ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

Nikolai Lugansky Rachmaninov Prelude Op. 23 No. 5 and Moment Musical Op 16 No. 4

2013年01月06日 | 器楽曲
Nikolai Lugansky Rachmaninov Prelude Op. 23 No. 5 and Moment Musical Op 16 No. 4


ルガンスキー、彼のピアノを聴いたのは「ラフマニノフコンクール」で優勝した直後、まだ「新鋭」のころだった。
バッハの演奏の大家として知られるタチアーナ・ニコライエーワ教授の一門ときいた。
そして天衣無縫でありながら知的でキリッとした節度のある演奏。
「天衣無縫」と書いたのは即興性のある天才的演奏、だったから。

あれから月日が過ぎて、どのように成長し熟成していったのか、興味を持って聴いてみた。
ルガンスキーのピアノの腕はさらに冴えわたり、ひとつも妥協はない。
そして思い切りのよい演奏は音楽を立体的に感じさせる。

鍵盤上の指揮者だ・・・。
寒い夜、この素晴らしいラフマニノフの2曲、「プレリュード」「モーメントミュージカル」を聴きながら、香りのよい熱いお紅茶でもどうぞ。

「プレリュード」では真ん中のメロディーが月光を浴びたハープのように聴こえる。

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緊急にお願いします。本日中なのです。

2013年01月06日 | お知らせ


名古屋市へ反対意見を!  remmikkiさまからの緊急連絡です。



この反対意見は名古屋市民が反対意見を言う資格があるそうだが、名古屋市民以外の私も下記の反対意見をサイトからひっぱって送信した。

名古屋市多文化共生推進プラン実施計画の意見を募っているとんでもないプラン。中国に占領されてしまうプラン。期限はきょう中!

名古屋市多文化共生推進プラン実施計画(案)」のパブリックコメントを実施
・・・下記のリンクをクリックしてください。
http://www.city.nagoya.jp/shicho/page/0000042272.html
「まさか右翼と呼ばないで」サイト:
http://politiceconomy.blog28.fc2.com/blog-entry-2123.html

下記の意見を貼り付けて送ってください!
送り先のアドレス: a3061@shicho.city.nagoya.lg.jp
電子メールで送付するときは、件名を「実施計画への意見」としてください。

反対意見
ヨーロッパ諸国ですでに「多文化共生は大失敗」だと結論が出ています。

国策として自国民を大量に移民として送り込み、人口侵略でその国の政治に影響力を持とうと画策する国が近隣に存在します。日本に滞在する外国人の多くは反日教育を受けた国から来ています。 絶対反対です。断固反対します。

シナからの土地購入でも危険満載なのに政治家も公務員も勉強と危機意識が一般人以下です。
猛反省してほしいです。

名古屋に住んで無くても 日本国が危機に陥ることには変わりありません 日本国民として名古屋は対岸の火事ではありません

名古屋市民が対象ですが、この問題の影響は名古屋市民だけにとどまりません。


☆ 緊急です。

  どうか皆様、強く訴えて下さい。
  時間がないのです。よろしくお願い申し上げます。


≪参考記事≫
中国新聞網は2日、英国政府が2010年1月からの1年半の間に1518人の中国人留学生を中国に強制送還したことを、英国の中国語メディア「華商報」の報道を引用する形で伝えた。

■中国人留学生に関する他の記事 - サーチナ・ハイライト

  「華商報」の記事によると、強制送還された中国人留学生の大半は学生ビザの更新を当局に拒否されたことによる不法滞在が理由で、多くが英国滞在歴が数年にわたり、過去に1―2度ビザ延長を行ったことのある学生だった。

  「不法滞在者」となった学生らは、多くがアルバイト先のレストランや商店で入国管理局に身柄を拘束された。また、ナイフ所持や飲酒時のケンカ、靴下の万引きで警察の目に止まり、不法滞在が発覚するケースも多いようだ。留学ビザ取得には指紋や写真の提出が必要であり、入国管理局はこれらの詳細なデータと照合したうえで「移民条例違反」と判断し、強制送還するという。

  記事は、1年半で1500人を超える強制送還者が出た背景として、英国がここ2-3年でビザ発給を厳格化したことを紹介、「ビザ延長がますます難しくなっている」とした。(編集担当:柳川俊之)

☆  私もさっそくメールしました

  「多文化共生」について、危機感をもって解説しているブログがあります。
   ぜひご覧ください。
  http://ameblo.jp/kyow2525s/entry-11440362095.html





