「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

      石原都知事の”我欲を捨てた”政治に期待

2011-04-11 06:58:07 | Weblog
東京都知事選はやはり予想通りというか石原慎太郎氏が大勝した。78歳という高齢で四選目。本人も出馬に当たってためらいもあったようだが、僕もできれば若い人に代わってもらいたかった。が、東日本大震災後の政治混乱もあって、ここはやはり長い政治経験と実績のある石原氏に期待する声が強かったのであろう。

震災直後で候補も選挙民も選挙どころではない、という状況だった。選挙期間中、僕はどの候補の街頭演説も聞かなかったし、選挙カーも見なかった。ラジオやテレビで候補の経歴や政治主張を視聴しただけだったが、僕が石原氏に期待して投票した第一の理由は、石原氏の”我欲を捨てよう”という言葉であった。僕もそうだが、長い人生を送ると、今さら”我欲”には固執しなくなる。石原氏の言うように、今の日本人は少し”我欲”を主張しすぎているのではないだろうか。

石原氏に懸念なのは高齢な点である。どんな頑丈で健康な人間でも歳には勝てない。60歳と80歳の時とは違う。その60代でも前回の都知事選で石原氏に善戦して敗れた浅野史郎氏は、石原氏より一回りも若いのに、病気で目下療養中である。

これからの四年の任期中、何が起きるか判らない。日本の首都の指導者である。”高齢”は言い訳にはならない。どうぞ健康に留意されて頑張って頂きたい。もう、ご本人には”我欲”はない。”我欲”にこり固まっているようにみえる、国政の指導者に対してカツをいれて頂きたい。

    "HORAS INDONESIA " 北スマトラの楽器演奏会

2011-04-10 10:02:59 | Weblog
北スマトラにシンガポールがスポッと入る位大きな湖、トバ湖があります。日本ではあまり知られていませんが、風光明媚な観光地です。この湖周辺に住むバタックは、独特の言語習慣を持ち、とくに抜群の音楽センスをもっています。このバタックの人たちが熱帯雨林の保護を訴えて、民族楽器GONDONG(打楽器)の演奏会を東京で以下のように開催致します。
▽日時 5月14日(土)開演 16:00
▽場所 日本海運会館大ホール
▽入場料 2,000円
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問い合わせ、申し込みは
080-3918-1205(ルビス)
045-362-8972(小池メイワテイ)
日本語でOKです。
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HORASとはバタック語で「こんにちは」「お元気ですか」「ウェルカム」の意味のある便利な言葉です。
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さきの戦争中、作家の林扶美子も報道班員としてトバ湖を訪れています。

         スマトラへの郷愁「メダン会」

2011-04-10 07:02:49 | Weblog
東日本大震災の自粛ムードの中、関係している会合のほとんどが中止されているが、昨日乞われて昔の知人が主宰する「メダン会」に出席した。「メダン会」はスマトラ第一の都会、メダンに戦前住んでいた人、戦争中、ここに駐屯していた元軍人軍属、それに戦後アサハン計画などで居住していた人たちの時代をこえた郷愁と親睦の集まりだ。

僕は1997年に約半年間、長期滞在したのを含め66年から前後8回もメダンを訪れている。メダンは19世紀の終わり頃、オランダがタバコ、ゴム。あぶらヤシのプランテーションを始めて急発展した町で比較的新しい。古い歴史的建造物もないし、風光明媚な場所でもない。それなのに僕がメダンに魅かれているのは、明治以後のこの町と日本との関係だ。

古い記録によると明治中期から大正の初めにかけてメダンには500人から600人の”唐ゆきさん”がいた。サンダカンなんかの比ではない。初期のオランダ植民地経営は家族連れが許されてなかったため、独身者が多かった。”唐ゆきさん”は彼らの現地妻やハウスキーパーであった。当時の植民地の現場を書いたオランダの作家のベストセラー「ラバー」(ゴム)にも、この”唐ゆきさん”や関係する日本人が大勢登場してくる。大正に入って”唐ゆきさん”は日本の恥じだということで廃止になったが、昭和の初期メダンを訪れた詩人の金子光晴は、かって”唐ゆきさん”がいた日本旅館に旅装をといている。

時代が移って戦争中にはここに近衛師団の歩兵三連隊の司令部が置かれた。昨日の集まりにも当時の兵隊さんが二人参加したが、話は紘原神社(ひろはら)になった。紘は当時の戦争スローガン「八紘一宇」の紘で、原はメダン(インドネシア語で原の意)からきている。当時オランダ軍の捕虜を使って建てた立派な神社だが、なんと当時の社務所の建物が今でも残っており、地元のお金持ち階級の高級クラブとして使われている。

