「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         避難所を視察する菅総理の無神経さ

2011-04-21 06:25:17 | Weblog
菅総理は福島第一原発から半径20㌔の避難指示区域を22日午前零時を持って法的に強制立ち入りできなくする「警戒区域」にするため、今日、現地入りしてこれを伝達するとのことだ。僕はこれを聞いてまず、驚いたのは事故から40日も経っているのに依然68家族も避難指示区域に危険を承知の上で生活していることだった。居残るには、やはりそれだけの理由があるからであろう。

昨日、テレビで避難指示区域の富岡町から郡山市に集団避難してきている人たちに対して東京電力が避難補償の一部仮払金を支払う申請手続説明会を伝えていた。原発事故直後,着のみ着のままで避難してきた人たちである。事故から40日も経過したのに、まだ生活仮払金が一銭も支払われておらず、東電の説明では、実際におカネを手にするのは、まだ2週間も後だという。

菅総理は、今日現地入りして佐藤雄平・福島県知事に会い、避難指示区域を「警戒区域」に切り替える措置を伝達する一方、住民の一時帰宅を許可する政府の方針を発表する。そして、そのあと、郡山市と田村市の避難所を”視察”する予定のようだ。昨日の東電の仮払金の説明会では”支払いが遅すぎる”と怒号が飛んでいた。震災後政府がとっている救援策はすべて後手後手だ。避難せよ、と住民に指示しながら、いまだに一銭も支払なければ、避難指示区域内に居残る住民がいても仕方がない。

普通、正常な神経の持ち主なら、避難指示をしておきながら、1か月以上経っても一銭も補償金が支払わず、住民のたっての望みの一時帰宅も許可しなかったら、恥ずかしくて、おめおめ避難所の”視察”など出来ないはずだ。菅総理は無神経なのか、鈍感なのか。生活者としての感覚がまったくゼロの人である。




           ガイガー管と”死の灰”

2011-04-20 05:45:48 | Weblog
福島原発事故をめぐっておかしな風評被害が出ている。川崎市長が被災地への復興支援のため善意から瓦礫の処理を引き受けたところ、何を間違えたのか、市民から放射能汚染ゴミを処理するとは何事かと4千件も苦情が舞い込んだという。一方、つくば市では福島県からの転入者に対して、放射能検査証明書を要求したとのこと。信じられない。

これに類しているかもしれない。ネット情報によると、放射能を測定する器具が飛ぶように売れているようだ。器具の中に使い捨てのカード形式のものもあって、4千円で入手できるという。果たして正確に測定できるのだろうか。放射能測定器のことをガイガー管というが、僕はこの事を半世紀ぶりに思い出した。

昭和29年(1954年)3月、マーシャル群島で操業中の焼津のマグロ漁船「第五福竜丸」が米国の水爆実験の危険水域で被爆した。放射能を大量に浴びていて機関長はその後死亡、捕獲したマグロはすべて放棄された。この事件は当時、日本の社会を震駭させる大事件で、放射能チリは”死の灰”と恐れられ、科学知識のない一般の国民でも放射能を測定する器具のことをガイガー管と知っていた。

僕も老妻もガイガー管を知っていたが、昭和30年代生まれの娘は知らなかった。当然であろう。「第五福竜丸」事件後、日本では放射能の被爆はないし、原発についての「安全神話」の時代に入った。ガイガー管の名前も”死の灰”の恐怖も日本人の頭の中から消えてしまっていた。だから、放射能をめぐる変な風評が生まれるのも無理ないのかもしれないが、福島原発が一段落した時点で、もう一度わが国のエネルギー政策は見直さなければならない。





  ”船頭多くして船山に上る” ”小田原評定”の菅内閣

2011-04-19 06:53:24 | Weblog
昨日参院予算委員会の集中審議をテレビ中継で視聴した。質疑を通じて改めて菅内閣の震災後の対応の失敗が浮き彫りにされた。福島原発事故についても、自民党の脇雅史議員の指摘のように、原発事故に対する事前のマニュアル通りにやっていれば、こんなに大事には至らなかったはずだ。民主党内閣はマニフェストもそうだが、あらかじめ決めた約束事をいとも勝手に破ったり守らない。

僕も前から感じていたのだが、大震災後菅内閣はやたらに会議や委員会を作り、内閣輔佐を増員したり、さらには閣僚の数の増員を望んでいる。昨日の委員会で自民党の愛知治郎議員が震災後菅内閣が設けた、この種の会議や委員会をパネルの表にして示したが、10幾つかあって驚いた。これに対して福島原発事故の現地対策本部長がなんと6回も交代していたというのだ。

