生田神社において開催された三宅博先生の講演を聴きに行った。
このところ政府の「移民政策」「外国人労働者」などが気になってあまり眠れていない日々だったが、この講演はぜひとも聴きたいものだった。
三宅博先生の講演内容メモ
全国の拉致現場の調査に行くと必ず新たな拉致情報が入ってくる。この拉致問題の闇の深さはどんなものか・・・。
東京、三鷹のガードマンだった粂さん、旅館のおかみさんが「2人で出て行ったのに帰ってきたのはひとり」と心配して石川県警に連絡。
石川県警は厳しく取り調べると工作員は粂さんを北朝鮮の船に引き渡したと言う。
ところが2週間後、無罪放免となる。
その後、松本京子さん、翌月には横田めぐみさんが拉致される。
★【参考動画】・・・追加しました。
北朝鮮の暗号電報も解読していた日本、
東京でNという北朝鮮出身の人物、後に日本に帰化し、土建屋社長になる。
新潟県警のトップも横田めぐみさんの拉致を把握、しかし一切国民には知らされていなかった。
新潟県警は始まって以来の大規模な捜査をし、他の可能性をすべて潰していくと最後に「拉致」の可能性が残った。
昭和52年9月、日航機ダッカハイジャック事件が起きる。
その時の政府は、警察に服役中の9名のうち6名を日本のパスポートと600万ドルを合わせて用意し、ハイジャックの要求に屈した。
ドイツのルフトハンザ機のハイジャック事件では、西ドイツはすばやく犯人全員射殺、これはミュンヘンオリンピックの苦い経験からだった。
日本は何もしなかった。
ペルーの日本人人質事件の時も、フジモリ大統領にすべてを任せた。
この時も日本政府は「人命安全第一」と言ってきた。
この前、日本企業の社員が殺された時も安倍総理は「人命尊重」と言う。
日本政府は長らく「拉致事件」を見て見ぬふりをしてきた。北朝鮮はそれによってやりたい放題だった。
約800名~1000名はやられていたかも知れない。
日本政府はそれを知っていて見て見ぬふりをしていた。自然に事件が風化するのを待つといった具合に。
北朝鮮は、大阪の原さんのように身よりの少ない人、また看護婦や技術者など「資格」を持った人を計画的に拉致した。
公教育では日教組が反日偏向教育を続ける。
また大学教授などの「公職追放」があり、やがて「追放解除」になっても元の職に戻れる人はごく一部だった。
マスコミではNHK、朝日など反日偏向報道を繰り返し、今に至ってその報道姿勢であること。
戦時中のことを責める「中韓」のいうことはすべて嘘だ。
「中韓」の考えは「生きるために嘘をつく」こと。生きるための美徳となっている。
生きるために「罠」を仕掛ける文化だ。
「罠」「嘘」は正義となる。
河野洋平は「国賊、売国奴、万死に値する!!」
河野は中国国内の「化学兵器」の処理も、日本が引き受けるようにした。
これらはソ連が中国に払い下げたものである。
原爆投下や東京大空襲など大虐殺だ。我々は言うべき時にきている。
日米安保はどうか?
核の傘などあるはずかない。そして日本は独立国なのにいまだに全国に70も米軍基地がある。
移民政策について
外国人労働者による介護・・・彼らにも老親はいる。
日本は人手不足か?就職難ではないか。
欺瞞と偽善を一蹴しなければならない。
日本は「十七条憲法」という世界最古の憲法を持った「宝石のような国」だ。(以上、走り書き)
朝日新聞社前で、三宅博議員
・・・「中韓」は騙しが名誉、朝日・NHkの反日、河野洋平のしたこと!!
★ しかしまだ「移民政策」をあまり知らない保守の方々がいた。相変わらず「安倍さんは~」と言っている。
「移民政策」を許しては日本は崩壊する。
あとの懇親会で、その話を周りの方々に言ったが驚いていた。「あまりしられていない」と思った。
三宅先生に「このごろ、心配でよく眠れないのです」と言うと「それが普通です」と言われた。
このことはすべての日本人が危惧し、阻止しなければならないことだ。
また、私の席の近くに、小野田寛郎氏の出身校「中野学校」での友人で91歳の井登慧(いとさとし)氏が来賓として挨拶された。
背筋がまっすぐで張りのあるお声だった。
休憩の後、杉田水脈議員が「三宅先生、私、雑誌(多分月刊誌「正論」)で今日のことを知ったのですよ。」と言って急遽来られ、
挨拶された。
「韓国の嘘には反論しなければならない。慰安婦像はオーストラリアにも建てる動きがある。
また、ドイツで習近平が『南京大虐殺で日本は30万人を殺した』と言ったのに、なぜ日本政府はしっかり抗議をしないのか』」
と菅官房長官に迫ったこと。
このことは法務委員会でも谷垣法務大臣に言ったが「管轄外なのでお答えできません」という答弁だった。
もはや人権問題にすり替えようとしているのに!!と憤慨。
杉田議員とはこの前に宝塚の「慰安婦問題」の講演のあと、少しだけお話したが、覚えて下さっていた。
会場で三宅先生のご子息にお会いした。いつも謙虚でりりしく、礼儀正しい好青年。
