ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

日本の叡知、稲村公望氏、安倍政権を語る

2020年08月31日 | 政治
 稲村公望氏のフェイスブックを拝読して、私も強く共感、「ぜひブログに転載させてください」とお願いしました。快く承諾してくださいましたが、次のように追記されています。(下記のワインカラーの二行)


稲村公望氏

季刊のオピニオン誌「伝統と革新」36号には、見出しをつけて、掲載します。
「詳細にご関心の向きは、伝統と革新36号の本件記事をご一読ください」


中国共産党総書記の国賓訪日を回避し、コロナ禍の世界の犠牲者を追悼して、開催季節が不適な東京オリンピックを返上して退陣を飾る花道とすべし
 
2015年10月下旬、習近平国家主席は国賓として英国を訪問した。原子力発電所や高速鉄道の建設など総額400億ポンド(約6兆2500億円)に上る札束外交を展開して、英国側も、女王陛下が出迎え、馬車の行列を組んでバッキンガム宮殿に伴い主席夫妻を宿泊させる、女王陛下主催の公式晩餐会を開催するなど、表面的には最大級の待遇の歓迎をした。
しかし、チベット弾圧に反対するチャールズ皇太子は晩餐会を欠席し、ワインは、天安門事件の「暗黒の年」1989年産のボルドーワインだった 晩餐会で習席がスピーチをした際、隣の座席のアンドリュー王子は、頬杖をついてみせ、女王陛下は笑顔を見せなかった。 翌年5月10日に開かれた、90歳の誕生日を祝う園遊会で、エリザベス女王陛下は、習近平主席一行について「非常に不躾(Rude)だった」と、習主席夫妻の警備を担当したロンドン警視庁の女性警視長ルーシー・ドルシ氏に話しかけ、国営放送BBCがその場面を放送した。
 エリザベス女王陛下は、1975年5月に英国元首として初めて訪日したが、7日夜に開催された天皇陛下主催の晩餐会で、「英日間に戦争がなかったなどと、おままごと(pretend)の発言はしない。」と率直な発言をされた。
 「統治せずとも君臨する」立憲君主である。さて、習主席の国賓訪英を招請する親書を渡したのは、2015年3月1日まで日本に滞在し、東日本大震災被災地を視察して日本への配慮をした後に訪中したウイリアムズ王子である。1984年12月19日に、2047年まで50年間「一国二制度」を守ることを条件に香港返還が英中で合意、その二年後の86年の女王陛下ご夫妻の訪中以来30年ぶりの、英国王室からの北京訪問であった。97年7月1日に香港の主権は中国に戻ったが、同年6月30日の式典に参加したのは、女王陛下ではなくチャールズ皇太子であった。
 香港返還にあたり、海側からの景観を白塗りに整え、スラムの九龍城を更地に整地したと、香港警察の要職にあり、後に香港郵政庁長官を務めたマイケル・パグリアリ氏から聞いたことがある。チャールズ皇太子が、愛人のカミラ現夫人を香港島に帯同した時には、フロッグマンによる海上での特別警備を行っている。一帯一路の欧州の最西端に位置することになるともみられた英中の蜜月関係は、園遊会での女王陛下の”Rude”発言ひとつで崩壊したと世界は鋭く感知した。今は、キャメロン・親中政権は跡形もない。
それにしても日本の、官邸の側近外交は鈍感であった。
 さて、習近平主席の国賓訪日が提起されたのは、2019年6月下旬、G20地域首脳会議出席のため大阪市内に来日した折り、27日に開催された日中首脳会談の席上であった。
安倍首相は「習主席と手を携えて日中新時代を切り開いていきたい」と述べて、令和2年春に国賓として再来日するよう発言して、習主席は「温かいご招待に感謝する」と応じている。
習主席は、副主席当時の2009年12月に来日しており、副主席でありながら天皇陛下との会見を強行させるという日本側の政治権力者による失態もあった。
安倍総理は、2018年10月下旬に訪中して、翌年の大阪で再会できることについても言及しているから、国際会議ではなく、国賓としての来日招請を構想したことが考えられる。
中国国家主席が最後に訪日したのは、2010年11月、共産党青年団出身の胡錦濤主席であり、福田総理(当時)と共に、日比谷公園内の松本楼で、孫文夫人ゆかりのピアノを視察して歓談している。