昔から日本には”船頭多くして船山に上る”という諺がある。意味は”物事を進めるに当たって指図をする人が多いために統一がとれずまったく見当違いのほうに物事が進んでしまう”(三省堂慣用句ことわざ辞典)ということ。西欧にも同じ意味で”料理人が多すぎると肉汁が出来そこなう”(Too many cooks spoil the broth)というのがある。

もう一つ、予算委員会を視聴して僕は、菅内閣がすべての面で、救援活動が遅れているのは、これも日本に昔からある諺「小田原評定」に原因しているのではないかと感じた。「小田原評定」とは、長引いて結論が出ない相談。昔、豊臣秀吉が小田原城を攻めた時、城主、北条氏直が臣下を集めて和戦のいずれかを選ぶか評定したが、結論がえられず、ついに滅亡してしまった(三省堂慣用句ことわざ辞典)という意である。

     原発33キロの老人施設の庭にタンポポ

2011-04-18 06:50:45 | Weblog
東電福島第一原発から33㌔、市の一部が屋内退避地域に入る田村市の介護老人保護施設の施設長(女医)をしているインドネシア国籍の田中リナさんから、僅かながらの見舞い対するお返しとして地元の銘菓が早々と届いた。添えられていた手紙によると、現地は今なお余震が続き、風評が流れているが、幸い(阿武隈の)山波に二重に囲まれているためか、放射能量は福島市や郡山市よりも少ないとあった。田中さんの施設では震災後、被災地から10人さらにお年寄りを引き受け、一人で百名の高齢者の医療の面倒をみている。

放射能の拡散は、単に距離だけによるものではないらしい。政府は同心円によって20㌔までを強制的な退避地域、30㌔までを屋内退避地域と設定したが、さらに最近、30㌔以遠の飯館村や川俣町の一部を「計画的避難区域」にした。これらの地区では放射能の積算被爆量が多くて健康に危険の可能性があるというのである。

東電は昨日、福島原発事故収束に向けての工程表を発表した。遅きに失した措置だが、これによると、原子炉を安定させるまでに6か月から9か月かかる。つまり、今年いっぱいは騒ぎは収まらない。さらに安定したからといって、避難されている住民がすぐに故郷へ戻れるという確証はない。「計画的避難区域」が解除されたわけでもない。でも、工程表が示されたことによって、原発事故がいつ収束するのかの不安だけは、いちおう解消された。

田中先生の手紙には”施設の庭のタンポポは、この天災にもかかわらず、何事もなかったように咲いている。自然の生命力の強さに驚きと安堵を覚えました”とあった。昔、僕は田村市にある滝根の鍾乳洞を見学に行ったことがある。飯館村や川俣町も阿武隈山系の大自然の山ふところに抱かれた所だ。出来れば工程表なんかには関係なく元の静かな町や村に戻ってほしい。

            自販器をめぐる世代論争

2011-04-17 07:13:38 | Weblog
産経新聞の社会面(首都圏版4月16日)の見出し”自販器87万台原発0・5基分”とあった。その意味は東京電力管内には87万台の自動販売器があって、その最大消費電力は約26万㌔㍗で、単純計算すると東電福島原発1号機の出力46万㌔㍗の半分以上だということだ。素人の僕にはこれが大きいのか小さいのか即断できないが、印象ではかなりの電力消費量だ。

大震災後の電力不足から節電が叫ばれ、これに関連して石原慎太郎都知事が”軒並み自販器が並んでいるバカな国は世界にない”と発言、節電を呼びかけた。これに対して、蓮舫節電啓発担当相が”経済活動に影響する”と反論した。自販器がいっせいにストップした場合、どれだけ日本の経済活動に影響があるのか、僕は知らない。

石原都知事も僕もほぼ同じ年代、戦中戦後のもののない時代、アイスボックスで冷やしたラムネを飲み、井戸の中で冷やしたスイカを食べた世代だ。自販器がなくても一向に平気である。だから石原知事は真っ先に自販売器を目の敵にしたのかもしれない。

東日本震災後の世相を見ると、戦中戦後の苦しかった時代を体験してきた僕らの世代と、平和なよき時代だけを生きてきた若い世代との間に大きなギャップがある。僕らは”勝つまでは欲しがりません”で育ってきたから耐えることを知っている。それに馬齢をかさねてきたせいか、それほどもう我欲もない。これに反して、僕らの目には恵まれた日本だけを知っている世代は、耐えることが不得意のようだし、我欲が押さえ切れないように見受けるるのだが、どうだろうかー。