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私のあこがれの女性、中山恭子氏のこと

2013年01月06日 | 政治

拉致被害者救出運動の中で、内閣参与として中山恭子先生がおられた。
皆さんに申し上げておきますが、今5名の拉致被害者とその家族は日本におりますが、彼らが帰ってきた平成14年10月に於いて、日本国政府は、彼らを一週間で北朝鮮に送り帰すと本気で思っておったんです。
拉致議連の我々も、もっと暴れねばならなかったけれども、外務省の特命拉致担当大使とやらが、北朝鮮と約束したことですから、送り帰さなければなりませんと言っておりました。

その時、政府側でただ一人、細い女性の声で、拉致被害者を北朝鮮には帰さないという方針で私はいきますと言われたのが、中山恭子先生でありました。
そして後で聞きましたら、政府内で孤立無援の中で、国家のために送り帰してはならないという論陣を張られて、安倍晋三内閣副官房長官もそれに同調して行ったというのが真実であります。(西村眞悟氏)

リメイク版国旗の重み~ウズベキスタンのナヴォイ劇場~



国を守り、国民を守る

 9月17日の産経新聞「正論」欄に妻、中山恭子の「母の写真見つめたヘギョンさん」の記事が出ている。金正恩体制に変わった今が拉致問題の解決に向けたチャンスであり、政府の最重要課題として取り組むよう求めている。

 その中に、1999年の8月にキリギスで起きた、日本人の鉱山技師4名がイスラム原理主義グループに拉致された時のことが書いてある。その記事を見て当時のことを思い出した。 

 その年の6月、ウズベキスタン兼タジキスタンの特命全権大使に任命された妻をウズベキスタンの首都、タシケントまで送っていった。
それから2ヶ月も経たない8月のある日、宮崎の自宅で熟睡中の私に午前2時ごろ電話が掛った。
何事だろうかと受話器を取ると、妻の声で、「キリギスで起きた鉱山技師4名が、隣のタジキスタンに連行されている。
日本の外務省は発生地のキリギス政府に任せてあるから、現地の大使は動くなという指令を受けているが、犯人側は、日本政府が交渉の正面に出てこなければ明日から1人づつ殺すと言っている。どうしたらいいだろうか」という内容であった。

 とっさの事で、私は事件の内容はよく分らなかったが、「外務本省が何と言おうと、外国にいる日本人の命を守るのは任地の大使の仕事ではないか、1%でも救出の可能性があるのなら、最後までやってみるべきだ」と答えた。
いつもは冷静、沈着な妻だが、その時の電話の声はさすがに必死な響きで苦しい立場にあることが察せられた。

 それから約2ヶ月、本省の指令に背いて辞表を懐にした中山大使と数少ないウズベキスタン大使館員の不眠不休の必死の救出活動が続いた。
ウズベキスタンと日本は4時間の時差があり、仕事から帰宅した妻が電話する時間は日本では真夜中で私は睡眠不足になりそうだった。
しかし、大使のことを考えればそんなことはいっておれない心境で、外務省や官房副長官に面会を求めて大使の行動に理解と協力をお願いした。
幸い、犯人達に強い影響力を持つウズベキスタンのカリモフ大統領の強い支援等により解放に結びつけることが出来た。

 当時はまだ、タリバンという言葉も世に知られていない頃であったが、犯人達はタリバンの過激派の一派であった。

最後に、中山大使が犯人側と直接交渉に出かけるという電話を聞いて私は大変心配した。
ヌルという司令官に会うために、山を登り、洞窟のような場所に上って行ったという。
何百人というひげ面の男達が銃をかまえて立っている中で、一緒に行った男性達は途中で足がすくんで前に歩けなくなったのに、中山大使は通訳と2人、司令官の前に進んで行って直談判したという。
いざとなると女性の方が度胸があるのかなと思ったりした。


 ヌルは日本の丹前のような服を着ていて、肥満のせいか体の前がはだけそうになるのを(女性の前だったせいか)一生懸命かき合せようとしておかしかったと妻は後で話してくれた。
会談の最初にヌルが「自分はアフガニスタンにいたとき、日本の「おしん」のビデオを見たことがある」という話から始まり、空気がなごんだという。

 この「おしん」は30年前のNHKの朝の連ドラであったが、妻が国際交流基金の常務理事をしていた時、CDを作って世界各国に発送したものであった。
そういう人達まで目にしていたのかと国際交流の大切さを思った。
尚、このヌル司令官はその後の戦いで死亡したと伝えられている。

 そして、2ヶ月後、人質はやっと解放されることになったが、外務省はキリギスで解放されたことにするために、長い拘束で疲れ切っている人質を歩かせたり、飛行機に乗せたりしてキリギスまで運び、キリギス国内で釈放されたようにつくろった。
人の命や健康よりも最後まで面子にこだわる外務官僚の体質に愕然とした思いが今も残る。