安倍総理は、大阪でのG20サミットで、「来年の桜の咲く頃、習氏を国賓として日本にお迎えし、日中関係を次の高みに引き上げたい」と述べ、習主席は「素晴らしいアイデアだ」と賛意を表した、が、英国の外交儀礼のように、国賓招請の親書が手交された気配はない。
ちなみに、政府答弁書において、「国賓は、政府が儀礼を尽くして公式に接遇し、皇室の接遇にもあずかる外国の元首又はこれに準ずる者であり、その招へいに当たっては、相手国との二国関係等を総合的に判断の上、閣議において決定している。」とあり、大阪での日中会談における総理発言は、閣議決定に基づくものではなく、国賓での招聘として調整を進めている最中の発言にすぎない。

 安倍総理は、令和元年10月9日の参議院本会議において、日中関係が正常な軌道に戻ったという認識を示し、「来年の桜の咲く頃には習近平国家主席を国賓としてお迎えし、首脳間の往来だけではなく、経済交流、青少年交流など、あらゆるレベルでの交流を拡大し、日中関係を新たな段階へ押し上げ、日中新時代を切り開いていく決意です。」と答弁している。
 更に、令和元年の年末には、安倍総理は、日中韓サミット出席のため四川省成都に赴く途中、わざわざ北京に立ち寄り、習近平国家主席と45分間同時通訳の会談をし。一時間を超える夕食会も催された。

安倍総理は、「習主席の国賓訪日を極めて重視、国賓訪日を有意義なものとし「日中新時代」にふさわしい日中関係を築き上げるべく、協力して準備していきたい」「その際、我々の手で日中関係を次の高みに引き上げ、地域や世界の平和・繁栄に対して、日中両国が有する大きな責任をしっかり果たす、との意思を内外に明確に示したい。」と習主席と安倍総理を「我々」と形容する踏み込んだ発言をしている。

真偽の程は定かではないが、習近平主席は、令和の御代の初の国賓訪日を切望しているとの噂はあった。それを阻止するために、トランプ米国大統領が、令和の時代の初の国賓として訪日することになったとのこれまたまことしやかな噂が飛び交っていた。

ちなみに平成の御代の最後の国賓は、ベトナム主席夫妻だけである。
サルタンではない、マハティール首相に対して、天皇陛下は、平成30年11月6日に外国人叙勲で桐花大綬章を授賞し、親授式を挙行した。翌日、首相と夫人を皇居・御所に招き昼食会を開催されたが、親授式に皇后陛下が陪席されていなかったので、親交の深さを考慮して昼食会が追加された。
皇室外交のきめ細かな配慮が窺える。

 2019年秋に、ソロモン諸島とキリバスが、外交関係を台湾から支那に乗り換えたことが話題になった。日本と台湾そしてフィリピンの連なりは第一列島線という、支那の海洋進出を拒む防波堤だが、それを突破して第二列島線に進出して、更に越えようとする動きを見せた。
「太平洋には中国と米国を受け入れる十分な空間がある」と、2013年6月米国を訪問した習主席は、米支による太平洋分割統治論をオバマ大統領に嘯いた。ワシントンでは、G2を喧伝して、米支経済同盟が成立した雰囲気すらあった。第三列島線は、ハワイからサモア、ニュージーランドに至る海洋戦略の最前線だ。その先には、力の真空でる東南太平洋が広がる。
支那は、第三列島線を現実的な戦略として、メラネシアやポリネシアに莫大な経済援助を2006年頃から開始した。2018年、パプアニューギニアでアジア太平洋首脳会議が開催されたが、開催前日に習主席は、高速道路の開通式を行い、これを誇示することから会議を始めている。

しかし、米支の対立があり、初めて共同声明がなかった。トランプ大統領の米国は支那の太平洋での突出に妥協しなかった。トンガでは、壮大な官庁建物が支那の支援で完成しており、人民解放軍とも交流している。トンガの静止衛星軌道使用権は、2008年に支那に買収され、チャイナタウンが作られ、無法地帯が出現している。
ミクロネシア連邦のヤップ州には、支那のマネーロンダリングのためのカジノが計画されている。サイパンのカジノも10年前から稼働しているが、目的は同じだ。(コロナ禍のなかで、横浜のカジノ計画の返上がラスベガスの企業が発表したが、支那マネーの日本にあるカジノでの洗浄が目的であったが、コロナウイルス禍で目処がたたなくなったからか。そうであれば、僥倖である。)仏領ポリネシアでも空港や海底ケーブル布設を計画しているが、いずれも軍事用途に転用可能だ。