        憂さを忘れて楽しもう いわきのお花見

2011-04-16 05:51:06 | Weblog
40年前勤務していた郡山のテレビ局のOB会が今年は中止となった。毎年、市内の開成山の花見をかねて開催されているが、今年は巨大地震、大津波、それに原発事故が重なって報道機関の現場はそれどころではない。正直をいうと、地震発生時は、1か月も経てば一段落するのではと、開催に期待をかけていたのだが、原発事故の終息がこうも長引くとは想定外だった。

東北の福島は今の春のシーズンが一年中を通じて一番よい季節だ。たった2年近くの勤務だったが、僕はテレビの開局という多忙な時期ではあったが、その合間を見て県内の桜の名所を訪れる機会にも恵まれた。その一つが今回の震災をもろに受けた浜通の富岡町の「夜の森(よのもり)」公園の桜だ。2・5キロの道路沿いに2000本も植えられているソメイヨシノは見事だ。しかし、今年は原発から20キロの避難区域に入っているため、誰も花見は楽しめない。

こんな中で、僕は地元の新聞「いわき民報」のHPで、今日16日、いわき市民が市内の県立いわき公園でお花見大会を催すというのを知った。いわき市は地震、津浪の被害にあい福島原発に近かいこともあって放射能漏れによる一部の農水産物被害、とくにその風評被害に泣いている。こんな時期には、お花見を楽しむ気持ちにはなれないのが普通だが、地元企業が中心となって、すでに震災前のいわきを取り戻そうという「いわきREプライド」運動が起きている。お花見はこ運動プロジェクトの第一弾だという。

お花見大会の会場には、地元で獲れた農水産物の即売会や、いわき市内のレストランのシェフが腕を振るった地元の食材を使用したグルメも食べられるそうだ。浜通のお酒は同じ福島でも会津に比べて知名度は低いが、美酒が多い。震災後で色々憂さの多い毎日だと思いますが、どうぞ存分にお花見を楽しんで下さい。

        人迷惑な内閣官房参与は辞任せよ

2011-04-15 06:45:36 | Weblog
一昨日、僕は時事通信配信の記事で菅総理が”原発周辺の土地は放射能の汚染で20年は住めない”といった趣旨の発言をしたことをネット上で知り、この時期に一国の指導者がする発言かと怒りを感じた。早速、小ブログで”菅総理は冷酷非情、ユダヤ人虐殺計画のアイヒマンみたいな男だ”と書こうと思った。

ところが、その後の報道によると、菅総理はこの発言を否定しており、時事通信のニュースソースの松本健一内閣官房参与が総理に対して、それらしき話をしたのが、まわりまわって、こんな報道になったらしい。枝野官房長官も謝罪していたが、随分、無責任な人騒がせな話だ。原発事故に近かい岩館村の菅野典雄村長は総理に涙で抗議したそうだが、心情はよく理解できる。

内閣官房参与とはどんな職なのか知らない。大震災の後、節電担当とかボランティア担当とか、あまり直接震災の救援には緊急性がない補佐官が任命されたが、その種の職なのか松本氏には失礼だが、僕は知らなかった。早速、Wikepediaのお世話で調べて見ると、あんまり名前は聞いた事がない大学の教授だが、若い世代には著名な歴史学者だそうである。

しかし、原発事故に関係する科学者ではない。かの”暴力装置”の仙谷官房副長官のお友達のようで、菅総理を含め三人とも、偶然なのか”全共闘世代”である。国民は今、大震災に対して”絆”を深め、救援活動をしている。その最中に被災者の気持ちを逆なでするような発言をして、なんの利益になるのか。こんな似非学者が、たとえ参与にしても内閣官房にいては国のためにならない。即刻辞任せよ。


         わが家の金魚の地震予知能力?

2011-04-14 06:55:14 | Weblog
わが家の玄関先で飼っている二匹の金魚が4月11日夕方の大きな余震の前に異様な行動に出ていた。夕食前だったが、勤めから帰宅した娘が老妻に対し”金魚が動かない、どうしたのかしら”と声をかけた。二人で覗いてみると、いつもなら元気に泳ぎまわっている二匹が寄り添ってじっとしたままだ。”おかしい”と二人が言っていたが、それから7,8分後に地震がきた。

昔から地震の前には鯰(なまず)が騒ぐという話は聞いたことがあり、安政地震のさいの鯰の騒いだポンチ絵(漫画)を見たことがある。金魚にも予知能力があるのだろうか。娘が翌日、この話を職場の同僚に話したところ、同僚から「金魚の地震予知」と題するブログのコピーを貰ってきた。2006年6月、大分地方で起きた震度5の地震の前にやはり飼っていた二匹の金魚が同じような行動に出ていた。