 その恭子がウズベキスタンから帰国早々、当時の福田官房長官から、「ギクシャクしている外務省と拉致被害者家族との中に入って融和を図って欲しい」という話が飛び込んだ。
妻は福田赳夫元総理大臣に若い頃からお世話になっていたこともあり、福田康夫長官と面識があった。
私は福田長官はいい人物に目を付けたなと感心した。
私はキリギスの人質事件の時の外務省の対応を知っていたので、中に入ると苦労することも分っていたが、逆に外務省の体質をよく知っている者として、「最後まで拉致被害者の側に立って仕事をするように」とアドバイスして、参与の就任を後押しした。

 その後のことはマスコミに報道されたようなことであったが、政府内で最初は孤立したが、「拉致はテロだ」と断言し、絶対に北朝鮮には返すべきでないと主張する妻に安倍官房副長官が同調し、政府もようやく覚悟を決めて日本国として5人を返さないと発表した。

 その後、曽我ひとみさんが北朝鮮に残してきた家族と何処で会うかが問題になったことがあった。
それこそ、たまたま宮崎の自宅でいつもはそんなに早く目覚めることはない私が、朝5時のNHKニュースのスイッチを入れたら、「曽我ひとみさんが北京で会うのに反対しているのは中山参与だけだ」というニュースが流れた。
これは大変だと「起きてくれ」と祈るような思いで東京の妻に電話したら、出てくれた。

「大変なことになっている。北京で会ったら睡眠薬を飲ましてでも強引に北朝鮮へ連れて行かれる。そして、私達は家族で相談して北朝鮮で住むことを決めたと記者会見させられ、一件落着となってしまうのが落ちだ。早く何とかしなければ」と話し合った。早速、妻は曽我ひとみさんに連絡をとり、曽我さんも北京以外で会いたいというメッセージを出し、最終的にジャカルタで会うことになった。

 ジャカルタでもいろいろなことがあったが、安倍官房副長官は常に曽我さん側に立って尽力され、家族全員が日本に来ることができた。ジャカルタでもスリルの連続であったという。後日ブログに書く時があると思う。

 中山恭子は、大蔵省入省以来、仏留学からワシントン勤務、国際交流基金、そしてウズベキスタン大使と国際的な経験を積んできた。
特にソ連邦から独立したばかりのウズベキスタンに勤務し、一党独裁の国家は盗聴器や隠しカメラが設置されるなど厳しい監視体制が敷かれていることを体験した事が、北朝鮮を相手にした時に役に立った。人材を育てることの重要さを思う。

 今、竹島や尖閣の問題等で日本は難しい状況にあるが、国土を守り、国民を守るのは政府の最重要問題である。外交や防衛は素人には出来ない。外交官や防衛に当る者はもちろん、国政に携わる者は全てその使命をしっかり認識した、愛国者であり、国士であって欲しいと切に願っている。(中山成彬氏)


☆ 三宅博先生が「中山恭子さんは女性で総理になれる胆力のある方です」とおっしゃた。 
  そして中山恭子さんの演説会に行くことになった。淡々とお話される恭子先生は大和撫子。
  お話の内容はすごいのに、声は静かに、また女性らしいしとやかさ、私は憧れてしまった。
  そしてそこではじめて西村眞悟氏に出会ったのであった。 
  参議院選挙で、私は中山恭子さんか西田昌司さんかに迷うという贅沢な悩みがある。
  中山成彬氏は、最高の女性と結婚された。
  もちろん、三宅夫人や西村夫人、おふたりも出席なさっていてお話したが、賢くしとやかな素敵な女性で、感銘を受けた。幸せな一日だった。
 
 
 
 
  


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三宅博衆議院議員、まさに真正保守中の真正保守、応援してきました。

2013年01月06日 | 政治
「我国総理は平沼赳夫か西村眞吾だ!」三宅博演説第二部.mpg


身を削るような凄まじい「実践」をもとにした街頭演説は聴く人々を感動させた。
私は応援に行ったが、「あの人は誰?ものすごい演説やなあ」と言う人がいて「三宅博先生ですよ」
「初めてきいた、こんなすごいの、何している人?」「もと八尾市議でした。」

三宅先生のことを知ったのはネットだった。
八尾市議としてたったひとりで「解放同盟」「朝鮮総連」と戦い、その利権や糾弾の不法を問いただし、命がけだった。タブーとされた利権や暴力的な糾弾闘争、当時はみんな恐れて何も言えない状況に、ただひとり立ち向かった。

いろいろあって「たち日」をやめようと思っていたけれど、三宅先生を応援しなくてはならない、と思って踏みとどまった。

三宅先生のサイトは更新がほとんどなく、ツイッターもされていない、毎月の半分は「特定失踪者」のご家族に会い、現場を調査し、警察を動かし・・・朝4時から出掛け、疲労困憊の日々が続いたと聴いた。

