田耕作)
紫においし武蔵野の野辺に 日本の文化の花咲きみだれ
月影入るべき山端もなき 昔の広野の面影いずこ
大正15年に「東京市歌」に制定されているが、昭和7年、日本コロムビアからSPとしてレリーズされ、そのA面に収録され、B面には「東京市童謡」が入っている。僕はこの歌を知らなかったが、歌詞がその時代を反映していて面白い。
♯ 東京市童謡(作詞 吉岡栄二郎 作曲 山田耕作)
(1)日本一の東京は それはどなたがしたのです じいさま、ばあさまなのです
(2)東洋一の東京は それはどなたがしたのです とうさま、かあさまなのです
(③)世界一の東京は それはどなたがするのです それはわたしです
戦前の地理の時間では、世界の都市は人口の大きさ順に、ニューヨーク、ロンドン、東京、パリだと教わっていた気がする。「東京市童謡」は当時の日本人の意気ごみを歌ったものだが、80年後、残念ながら東京(特別区)の人口は9百10万人で、世界10位、ちなみに1位はインドのムンバイで1千30万人。ニューヨークは13位、ロンドンは15位である。
戦時下の昭和18年、東京府と東京市が一緒になるまで10月Ⅰ日は東京「市民の日」であった。やはり休日だったようだが、一方で、学校の祝典で「東京市歌」を歌った記憶がある。”紫においし”で始まる「東京市歌」は、同時代の東京の小国民は今でもこの歌を憶えている。
♯ 東京市歌(作詞 高田耕甫 作曲 山田耕作)
紫においし武蔵野の野辺に 日本の文化の花咲きみだれ
月影入るべき山端もなき 昔の広野の面影いずこ
大正15年に「東京市歌」に制定されているが、昭和7年、日本コロムビアからSPとしてレリーズされ、そのA面に収録され、B面には「東京市童謡」が入っている。僕はこの歌を知らなかったが、歌詞がその時代を反映していて面白い。
♯ 東京市童謡(作詞 吉岡栄二郎 作曲 山田耕作)
(1)日本一の東京は それはどなたがしたのです じいさま、ばあさまなのです
(2)東洋一の東京は それはどなたがしたのです とうさま、かあさまなのです
(③)世界一の東京は それはどなたがするのです それはわたしです
戦前の地理の時間では、世界の都市は人口の大きさ順に、ニューヨーク、ロンドン、東京、パリだと教わっていた気がする。「東京市童謡」は当時の日本人の意気ごみを歌ったものだが、80年後、残念ながら東京(特別区)の人口は9百10万人で、世界10位、ちなみに1位はインドのムンバイで1千30万人。ニューヨークは13位、ロンドンは15位である。
なんだか少し違和感がある呼び名です。
戦前は、東京といえども畑もあり、のんびりした街だったらしいですね。
今日は都民の日ですか。
通勤電車に学生の姿がなく、駅には小学生の団体がいました。
国を愛し,郷土を愛せよといっても東京のような都会はそうはいけませんね。ほとんどが、東京が生まれ故郷ではないのですから。70数年前、東京府東京市であった頃は、まだ純粋の東京人(三代続いた)も多かったのでしょうか。太田道灌の山吹の言い伝えからくる”紫匂いし”も、今では何の事か理解できない東京人が多いのではないでしょうか。
①メルボルン、豪州
②ウィーン、オーストリア
③バンクーバー、カナダ
④トロント、カナダ
⑤アデレード、豪州
で、
東京15位、パリ29位、ロンドン53位、ニューヨーク55位
江戸時代の古地図を片手に、散歩すれば、東京のあちこちにも、そこはかとなく残っている趣きのある場所もあるように思います。明治・大正・昭和初期創業の飲食店にも、立ちよれます。
最も暮らしやすい都市の15番目に東京がランクされていたのには意外でした。たしかに治安は好いですね。”爆買い”の外国人が押し寄せるところを見ると、僕らは生活費が高いと文句を言いますが、それほどもないのでしょうか。
下谷区ので、小学校1年生のころ、音楽の時間で歌いました。メロディとともに今での覚えています。そして次に入学した中学は、校章が紫の花でした。でも中学入学式の翌日に、自宅も学校も空襲で焼けてしまいました。昭和ヒトケタ生まれの私達は、様々な経験に逢いました。
”紫においし”名曲ですね。僕もまだソラで歌えます。
祖父ハローワーク幕臣で、父(明治17年)は下谷にあった旧山口自転車工場の近くで生まれ、下谷小学校を卒業しています。住んだことはないのでうが、下谷神社近辺に郷愁を感じます。
文字転換あやまりでごめんなさい