三橋貴明氏のメルマガより
現在の中国とアメリカを見ていると、「グローバリズム」が最終的に目指す姿が分かります。
すなわち、民主主義を可能な限り抑制し、一部の投資家(国内投資家には限りません)が所得を独占する社会の構築です。
言う前でもなく、中国には民主主義がなく、すでに、「共産官僚、太子党、国内企業家たちがグローバル投資家と組み、中国国内の環境や人民の安全を無視した事業展開を行い、所得をトリクルアップ(吸い上げ)し、築いた財産は外国に移し、家族を移住させ、最後は自分も逃げる」
という「キャリアパス」が成立しているわけでございます。
2014年3月30日、中国の広東省茂名市でパラキシレン工場建設に反対する1万人規模のデモが発生。地元政府は武装警察を動員し、催涙弾や高圧保水で鎮圧しました。武装警察に殴打され、市民八名が死亡し、負傷者は数百人。共産党政府はすでに情報統制に乗り出し、ネット上の書き込みが大量に削除される事態になっています。
中国では現在、年間に二十万件近い暴動、政府への抗議行動が発生していると「言われている」わけでございます。
以前の共産党政府は、年間の暴動件数を律儀に公表していました。
ところが、05年に年間の暴動件数が8万7千件(!)を超えたという発表を最後に、公表しなくなってしまいます。
06年以降、年間の暴動件数が10万件を超すようになったためと考えられています。
現在は、少なくとも一日に500件以上の暴動が発生している計算になるわけですが、何しろ中国人民には選挙権がありません。
投票行為で「政治的」に問題を解決できない以上、中国人民に残された手段は陳情、賄賂という手段に訴えるしかなく、それでもだめならば命がけで「暴動」に走るしかないのです。
茂名市のパラキシレン工場建設は、石油大手の中国石油化工集団が地元政府と連携し、プロジェクトを立ち上げようとしたものになります。
地元政府とは言っても、もちろん地域住民の投票で選ばれたわけではありません。
北京政府から派遣された共産官僚です。大手企業が共産官僚と結び、地元の「環境」「安全」を無視してプロジェクトを進める。
お馴染みのパターンでございます。
イギリスがインドを支配していた帝国主義時代、ネイボッブという言葉がありました。
すなわち、東インド会社に統治された当時のインドで巨万の富を築き、イギリスに帰国した「インド成金」たちです。
東インド会社の社員たちは、それぞれが会社の業務以外に個人的な交易をすることが認められており、それぞれが植民地インドにおける「ビジネス」で多額の所得を懐に収め、財産家として帰国したのです。
当たり前ですが、東インド会社はインドにおいて「インド人のための経世済民」など考えず、インド地域の環境や住民の福祉、安全にも考慮しません。とにかく自らの所得を最大化すること「のみ」を目的にビジネスを行い、現地から収奪した富を蓄積して財産を築き上げたわけです。
現地のインド住民には、もちろん民主主義に基づく投票権はなく、政治的に状況を変えることはできませんでした。
まさに、現在の中国人民の多くが、植民地時代の現地人と同じ立場に置かれていることが分かります。
中華人民共和国は「中国人民である共産党員、太子党、富裕層」が、同じ中国人民から容赦ない搾取を行う、現代版植民地国家なのです。
また、民主主義があればそれで話が済むかというと、そうでもなく、アメリカでは政治資金に関する「規制」が次第に緩和されていき、議会制民主主義ならぬ資本主義制民主主義が成立しようとしています。
すなわち、「お金」を多く持つ者が政治を動かし、自分たちの所得をさらに増やすための制度構築が可能なよう、規制が緩和、撤廃されていっているのです。そして、アメリカの政治資金における規制緩和の理由が、「言論の自由」というわけでございます。
言論の自由をお題目に、政治資金に関する規制緩和が進み、次第にアメリカのマジョリティの国民は民主主義を(事実上)奪われつつあります。ジョセフ・スティグリッツ教授などが「1%対99%の状況にある」と主張しているのは、まさに現代のアメリカが「1%の高所得者層」による所得簒奪を許す社会構造になりつつあるためです。
上記の中国やアメリカの構造が理解できると、今後の日本が「どうするべきなのか?」「いかなる国を目指すべきなのか?」が、明確に見えてこないでしょうか。
★ 三橋先生、よく書いて下さいました。 もう水島さんの義理人情もわかりますが、若い三橋先生の「憂国」を支持します。
西部先生や西部先生のライヴァルであった西尾先生も、今の日本を憂いていられます。
今は政局で語るべきではない、「愛国・憂国・救国」なのです。
力なき一国民ですが、正論に次ぐ正論を待っています。
マリア・カラスのマリオ・デル・モナコはあまり仲がよくない、気が合わないらしい、ときいていた。
このスカラでの録音を聴いたのは、正規の商業レコードでなはく、海賊盤といわれるもので海外からの輸入品だった。
スタジオ録音でないのでかなり音質は悪い。