戦後80年から90年にかけては、メダンは、アサハン・アルミ計画に従事する日本人の後方基地で、日本人学校も設置され、一時は百名を越す生徒もいた。しかし、計画が完了した今、メダンには百名前後の日本人しか滞在していない。日本人学校も10数年前閉鎖された。寂しい限りだが、やがてメダンに郷愁を感ずる日本人もいなくなろう。

(僕の別のブログ「1000都物語」(索引可能)で”こだわりのインドネシア45年”でメダン、北スマトラ、アチェの想い出を書いています)

         菅”無能”政府の「復興構想会議」

2011-04-09 06:57:25 | Weblog
韓国の金滉植首相が国会答弁の中で,日本政府が福島原発の放射能汚染水を海に流したのは、政府が無能だからと批判したという。随分失礼な発言で許せないが、菅政府はこれに対して抗議もせず、今のところ、黙認している。この態度こそ残念ながら、菅総理の指導力の無さであり、無能な証しである。

与党(民主党)出身の西岡武夫参院議長も”総理はやるべき事をやっていない。国政を担当させる事は許せない”と菅総理を批判した、と新聞に出ていた。恐らく同じ党から選ばれた総理であっても、もう見るに見かねずこういった批判になったのであろう。

大震災から明後日で1か月経つが、日本赤十字などを通じて集まった1,700億円の義捐金が、まだ被災者の手には届いていない。やっと発足した「割合決定委員会」で配分の骨子が決まったようだが、政府の関与をめぐってもめていたようだ。避難所でくらす被災者にとっては、一時も早く貰いたい。こんな原則論でもめている時ではない。西岡議長は”いくつもいろんな会議を作っているが、これは責任逃れだ”と政府の”小田原評定”を批判している、その通りだ。

大震災1か月を”記念”するかのように、菅総理は「復興構想会議」を立ち上げ五百籏頭(いおきの)前防衛大学長を任命した。五百籏頭氏は自民党福田康夫内閣時代、政府の会議に関与したが、考え方については、色々と問題がある人物だ。例えば小泉元総理の靖国神社参拝によって日中関係がおかしくなった、とか大東亜戦争は侵略戦争だった、と一方的に決めつけている。

日本国内には五百籏頭氏の考え方に反対している勢力も多い。震災復興は日本国民の総意を結集してこそ達成できる。大震災を契機に折角日本全国に高まってきた「絆」に対して五百籏頭氏の起用は水をさすものだ。成功はしない。

      自粛ムード、なんで神事仏事をやめるのか?

2011-04-08 06:44:17 | Weblog
今日は4月8日、お釈迦さんの誕生日の濯仏会(かんぶつえ)だ。東日本大震災の自粛ムードで催しも中止かと、近くの古刹を詣でたら、例年通り開催の張り紙があった。ただ人出を当て込んで明日土曜日に稚児行列は行うとのこと。濯仏会はキリスト教でいえば、クリスマスのようなもの。戦争の最中でもクリスマスがキャンセルされたことはない。花まつりを祝うの当然なことだ。

大震災後の全国的な自粛ばやりで、東京でも浅草神社の「三社祭」や江戸伝統の「神田祭」もすでに決まった。両国の花火大会も開催されないようだ。先日、都知事の石原慎太郎氏が”一杯のんで騒ぐような状況ではない”と恒例の上野の山の花見を自粛させた。早速,蓮舫大臣から”権力が市民の自由を奪うのか”とかみつかれたが、僕もこんな状況下で、ゆっくり酒を飲んで花見をする気にはならない。

こんな自粛ムードに影響されたのか、神社仏閣で神事仏事をやめているが、これはおかしい、先日も江戸の昔から伝わる東海道品川宿の海雲寺の”荒神さま”のお祭りが地元警察の要請で中止された。江戸っ子ガ火の神、水の神として信仰してきたお祭だ。今回のような天災に対してこそ犠牲者に祈りを捧げるのが本当だと思うのだが。

神事仏事はお花見や花火大会などのイベントと違う。さすがに中止を決定した浅草神社の氏子の中には、おみこしなどは自粛してお祭りはやるべきだという声が出てきたそうだ。僕もそうだと思う。靖国神社では例年通り4月21日(木)から23日(土)まで春の例大祭が行われ、諸行事も開催される。参拝して英霊に震災を報告し加護を祈るのが筋だと思う。

