ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

仙谷官房長官は辞任するのが当然。

2010年11月22日 | 政治
自民、官房長官の辞任要求…「暴力装置」発言で(読売新聞) - goo ニュース

もはやこの仙谷とは話はできない。
考え方の根本がダメだ。
話にならない。

もうとやかく言わずにさっさと辞任させたい!
どうして民主党からこの話がもっと強く出ないのか、ビビっているようじゃ、日本は任せられない。
柳田法務大臣が辞めた後、こともあろうにこの仙谷が法相も兼任するなんて、冗談でしょう?
最も危険だ!
野党は徹底的に攻めてほしい。
強く言わないとわからないのは中国・朝鮮と同じだ。

仙谷・菅・小沢・トミハム(岡崎)・その他小魚たち!
さっさと辞めなさい、一日も我慢できない!

民主党の保守、何してるんだ!!!

それから「たちあがれ日本」の愉快犯こと与謝野馨!
あなたも出て行って下さい。
どうもわからない議員だ。
やっていることが不気味だ。
ちゃんと説明しなさい!
「尖閣はもう済んだことだ」と発言したことの説明、まだ聴いていません。
説明しないのだったら、もう辞めましょう、政治家を!
コメント (6)
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Mario del Monaco "Manon Lescaut" ぐらっぱ亭さまへ

2010年11月22日 | オペラ
Mario del Monaco "Manon Lescaut" 1951


私はずっとこのことに触れないつもりでいたが、イタリア語の権威、ぐらっぱ亭さまが古い資料を探されて、デル・モナコのただ一度のスキャンダルについて質問された。

これも岩城宏之氏が書いていたものだが、1950年代、彼はイギリスの16歳の美少女に本当に恋をし、スイスへ逃避行、スカラ座はじめ各歌劇場は契約違反に怒り、またカトリックの教えに厳しい庶民は彼を糾弾したこと。

これを救ったのがかれの糟糠の妻、リーナ夫人、より一層彼を歌の力でその醜聞をはねのけるよう言い渡し、デル・モナコは家の庭に小さな教会を建て、それを誓ったこと。
それからの彼は「修道僧」と言われるほど、慎み深く芸術に打ち込んだ。

ぐらっぱ亭さまは1963年のイタリアオペラのイタリア語通訳をなさっていたので、それ以前の資料を気になさっていた。
そして私にご質問があって、私も隠しきれないでいま、ここに発表です。

「マノン・レスコー」のデ・グリューのような心境だったのではないでしょうか、とお答えしたのだけど・・・そういえば、彼のこの歌唱、以前から過激で気になっていた。「私は狂人ではありません」というアリアだ。

私は「武士の情け」で知らんふりをしていたけど、どうぜばれることだ。後世の「三大テノール」(私は3バカテノールと言っている・・・ドミンゴ、カレーラス、パヴァロッティ)の次から次へのスキャンダルには、もう良心のかけらもない、恥ずべき内容であきれ果てた。大変な思い上がりだ。

デル・モナコの葬式にコレッリが参列した。
暑いのにマフラー・コート姿で・・・「コレッリは壊れたな」と人々はささやいた。
極度に完全主義のコレッリは、ドタキャンを繰り返し、その代役にあのドミンゴが出た。コレッリはまだまだ完璧な声を持っていた。
でも、これも悲劇であった。

私は、それ以降デル・モナコが舞台を怖がり、リーナ夫人が彼を平手打ちし、蹴りあげて舞台に送り出すことも知った。
リーナ夫人は凄かった。
そして心から、デル・モナコを愛し、芸術家として育て上げた。
もう、昔の話だ・・・。
コメント (3)
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おお、さすが「激戦の勇士」、フェニックス♪

2010年11月22日 | 生活・介護

もう、どれほど心配させたか!!!
あれから「背中が痛い」と言って動こうともしなかった父が、「さあ、起きようか」だなんて!!!
そして食事は完食!
食後の紅茶も喜んで飲んでいた。

どれほど心配したと思うのよ!
でもありがたいことだ。
これから私も父を心して見守る。

1、ひとりで椅子に座ろうとしないこと、必ず声をかける。(こうして言ったところでわからないか・・・)
2、椅子には深く腰掛けること(これは習慣にする)
3、私は必ず父の動きをチェック・・・今まで以上に!

これで行こう!
介護していたら、どうしょうと動転することも多いけれど、
こうして書いているとなぜか気が楽になる。
父の背中に大型サロンパスを貼り「ヒエ~!」と父の叫び声、知るか!!
コルセットをキリリと締め、「楽だなあ」って。

来週は無事、肺炎球菌ワクチン接種ができますように。
(私は徹夜で見張りか!・・・この肺炎球菌ワクチンようやく接種できるところまできたのだから)

父の転倒、三連作のエントリー、これで無事終了!
読者各位にはご心配おかけし、誠に申し訳ございません。
ひとりで抱え込まなくて、気が楽になりました。
コメント (6)
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朝、父は定期検診に行かない、背中が痛い、と言う。

2010年11月22日 | 生活・介護

父は昨夜は椅子に座ろうとして転倒、しかし夜中には「痛くない」と言ってトイレも行っているのに、今朝は「背中が痛い」と言ってベッドに寝たまま。

病院に電話し、行けないことを報告。
しかし昼すぎになって来れそうだったらどうぞ、と言われたが。
予約なしになると長く待たされ、父は我慢できなくなるだろう。
多分、今日は行けないと思うが、肺炎球菌のワクチンだけは確保しておいてほしい、と頼んだ。
折り返し電話があり、来週の同じ時間にどうぞといわれ、ひとまず安心したけれど。

今日は気長に様子を見ることにした。
夜中は平気だったのに、寝ると打ったところが痛んできたのだろう。
夜中は血圧が高かった。
160台だった。
今は140台に下がっているが、父はいつも110台なので心配。

思えば、昨日はおもいきり蹴ってきたのに。
私が相手にしないので、淋しかったのかな・・・。
背中が痛いのだったら、外科に連れて行かねばならない。
私が目を離したときに起きた事故だ、父が可哀想でならない。

夜中に何度もトイレに行っているのだから、骨折はしていないと思う。
夜中は「痛くない」と平気だったのに。

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