僕は動物の地震予知能力につぃてあまり信用はしないが、老妻は信用する方で、3月11日の巨大地震の1週間前、茨城県鹿島市の海岸に52頭のイルカが打ち上げられたのも、大地震の前兆だったと主張する。ネットで調べてきて2月のニュージーランド・クライストチャーチの大地震の時も、近くの離島、スチューアート島に鯨107頭がやはり打ち上げられていたという。

同じくネット情報では、巨大地震の後,湘南の鎌倉由比ガ浜や逗子海岸にもそれぞれイルカ1頭の死体が発見されたという。地震に関係があるのかどうか。昔から大きな天変地異の後には、色々とおかしな風聞が流れるものだが、それにしても金魚にもし予知能力があることが証明されれば、冗談ではなく研究所で飼育する価値はある。

(写真は地震を予知した時のものではありません)

      菅総理の感性と国民との見解の相違

2011-04-13 06:30:16 | Weblog
福島、茨城の太平洋沿岸の被災地を中心に連日M5から6の強い余震が続き、そのたびに東京でもM3級だが、気持の悪い揺れがある。さらには、内陸部の千葉や長野でもM5弱の地震が起きている。気象庁では3月11日の巨大地震の余震としているが、心理的には東京首都圏を包囲するようで落ち着かない。

福島原発事故による放射能の影響もデータ上は、首都圏には影響ないことは判っているが、老妻などは天気がどんよりと曇ると、放射能の影響ではないかと思い、洗濯物を外に干したりしない。地震の被災地でなく福島原発事故に関係のない東京でさえこうである。テレビの画面で被災地の中年の女性が、余震後”毎日これでは恐くて眠れない”と言っていたが実感であろう。福島県では県独自で県内2千か所で放射能値を測定して県民に公表するという。地元の自衛策である。

こんな中で昨夕、菅総理の記者会見を聞いたが、国民の最大関心事である放射能放出量についての国際評価(INES)が最悪レベルの7に引き上げられた事は後回しだった。この会見は本来大震災1か月後の一昨日行われる予定だったのが、余震のため延期されていたものにすぎなかった。だから国際評価が7となった深刻な事態への認識が薄いし無策なのだ。

被災地では10万人を越す人たちが避難しており、余震に怯えているというのに「震災復興構想」計画である。将来へ向かって重要であり、指導者として発表したい気持ちはわかるが、あまりにも国民感情から遊離している。市民運動家というのは庶民生活が理解できない感性の持主のようだ。

記者の一人が大事震後の失政と地方選挙の敗退の責任をとって総理に辞任する気持ちはないかと質問したら、その記者に対して“○○さん、あなたとは見解の相違だ”だと質問をそぐらかした。公開の会見の場であり、記者との討論の場ではない。随分、失礼な話である。


    最悪な国際放射能危険評価と官邸災害Twitter

2011-04-12 07:21:14 | Weblog
東日本大震災発生1か月の昨夕、被災地をM7-0の強い余震が襲った。まるで被災地の救済復興事業の政府の遅々とした対応を嘲笑するかのような大自然の挑戦である。一体、この国の政府機能はどうなってしまってしまったのだろうか。そして、今度は福島原発事故による放射能の危険度をINES(国際放射能安全尺度)7と旧ソ連のチェルノブイり事故なみの最悪レベルにひき上げた。さらには、原発から30㌔も離れた地域の一部も「計画的避難区域」に指定するという。

菅首相官邸には「kantei-saigai」というTwitterがある。被災の現状を”短くてタイムリーなメッセージを国民に発信する”のが目的で、大震災直後の3月13日に設置されている。しかし、今朝(4月12日)このtwitterを覗いたところ、INESの尺度を最高の基準7に引き上げたことも「計画的避難区域」にも触れていない。たんなる時間的なものと思うが、意識的にこれを発表しないとすれば問題である。

そもそも官邸にこんなtwitterなど必要なのだろうか。首相官邸と言えば、昔の軍隊でいえば、大本営であり、参謀本部である。南三陸町にイスラエルからの救援医師が活躍している、といったニュースは、前線司令部や兵站本部が扱うニュースである。それに第一避難生活を送る人たち、とくにケータイも電話機能しか知らない、僕ら老人には伝達されない。

財務省の被災地向けのニュースは「壁新聞」だ、と野田大臣がテレビで語っていたが、官邸はtwitterを使用したりしてバラバラだ。このように政府の国民へのメッセージがバラバラだと、どうしても風評やデマが流布されがちだ。きちんとした対応を望む。