私は平沼・中山恭子先生は以前から尊敬していたが、西村眞悟先生は過激でちょっと反発もしていた。
しかし、三宅先生は「西村さんは日本に必要な人です。天才肌です。」と私を説得なさった。
三宅先生は「私心」がない、ひたすら拉致された方々や特定失踪者のために、必死だった。
見て見ぬふりもなさらない。
最近だが西村眞悟氏がすごい人だとわかった。これは自民党が政権をとる前後からだった。
そして三宅先生の盟友の「西田昌司」先生とも京都でお会いしお話をきけた。

私は全面的に「たち日」の政治家を支持した。津山での「平沼赳夫」氏のオーラというか、何も言わなくても謙虚で優しい「大人(たいじん)」に驚愕し、すっかり心を奪われた。
これは直感でわかった。
中山恭子氏の演説会は三宅先生のおすすめで行ってきた。
この物静かな大和撫子の何と強いことか・・・北朝鮮から帰ってきた5人の方々を「約束通り北へ返そう」となった時、中山恭子先生が反対なさったのだ。一歩も引かない強さに外務官僚らは折れた。

そしてタリバンから4人の日本人技師の人質を取り返してきたのも中山恭子先生だった。
男でも逃げ出すようなときに堂々と交渉なさって、全員を取り返した。
中山恭子先生は「強い言葉」など一切おっしゃらない。謙虚で限りなく優しく、そして賢い。
私などあこがれてしまって、そのオーラに触れたくて、・・・。

私は三宅先生を「全身是肝」と称賛した。
「維新」は実態のない政党だと青山繁晴さんは言う。実際に牛耳っているのは「たち日」なのだ。
橋下らと合流するのかと支持者もあきれ、私など気が狂わんばかりだったけれど、氷解したのは
津山だった。高齢の後援会理事長の挨拶で「平沼は裏切っておりません」と涙にむせびながら訴え、
そして満員の会場は感動した。平沼先生の私心なき講演も素晴らしかった。
これは直感だった・・・。

今、この動画を聴いて感動を新たにしている。
見返りや私心もなく、ただひたすら「不正」をただし、日本を大切にする国士そのものの声だ。
国会で「日本のために」活躍なさる姿をはやくテレビで見たい。
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みんなの党のある議員さんのその後

2013年01月06日 | 日記

昨年末、選挙の街頭演説をしている「みんなの党」の議員さん(京都大学卒業とか)に、質問したことをエントリーに書いたが、その後、また同じ場所でビラ配りしているのを発見、さっそくお話をした。

選挙前の私の質問・・・「みんなの党では偽人権法案はどうなのか、あなたはどう思うのか」と質問したら、「それ何のこと?」ってきくので、人権擁護法案のめまぐるしく変わった法案名を全部言ったのに「わからないので調べます」とスマホを出して検索しようとしたので「もう、いいです」と言って帰ってきたことを書いた。

私「あら、もう帰ってこられたの?」
議員「はい、国会は三日間だけでしたので」
私「それはお疲れ様でしたね」
議員「あの、これを読んで頂けないでしょうか」
私「じゃあ、家でゆっくり読ませて頂きます」

そして帰宅し、ゆっくり?じゃないけれど読んだ。

すごいキャッチフレーズ、まるでバーゲンセールじゃありませんか。

「日本経済の立て直しと、その土台となる科学技術の革新により、日本をしっかり稼げる国にするための政策立案を担当します」

まず、自分から給与3割、ボーナス5割カット、豪華な議員宿舎も辞退して、国会近くにワンルームマンションを借りました。

古い自民党のバラマキ政治に注意、・・・稲田・茂木大臣と麻生の3点セットは「借金してばらまくけれど、役所や既得権団体の改革はしない」古い自民党そのものです。

後援会を立ち上げます。


ちょっと坊ちゃん、何を言ってるのよ、
偽「人権法案」も知らないで、給料を3割、ボーナスを5割カットします、なんて自主的に言うなら、それでも高いよ。
政治的感覚がないのに、まるで萩原女史のように「家計を節約」ってな感じで・・・。

あのね、議員は命がけで危険なことも国民のために頑張っている人もいるのよ。
西田昌司・中山恭子・稲田朋美・西村眞悟・三宅博…他にもいっぱいいるけれど、この議員さんたちはもっともらってもいいのよ。

偽「人権法案」のことも、知らないなんて、スマホで検索するなんて・・・もう冗談はやめてよ。

ヤレヤレ、プロフィールには「関西初の猫テーマパークを開演」って、・・・これって何よ。

笑っていいのか怒っていいのか・・・。
疲れましたよ、勉強してね、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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