ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

これが理想の「アンドレア・シェニエ」フランコ・コレッリの名唱・・・・・歌詞もあります。

2010年11月28日 | オペラ
ANDREA CH遵ーNIER - FRANCO CORELLI canta " SI FUI SOLDATO " UMBERTO GIORDANO


ここでオペラ「アンドレア・シェニエ」から、革命裁判所で詩人シェニエは「私は兵士だった」と語る。


<歌詞要約>
  私は兵士だった、名誉ある死にも出会いました。
 なのに私には不名誉な死を与えられようとしています。

  私は詩人だった。
 私のペンは偽善に対して断固として戦いを挑みました。
 声を限りに私たちの祖国を歌いました。

  私の生涯は白い帆船のように過ぎ去り、マストを黄金の太陽に向かって高く掲げ、
 紺碧の波に泡立つ舳先に沈めて運命に任せ、白い帆は座礁に押し流されてしまったのだろうか。
 もう座礁したのかもしれない。

  でも私は船尾に立って勝利の旗を振り続けるだろう。
 「祖国」と書かれた旗を!
 お前は(裁判長に)それを止めることはできない。
 私を殺す?名誉だけは残してもらいたい。
 
☆これは実在の詩人、シェニエの作。
弟子のヴィクトル・ユゴーは「93年」という作品にフランス革命のことを書いた。



フランス革命は粛清の嵐だった。
詩人シェニエは、貴族の特権社会や教会の権力を批判し、また革命後は暴政を繰り広げたロベスピエールを非難し、逮捕される。

ここでは革命裁判所で祖国への愛と正義を訴える。

実在の詩人アンドレア・シェニエの物語、このオペラを日本初演でマリオ・デル・モナコによって歌われたが、私自身はもっと繊細なフランコ・コレッリがよりシェニエらしかったのではないか、と思った。
完全主義者で全盛期に引退してしまったコレッリ、彼の偉大な芸術を思い出さずにはいられない。

シェニエのサロンは画家ダビッドをはじめ、多くの芸術家が語り合った。
弟子には「レ ミゼラブル」を書いたヴィクトル・ユゴーがいる。



デル・モナコが東京で「シェニエ」を日本初演した時、学生だった小泉元首相は大きな感銘を受けたことを著書で書いており、それからオペラを聴くようになったという。

でも、政治家になった後、小泉元首相は・・・ワーグナーのオペラに傾倒していくようになった。
「タンホイザー」とか・・・。あまり深くは考えていないようだが。


 


 

コメント (4)
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