「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

石川啄木の「あこがれ」と日露戦争 

2015-05-02 05:58:26 | Weblog
親友(故人)の夫人に誘われて昨日、老妻と共に目黒区駒場の旧前田侯爵邸内の一角にある近代文学館で開催中の「少年少女雑誌にみる近代」展を見学してきた。同じ区内に住みながら、今まで一度も訪れる機会がなかったが、さすが加賀百万石の殿様の屋敷跡だけに豪華な建物も広大な庭園も一見の価値は十分にあった。

戦争中”銃後の小国民”だった同世代の僕らは、戦前の童謡雑誌「赤い鳥」から戦中の勇ましい少年少女雑誌まで懐かしく拝見、参観記念として一枚の絵葉書を貰った。葉書には昔の古い書体で「新體詩集 あこがれ 石川啄木著 文学士 上田敏書序 與謝野鐵幹書跋」と書かれた啄木の処女詩集(明治38年5月出版)の表紙が印刷されてあった。

啄木が岩手県の渋民村から”笈を背負って”19歳で上京した年の出版である。序文を書いた与謝野鉄幹は32歳、上田敏は31歳である。東北から上京したばかりの青年が、どのようにして多分、その時代には有名人だった与謝野や上田と知り合い序文まで書いて貰ったのか―。今の時代では考えられないことだ。

もう一つ、僕が注目したのは詩集の発刊が明治38年5月、あの”皇国の興廃、この一戦にあり”の日本海海戦があった同じ月である。大東亜戦争を体験している世代にとっては、想像がつかない。戦争の規模や大きさが違っていたのであろうかー。

前田邸の最後の所有者、前田利為侯爵は、戦時中、陸軍司令長官として英領ボルネオ、ラブハン島で飛行機事故で戦死されている。最近、僕はこのことを本に書いたばかりなだけに、前田侯爵邸を見学して不思議な縁を感じた。また一枚の啄木の絵葉書から日露の役を想起するなど、僕らの世代の悲しいサガなのかもしれない。






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