Victoria de los Angeles. Als die alte Mutter. Dvorak.
近くのスーパーに買い物に行くときは必ずマスクを付けている。
「新型インフルエンザ」の大騒ぎの時に、父のためにマスクをいっぱい買ったのが余っているから。それと今流行のインフルエンザ予防のため、また春になったら埃よけ、夏は日よけ、秋は・・・。せっせと使うことにしている。
でも最近、外出はマスクをしていてよかったと思うことが多くなった。
スーパーで買い物の時、父の最後の食事になった「うなぎ」や、いつも好んで食べたお刺身、ヨーグルトなど、見るたびにその場が思い出され、いつのまにか涙があふれているのだ。
そこから逃れてほかの売り場に行くと、ブロ友の言葉が思い出された。
>その中の、子供と過ごした、その瞬間を母は覚えているのに子供は時間の重なりと共に忘れていく。
私はそのブロ友と会話をしたような気がした。
「子供だってそうよ。私がはじめて学校の行事で海に行く時、遠い駅まで母が大きな麦わら帽子をもってきてニコッと笑って渡してくれたこと、それがはじめて麦わら帽子を被ったこと、
なんて涼しいのかしら、強烈な太陽も和らいで快適・・・でも母は何も帽子を被ってなかった、
遠い道のりをカンカン照りの中で帰ったのだ・・・そう思うと申し訳なくて、母には言わなかったけれど、自分がいかに母に愛されていたのか思うのよ」
そして、私は縦型のアップライトピアノを買ってもらった、それがやっとのことだったのに、音楽を専門に勉強するとき、文句を言った。
「みんなグランドピアノを持っているし、レコード全集だって勉強だからって買ってもらっている。ステージママばかりよ、私は家ではステレオもなくて音楽はラジオだけで廊下で聴いているだけ」
すると母は「私が生きているということで、それでいいじゃないの。」って悲しそうに言った。
ああ、どこまで苦しめてしまったのだろうか・・・
そして母は私がステージで歌ったのは知らない。病気になり、私は一生懸命世話をした。
母にお詫びの気持ちと子供としての愛情だった。
いくら母に尽くしても、与えられた恩に報いることはできないと悲しかった。
もうスーパーに買い物に行くのはいやだ。
いつもスーパーで父や母が思い出される。マスクがせめてもの「仮面」だ。
こんな気持ちになるなんて。
母の美しい歌声を思い、父の勇敢だった「レイテ激戦の勇士」の苦闘を思う。
私って何だろう・・・
音楽修行で厳しい勉強でも弱音は吐かない、音楽の喜びに満ちていた。
父は私に「楽隊が!」と言い(声楽なのに)、母は私がピアノ練習で音を間違ったことを指摘した。そして子供の時、ラジオでシャリアピンの歌を聴いて感動したこと、小学校で音楽の先生がモーツアルトのピアノソナタを練習しているのを、壁に耳をつけて聴いていた話を聴かせてくれた。 母は娘が音楽好きなことを心から喜んだ。母は音楽を勉強するような環境になかった。
「あなたは幸せなのよ」っていつも母は言った。
今は本当にそう思う。私は幸せなのだって。
ドヴォルザークの「母の教えたまいし歌」、前はサザーランドの歌をUPしたが、今回はヴィクトリア・デ・ロスアンへレスの歌を聴いて感動し、UPした。
さらりんさまに・・・。
近くのスーパーに買い物に行くときは必ずマスクを付けている。
「新型インフルエンザ」の大騒ぎの時に、父のためにマスクをいっぱい買ったのが余っているから。それと今流行のインフルエンザ予防のため、また春になったら埃よけ、夏は日よけ、秋は・・・。せっせと使うことにしている。
でも最近、外出はマスクをしていてよかったと思うことが多くなった。
スーパーで買い物の時、父の最後の食事になった「うなぎ」や、いつも好んで食べたお刺身、ヨーグルトなど、見るたびにその場が思い出され、いつのまにか涙があふれているのだ。
そこから逃れてほかの売り場に行くと、ブロ友の言葉が思い出された。
>その中の、子供と過ごした、その瞬間を母は覚えているのに子供は時間の重なりと共に忘れていく。
私はそのブロ友と会話をしたような気がした。
「子供だってそうよ。私がはじめて学校の行事で海に行く時、遠い駅まで母が大きな麦わら帽子をもってきてニコッと笑って渡してくれたこと、それがはじめて麦わら帽子を被ったこと、
なんて涼しいのかしら、強烈な太陽も和らいで快適・・・でも母は何も帽子を被ってなかった、
遠い道のりをカンカン照りの中で帰ったのだ・・・そう思うと申し訳なくて、母には言わなかったけれど、自分がいかに母に愛されていたのか思うのよ」
そして、私は縦型のアップライトピアノを買ってもらった、それがやっとのことだったのに、音楽を専門に勉強するとき、文句を言った。
「みんなグランドピアノを持っているし、レコード全集だって勉強だからって買ってもらっている。ステージママばかりよ、私は家ではステレオもなくて音楽はラジオだけで廊下で聴いているだけ」
すると母は「私が生きているということで、それでいいじゃないの。」って悲しそうに言った。
ああ、どこまで苦しめてしまったのだろうか・・・
そして母は私がステージで歌ったのは知らない。病気になり、私は一生懸命世話をした。
母にお詫びの気持ちと子供としての愛情だった。
いくら母に尽くしても、与えられた恩に報いることはできないと悲しかった。
もうスーパーに買い物に行くのはいやだ。
いつもスーパーで父や母が思い出される。マスクがせめてもの「仮面」だ。
こんな気持ちになるなんて。
母の美しい歌声を思い、父の勇敢だった「レイテ激戦の勇士」の苦闘を思う。
私って何だろう・・・
音楽修行で厳しい勉強でも弱音は吐かない、音楽の喜びに満ちていた。
父は私に「楽隊が!」と言い(声楽なのに)、母は私がピアノ練習で音を間違ったことを指摘した。そして子供の時、ラジオでシャリアピンの歌を聴いて感動したこと、小学校で音楽の先生がモーツアルトのピアノソナタを練習しているのを、壁に耳をつけて聴いていた話を聴かせてくれた。 母は娘が音楽好きなことを心から喜んだ。母は音楽を勉強するような環境になかった。
「あなたは幸せなのよ」っていつも母は言った。
今は本当にそう思う。私は幸せなのだって。
ドヴォルザークの「母の教えたまいし歌」、前はサザーランドの歌をUPしたが、今回はヴィクトリア・デ・ロスアンへレスの歌を聴いて感動し、UPした。
さらりんさまに・・・。