ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

オブラスツオーヴァの歌う「ボリス・ゴドゥノフ」のマリーナ

2010年11月18日 | オペラ
Elena Obraztsova as Marina in Boris Godunov


ムソルグスキーのオペラは独特である。これは「ボリス・ゴドゥノフ」、ロシア最高のオペラと讃えられた。

オペラの中に、権力争い、偽りの愛をうたう美女、酔っ払いのロシア正教の坊さん、
偽王子、そしてロシア正教を滅ぼし、ローマカトリックの勢いを伸ばそうとする宗教勢力、などなど。

この場面は、ポーランドの貴族の娘マリーナはローマカトリックの「工作員」(現代風にいえば)ロシア正教を廃し、ローマカトリックを広めるため、ロシアの皇帝を狙う偽王子グリゴリーをそそのかし、皇帝ボリスを倒して皇位につくようにすすめる。
絶世の美女マリーナは史実によると、偽王子が無事皇位につくと皇后になり、彼が偽とばれて滅ぼされると、次のシュイスキー公が皇帝になり、彼女はその美貌から皇后になる、
これは「史記」「三国志」に出てくる美女たちよりこわい!
則天武后みたいなものか・・・。

やがてこの王朝も滅び、ロマノフ家が皇帝になるのはずっと後のことだけど。エレーナ・オブラスツオーヴァはロシア最高のメッゾ・ソプラノで西側で活躍、若い時はロストロポーヴィッチの夫人、ヴィシネフスカヤに師事したが、師をはるかに超える弟子で、「藍より青く」とは彼女のことである。
(ボチボチ様は彼女の歌に感動、今でも涙が浮かぶと言われる。)

なお「ガリーナ自伝」では、この弟子が師匠夫妻であるロストロポーヴィッチ夫妻をソ連共産党に訴えたとあるが、彼女はこのころ、ソ連にいない。
すでに西側で活躍しており、彼女もKGBに陥れられたのである。
現在は70歳をこえ、ぐらっぱ亭様が東京でその貫録ある声をお聴きになった。
                    

☆日本初演は、マーラーの弟子、マンフレッド・グルリットが指揮、日本のメッゾ、永井智子先生が歌われた。

☆☆グルリットはユダヤ系でありながらナチスに入党、やがて飛び出して亡命、日本の指揮者、近衛秀麿の招きで東京音楽学校(今の東京芸術大学)で教える。
日本の音楽界を大きくリードしたことで政府から表彰されたが、永井智子とは決定的な意見の衝突から以後は共演していない。
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若いかたの悩み

2010年11月18日 | 政治

若い方から、メッセージを頂きました。
ご本人の許可を得て、ここにご紹介します。



ベッラ様

私は、日本の戦争を知らないです。平成と昭和の狭間に生まれました。
祖母は広島生まれ原爆の二次被爆者です。
戦争の恐ろしさ、悲しみ、つらさ、未だ時々祖母に訪ねて聞くことがあります。
私は沖縄の海や人柄が大好きで、沖縄に何回か父や友達と行きました。
最初に沖縄に行った時楽しかった半面悲しくなりました。
米軍基地があり、通りの街路樹は夾竹桃…毒にも薬にもなる花だけど、花言葉を聞いてもっと悲しくなったのを今でも覚えています。
戦争は悲しいです。勝てば官軍、負ければ賊軍です。
だけどいつまで日本は謝り続けているんでしょう。もう日本国民も限界が来ています。怒りを起こす気力さえ、政府や報道が奪っていっているような気さえします。 
                



若いレディへ♪                          ベッラより

若くて繊細で素敵な感性をお持ちの方だと思いました。
いつも平和を願いながら、この頃の日本、なんだか怪しい方向へいっていることを心配なさっています。
そしていつまでも謝罪し続けることが、日本にとってどうなのでしょうか。
私も戦争のことで、日本がしたことと捏造されて、すっかり悪者にされていることを知り、情けなく思いました。
今の政府は「売国政府」、外国人参政権やゲシュタポ法案といわれる人権擁護法案(いったい誰の擁護か!)、その他、日本を崩壊させようとすることが見え見えです。

こうなったら真実は何かを知って「ノー」と言えなければならないのに、尖閣問題など犯行の船長らを釈放し、秘密でもなんでもないことを「機密」とし(日本にとって不利なように)国民に隠し通そうとした結果が、海保のsengoku38氏の内部告発です。また、売国メディアは「秘密をばらした」などポイントを完全にはずして報道、何が問題かをすりかえようとしています。

民主党の閣僚たちの驚くような発言や態度に、私たちは「またか」と慣れてしまわないか心配になってきました。
「何が真実か!」
まずこのことから正々堂々と構えることです。
国民は目覚めてきました。
私は「真実でない、捏造だ」ということには厳しい態度で臨みたいと思っています。
まだ、間に合ううちに・・・・。
コメント (2)
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