ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

心配なニュースばかり

2013年01月21日 | 政治

「アルジェリア人質事件」をはじめ、大変な事件が起こっている。
ニュースは続々入ってくるが、解決にはなかなか進まない状態。

やはり海外の日本人を救出するには、今のままでは難しい。
憲法を正し、自国民を護り救出することが必要と思う。
そのために基地の問題もあり、日本はようやく目を向けようとしている。

その中で、気になるニュース

日本領・馬毛島の地主が政府と折り合わず「島を中国に売る」
配信元:NEWSポストセブン
2013/01/21 11:17更新

 鉄砲伝来の地、鹿児島県の種子島。その種子島の西方、12キロメートルの東シナ海上に浮かぶのが馬毛島である。島から人の姿が消えてほぼ半世紀。歴史から取り残されたようなこの島を巡って所有者と防衛省の攻防が続いている。きっかけは、所有者が「この島を中国に売る」と言い出したことだった。

 島の名の由来は、ポルトガル宣教師たちが鉄砲とともに渡来させた馬を養っていたことだとされる。ニホンジカの亜種で同島にしかいないというマゲシカを除けば、行き交うのは島を開発するショベルカーぐらいだ。

 無人島としては国内で2番目に大きい周囲16キロメートルの同島がいま政府関係者の関心を集めている。
発端は、島を99.6%%所有する採石販売会社「立石建設工業」会長の立石勲氏のこんな発言が政府に伝わったからだった。

 「中国の企業が何社か接触してきている。日本の対応次第では売ってもいい」

 立石氏がこう漏らすようになったのは今年に入ってからだという。後述するが、立石氏はこれまでも島を巡り、政府とやり合ってきた経緯があった。防衛省関係者が語った。

 「それまでは、本意ではないだろうと高を括っていたんですが、8月の尖閣諸島騒動で事態は一変した。
馬毛島の周辺には佐世保や沖縄などの米軍基地があって地政学上、非常に重要な場所です。
ここを本当に中国に取られたら国防上、危機的な状況に陥ると省内で危ぶむ声が高まってきた」


☆ 立石氏からこの島を買い取らねばならない。多分多額の費用を要求してくるだろう。
  こんなことにならないように「国土を外国に売らない」法律をはやく通すべきである。
  私利私欲に目がくらんだとんでもない人がソロバン片手に、「売国行為」をできなくなるように。
  
  上海で沖縄県が、沖縄の土地を販売しようとしたことも、事実ならとんでもない話である。
  沖縄県知事にただしてほしい。

  アルジェリアの人質事件は、あまりにも過酷、厳しい現実、テロは許せない。
  情報も交錯しているが、「見守る」ことの辛さは内容が内容だけに、全国民が心配し、祈るような気持ち。

  
コメント (4)
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マウリツイオ・ポッリーニと、その師、ニキタ・マガロフ、望郷の「ヒバリ」

2013年01月21日 | 器楽曲
Maurizio Pollini - Chopin - Etude op 25 No 12 in C minor. Ver 2.0


かつて私が実演を聴いた中で、ピアニストについては、スビャトスラフ・リヒテルに続く天才はイタリアのマウリツイオ・ポッリーニと思う。
(ホロヴィッツやルービンスタインは、その実演に接していないのでここには書かない。)

ポッリーニはステージに出てきて、聴衆の大拍手に迎えられたのに、あっという間に弾きだし、お客は驚くが演奏が始まってしまったので、集中して聴くしかない状態であった。
ポッリーニは完璧主義でキャンセルも多いが、それでも聴きたいと聴衆はつめかける。
私が聴いたのは、ショパンの「24の前奏曲」とストラヴィンスキーの「ペトリューシカ」だった。
特にストラヴィンスキーは想像を絶する「狂気の演奏」と言えば語弊があるが、とにかく天才の凄さを目の当たりにした。

そして東京公演でポッリーニがキャンセルしたときいた。
病気ではない。
ちょうどそのころ、彼の師匠であったニキタ・マガロフが東京でリサイタルを開き、ショパンの「24の前奏曲」を弾く。
マガロフのリサイタルに、ポッリーニが来たので聴衆は驚いたそうだ。
自分のリサイタルをキャンセルして、師の演奏を聴きに来た。
世界中を飛び回っている二人が会えるのは奇跡だ。
マガロフのその演奏はテレビで聴いたが、ショパンの「ピアノ・ソナタ」第3番を聴いたのは、私がお皿洗いをしながらだった。
最初のフレーズを聴いて、驚いた。
そしてお皿洗いを放り出し、テレビの前に釘づけになってしまった。

あの時はポッリーニが大変な人気で、切符を買うのも大変だった。
マガロフの切符はいつでも買えたほど、それに安かった。
ポッリーニほど日本では有名でなかったから。
そしてマガロフがなぜそれほど有名ではなかったか、有名になろうとしなかったか、それを
後で知ることになった。(ロシア貴族出身で亡命することは、どれほど周囲に気をつけざるを得なかったであろう・・・と。KGBはたえず動いていたはずだった。)

マガロフはムソルグスキーの「展覧会の絵」で、あのリヒテルのようなドラマティックな弾き方をした。
この時、マガロフの演奏が、シャリアピンが歌った「ヴォルガの舟歌」をハッとするような共通点を感じた。
「展覧会の絵」の中に強制労働の場面の絵があるのではないか、と思った。それは、やはり・・・あった。ちょうどそのころ、その絵が発見されたとテレビで大騒ぎになった。
ロシアの民衆の苦しみが、その中に感じられた。

ムソルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」の鐘の音も思う・・・マガロフはすごい、と。
そのあと、グリンカとバラキレフの編曲によるロシア民謡「ヒバリ」をアンコールで弾いた。
「望郷の想い」だ・・・。
マガロフはアンコールにこの曲を必ず弾くという。
美しい曲だが後になるにしたがって、激しくなる。
二度とマガロフは帰国できなかった。その後まもなく亡くなった。

マガロフはロシア貴族の出身だったが、亡命、戦前はヴァイオリニストのシゲティの伴奏をしていた。
「あらえびす」(「銭形平次」を書いた作家、野村胡堂のこと、「あらえびす」とは彼が音楽評論の時のペンネーム)の音楽批評を読むと、シゲティの伴奏者は若いが素晴らしいと書いてある。名前は書かれていないが、マガロフである。
戦前にシゲティと来日していたのか・・・。
そしてシゲティの令嬢と結婚、とある。


マガロフも亡命者だったのだ。
「ヒバリ」を弾く音の何と悲しく美しいことか・・・。

また、ピアノ教師として、ポッリーニをはじめ、マルタ・アルゲリッチやフィリップ・カッサールなど、世界的なピアニストも指導している。もちろん、それはプロとなったピアニストが教えを仰ぎに行く、ということであり、幼少から教えたのではない。
アルゲリッチは悩むと、マガロフのスイスの家に教えを受けに行ったというが、話をしている間に気楽になり、師匠一家に得意の料理を作って談笑したという。

では、在りし日のマガロフのレッスン風景と演奏を。(世界的なピアニストが生徒、ニコニコしてその演奏を見守るマガロフ、・・・そしてそのあとのマガロフの演奏はなぜか心がゆったりする。一番下の動画はグリンカとバラキエフの編曲による「ヒバリ」、ロシア民謡が基になっている。


Private music lessons: Nikita Magaloff; Pianist & Teacher


Nikita Magaloff plays Glinka-Balakirev "L'alouette"
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