       菅総理・高木文科相の届かぬメッセージ

2011-04-07 07:21:28 | Weblog
菅直人総理と高木義明文科相が東日本大震災の被災地の児童・学童に向けてメッセージを送ったと、昨日ネットで見た時事通信が伝えていた。その内容は”日本の未来は諸君の双肩にかかっている。身体を鍛え、判断力を養い、優しい心をで他人のために働け”といった要旨のものだった。テレビやラジオ、わが家で購読している新聞は、いっさい このメッセージを伝えていない。メッセージが被災地の子どもに伝達されたかどうか不明だ。多分届いていないだろう。

東日本大震災は発生してから、そろそろ1か月になるが、僕の目には復興救済事業は遅々として進んでいないように見える。福島原発事故地からの避難者を含めて依然16万人の人が全国で避難生活している。昨日は全国の小中校で入学式や始業式の学校が多かった。テレビの報道は、原発事故により現地から避難している子どもたちの姿を追っているのが多かったが、沿岸地区の学校はまだ入学式や始業式が行われていない。学校の建物が津波で流失したり、残った学校も避難所に使用されている。新学期に教科書がまにあわない学校も多いという。

菅総理も高木文科相も実際に現地の被災地を自分の目で視察してきたと思う。現地が今どのような実態なのかご存知ないのだろうか。被災地の子どもにとって必要なのは、こんな教訓じみたメッセージではない。差し迫った問題は、新学期に使用する教科書であり、学用品であり、給食施設である。僕は現実認識が薄く、このような教訓がかったメッセージを発する二人の大臣から変な連想だが、戦争中「戦陣訓」で軍人を鼓舞して国の進むべき道を誤った東條英機総理を想いおこさせた。いずれにせよ相手に届かぬメッセージなど無意味である。

         同期会の解散と母校への墓銘碑

2011-04-06 06:51:59 | Weblog
68年前の昭和18年3月、大東亜戦争の最中、東京の国民学校(小学校)を巣立った仲間の会を昨日、母校のあった地で催したが、参加したのは僅か5人、今年限りで解散することにした。その昔の”紅顔の美少年”も傘寿の老爺となり、会の維持が出来なくなった。

僕らは直接戦争には参加した世代ではないが、卒業後の20年5月の山の手空襲で母校が消失、仲間のほとんどが焼け出されたり、疎開したりしてちりちりバラバラになってしまった。卒業時58人いた仲間も20年ほど前、この会を発足した時でさえ、20人たらずだった。それも、ここ数年物故したり、病気などで参加する数が減ってきた。

学校の建物も再建されず、他校と合併して名前だけ残り別の地にあったが、その学校も数年前、小中一貫校が出来て名前までなくなってしまった。明治27年創立という歴史ある伝統校で、僕の母親も第2回の卒業生だったが残念なことだ。

昨日集まった5人は会の解散に当たり、母校の校歌と応援歌を母校への墓銘碑がわりに合唱して解散した。
        ♯ 第二日野国民学校(小学校)校歌
      
       玉の宮ゐにほど近く いとも畏く位置しめし
       我がまなびやの窓おせば 西に富士の根東には
       しづくもつどふ海原の いづれを競ふ姿あり
       
        ♯  同 応援歌

       四方緑に包まれて こづえに高き富士の根を
       仰ぎてここにつどいつつ 大崎健児 日野健児

母校は省線(JR)山手線五反田駅前にあった。百年前には校歌、応援歌のように富士山がこのあたりからも眺められたのだ。

      福島地検の失態 労を惜しむ”若い連中”     

2011-04-05 07:28:57 | Weblog

馬齢を重ねた証しなのだろう。最近は今の”若い連中”のやる事に対して理解が出来ず、腹の立つ事が多くなってきた。昨日の小ブログはで僕は、東日本大震災の被災地の福島、宮城両地検が勾留中の容疑者を一方的に釈放したのは、検察官のたるみ行為ではないかと批判した。そして釈放者が再犯しなければと警告した。が、案の定である。その内の一人(窃盗容疑者)が建造物侵入の現行犯で逮捕されていた。釈放された者の中には性犯罪容疑者が何人かいる。福島県に隣接し、いわき市商圏にはいる北茨城市で若い女性が殺されている。かりに今回の釈放と関係があったとすれば、それこそ大問題だ。