しかし、聴いていて引き込まれてしまった。
この海賊盤レコードは、わざわざ東京の神田にある古レコード屋を訪ねてやっと入手したものだった。
あまりにも感動した私は、ピアニストの友人を家に呼んで聴いてもらった。
私「どう?素晴らしいでしょ?」
友人「そうね、カラスの声が恋する女そのものね。とても甘くて可愛いじゃないの」
私「私もそんな気がしたわ、もしかしたらデル・モナコと仲が悪いときいたけれど、これを歌っているときはそう思えない」
友人「カラスのような声で歌われたら、デル・モナコだってイチコロよ」
私「・・・」
イチコロって・・。
しかし、この場面はフランス革命前に、貴族の令嬢マッダレーナにからかわれた詩人シェニエは、荒れた世の中で、聖職者はマリア様に
パンをお供えするが、手を差し伸べた貧しい老人には振り向きもせず、また税をとりたてられ、食べるものにも事欠く家では子供が泣いている、と即興詩で訴え、その場を去る・・・ショックを受ける令嬢、
その後フランス革命が起こり、貴族は一文無しになるばかりか、日々恐怖にさらされる。
今は落ちぶれた令嬢マッダレーナは詩人シェニエに憧れ、ショールをかぶってパリの橋の上でシェニエに会う。
シェニエは今はロベスピエール政権の暴虐を厳しく批判し、命を狙われる日々、一方は貴族ということでやはり命の危険にさらされる令嬢、
「わたしのことを覚えていらっしゃいますか」ときかれてもシェニエは堪えられない。
そこでマッダレーナはかつてのシェニエの詩を口ずさむ。
「昔、あなたを嘲笑した私はあれからずっとシェニエさんのことを思いました。こうして命の危険にさらされながらあなたに会いたいと
思いました。今はあなたさまも権威を失い、危険な日々とお察しします。どうかわたしを退けないでください」マッダレーナは必死で言う。
シェニエは「毎日、私に励ましの手紙を下さっていたのはあなただったのですね。危険の中で、死の恐怖の中で・・・」と。
というところまで友人に聴いてもらった。
私「それからふたりはどうなったと思う?」
友人「寝たんじゃない?」
私「えっ!!・・・」
オペラによるとこの場面のすぐあと、刺客が迫り、マッダレーナを護ってシェニエが剣をぬいて戦い、彼女を逃す、のだけれど。
ピアニストの友人は足をソファの肘掛の上にあげて笑っている。
私「あなた、フランス映画かなにか知らないけれど、映画の見すぎじゃないの?」
友人「知らないわよ、ショパンとサンドはね・・・」
ここからお互いの話は決裂、おめでたい友人同士はデザートとお茶の時間にした。
その友人には絶対に私の伴奏をしてもらわない。
仲はいいけれど、どこかすれ違う。
彼女は政治にも興味はないし、共通するのは料理が好きだということだけ。
私は彼女に「三国志」のビデオを貸した。
彼女は夢中で夜中まで見てしまい、ご主人は彼女を一切見ないでそのビデオに夢中になりながら食事をするという。
「もっと困らせてやろう」と次々と三国志のビデオを送った。
ついに彼女は中国旅行まで夫婦で行ったそうな・・・。
諸葛亮の「出師の表」も読んでいた。
ご主人の車に乗せてもらった時、ふたりは「趙雲子龍が・・・」と話していた。
ビデオ、効きすぎたか・・・。
ずっと昔の話である。
≪追加≫
再会の2重唱の前の場面、シェニエはデル・モナコ
これはマリア・カラスのライヴァルで大柄なソプラノのレナータ・テバルディ、マリオ・デル・モナコとは気が合ってよく共演。
上記の場面と同じ、対訳字幕付き。

★1955年、このころがマリア・カラスの全盛期といわれる。
気性が激しく、音楽的な解釈の違いからカラヤンやセラフィンとも遠ざかり、カラスはアメリカの若き指揮者で作曲家、
レナード・バーンスタインと共演。
バーンスタインはマリア・カラスの天才的才能を尊敬し、ミラノスカラでベッリーニのオペラ「夢遊病の女」を公演する。
この場面はヒロインが幸福な結婚をする「ハッピーエンド」であり、100キロを超える大柄なマリア・カラスが
バレリーナのようなほっそりしたスタイルに変身、聴衆をあっと驚かせ、さらにこの強烈な情熱と繊細な表現と兼ね合わせた歌は
前代未聞の名唱とされた。
同じ旋律が2度目には華麗な装飾が加えられて歌われているが、今までのソプラノ歌手は「装飾音符」は、技術の限りを尽くした花火の
ようなものだったが、カラスはそれを劇的な強い表現で歌った。
聴衆は狂喜し、カラスの激しい気性に辟易していた「敵」までが、一斉に「味方」にかわるという奇跡、
カラスは敵も多く、会場には「野次り倒してやろう」と目論むのも大勢その機を待っていたが、逆に「圧倒させられ、カラスの歌の虜に」
されるという有様だった。
★バーンスタインとは他に「メデア」も共演、これは古代ギリシャ悲劇のエウリピデスの戯曲をケルビーニがオペラにしたものだが、
あまりにも強烈な歌は歌い手が引き受けないで、埋もれた名作であった。
カラスによって「異常なまでの成功」とまで言われ、その実演の録音が遺されている。