福島、宮城両地検が何故一方的に勾留中の容疑者を釈放したのだろうか。理由の一つとして容疑者に対して食事が提供出来なくなった、といっているが果たして本当にそうだったのだろうか。これは僕の推察にすぎないのだが、大震災の混乱の中で、容疑者の管理が面倒になったからではないのだろうか。

最近の”若い連中”は、どうも僕が見る限り、面倒な事を敬遠する傾向がある。昨日、政府は放射性物質の暫定基準値にからむ出荷制限措置を県単位ではなく細分化すると、と発表した。これも”若い連中”(厚労省か農水省の役人)が、労を惜しみ、暫定基準値に達していない地域まで含めて乱暴に行政単位で最初出荷制限地域を決めたためで、この結果、いたずらに風評弊害だけが広まり、野菜の物流を乱してしまった。小ブログは、すでに3月22日、これについて警告していたのだが。

”若い連中”の代表格は菅直人総理である。僕の目には、総理は自分の仲間(同世代)だけで物事を考え、処理して謙虚に国民全体の意見に耳を傾けていない。それに、やる事が場あたりで、深慮がない。机上の構想ではなく、もっと労を惜しまない政策を立案し実行に移してもらいたい。

       被災地での容疑者釈放 検察のたるみ

2011-04-04 07:08:25 | Weblog
東日本大震災の被害は甚大で多岐に渡って見逃しがちだが、この中にあって福島、宮城両地検がとった勾留中の容疑者を処分保留のまま釈放した措置は、法治国家とは思えない暴挙である。地検側の言い分は大震災の中で適切な捜査が行えず、勾留者の食事の提供が出来なかったからだという。釈放者の容疑は窃盗や強制猥褻、覚醒剤取締法違反者で、裁判官裁判にはならない容疑とのことだ。

この福島、宮城両地検の措置を知り、僕は昨年11月の尖閣諸島沖の中国人漁船船長逮捕をめぐる那覇地検のとった処分保留のまま船長を釈放を想起した。事情は異なるが、結果的に共通しているのは、こういった地方検察庁のおかしな措置に対して、いくら三権独立とはいえ、法務省が容認していることである。中野寛成国家公安委員長は、両地検の措置に”不快感”を表明したと、新聞にで出ていた。警察が努力して逮捕した容疑者を地検だけの判断で釈放されてはたまったものではない。

被災地の治安に対して色々なデマや風評が流れているという。両地検のとったこのような一方的な措置が影響していなければよいが。昨年来、東京特捜地検の事件を始め検察のあり方が色々問題になっている。かっての日本では、こんなことはありえなかった。やはり検察のどこかにたるみがあるのではなかろうか。大震災の後で、それどころではないかもしれないが、わが国の治安に関する重大な問題である。うやむやにせず、徹底的に両地検の責任を追及して貰いたい。

       ”黄門さま”が総理臨時代理になったら!

2011-04-03 08:20:06 | Weblog
政界雀の間では”菅(総理)はずし”の与野党大連立の話が持ち上がっているとのことだ。政治には疎い僕でさえ、小ブログ(3月20日)で、すでに菅総理は一国の指導者の器ではない。この男の下では国難ともいえる今の日本の現状は救えないと指摘した。俗っぽい言葉で恐縮だが、一度ケチがついた男で物事が解決した例は古今東西ない。

唐突の話だが、僕はこの国難を乗り切るには、民主党政権下では被災地出身の最高顧問である”黄門さん”こと渡部恒三氏の知恵をもっと借りればと思っていたが、一向に渡部氏の名前がでてこない。そこで、昔福島で勤めていた頃の政界通の友人に聞いたら、渡部氏はかって厚生大臣当時、原発について”作れば作るほど国民は長生きする”といった発言が災あいしているのだという。真偽は知らないが、今回の事故が起こるまで国民の大半は、原発の安全神話を信じており、最近でも外務大臣が外国へ出かけ原発施設のトップセールズをしていた。渡部氏だけの責任ではない。

渡部氏の郷土の先輩の政治家、伊東正義氏(故人)は、かって大平内閣の官房長官当時、大平氏の急逝の後を受け、1980年6月から7月まで総理大臣臨時代理を務めた。典型的な会津人で、清廉潔癖、政治的にも一つの信念を通す人だった。官房長官として次期総理の座に一番近かったが、これを断ったといわれいる。

民主党の岡田幹事長の尊敬する政治家の一人は、この伊東正義氏だという。”黄門さん”こと渡部恒三氏は、党の最高顧問の一人である。岡田幹事長と話しあって菅総理の引退への道を開き、与野党大連合への”地ならし”をされたらどうか。