更に、第三列島線の先にある南米チリに急速に接近していることも注目される。チリ大統領は、2019年4月に北京を訪問して一帯一路への支持を表明している。支那は、チリを戦略的な要衝と考えており、第三列島戦で、米国を軍事的に牽制するだけでなく、米国が支配するパナマ運河を建設する構想にも関与している。壮大な太平洋の海域が実質的な無法地帯となり、支那から密輸される麻薬中毒が青少年に及び、人身売買や売春につながり、漁業では支那漁船による違法操業が日常茶飯事となっている。かつての「天国に近い」島々が、汚濁にまみれた拡張帝国主義の食い物となり、旧宗主国たる日本の後手の対応は、親日の「旧南洋群島」の面影を急速に消滅させた。
支那は、太平洋の日米激戦の島々を買収することに血道を上げているかのようだ。ソロモン諸島に、ブーゲンビルやカダルカナルがある。ツラギやタラワは激戦をした要衝の地だ。

支那が次に狙うのは、レイテかラバウルか、果ては硫黄島かと想像を逞しくする。
激戦の島伝いに日本を陥落させることが最終目的ではないのか。
支那の戦略家が、テニアンにB29ならぬミサイル基地建設を夢想している可能性は十分にある。
安倍政権には、太平洋の島嶼国を対象とする外交が決定的に欠落している。

 安倍政権は、令和2年3月12日に、首相在任3000日という憲政史上最長政権となった。
しかし、権力は腐敗することが必定であり、令和元年10月に消費税が8%から10%に引き上げられ、経済に急ブレーキをかけるという前例があるにもかかわらず、大局観を見失った政策を強行突破している。12月までの国内総生産は、対前年比でマイナス7.1%になった。

 経済が低迷するさなかに、武漢ウイルスが、世界中を襲うことになるが、安倍政権は、習近平主席国賓訪日にこだわり、防疫対策は完全に後手に回った。コロナ禍に対する判断が甘かったのだ。
もちろん、支那側は、日米同盟にくさびを打ち込むことが狙いであるから、ギリギリまで、訪日を実現させようとした。2月初めには、外交部の先遣隊が極秘裏に来日し、歓迎行事が行われる迎賓館などを見て回っている。

 2月26日になってから、茂木外務大臣と王毅外相との電話会談で、訪日延期の可能性が示唆されたが、、中国全土から、とうとうとウイルスが日本になだれ込んだ。
訪日延期が発表されたのは、3月5日で、その日に中国本土からの日本入国制限が発表されている。
安倍政権の外交政策が、「親中」路線に舵をきっていたことが明らかになり、その総仕上げが習主席の国賓訪日であり、そのためにコロナウイルス対策が決定的に遅れたことが天下に知れ渡ることとなった。

「一帯一路構想」による支那の収奪に対する批判の欠如や、南シナ海の環礁の埋め立て占拠・軍事基地化に対する低調な反発や、香港の一国二制度問題に対する無評価や、ウイグル人・チベット問題への無関心、等々、安倍政権の支那への迎合と鈍感さが漸次明らかになってきていたが、外交政策の基本を、平成29年以来、米国との同盟を基軸とする外交から「親中」路線に変化させていたのだ。
安倍政権の外交方針の変化を読み解くことが必要だ。コロナウイルス禍は、しかし、支那の拡張帝国主義と独裁秘密主義の悲惨な実態を世界に周知することになった。実に皮肉な学説であるが、コロナウイルスには、S型、K型、G型、欧米G型などと変異があり、S型とK型のコロナウイルスが、支那から日本に蕩々と入っていて、集団免疫状態となっていたために、武漢や上海から、強力なG型が入ってきても、免疫ができていたから、死亡する患者が日本では不思議なくらいに少なかったとする。
ヨーロッパには、S型は支那から入っていたが、K型がなかったために免疫がなく、欧米Gが猛威を振るうことになったとする説である。S型だけだと、G型をむしろ強力にするとの説で、京都大学の上久保靖彦教授などが、ケンブリッジ大学で発表している学説である。
習近平主席の国賓訪日を忖度するあまり、安倍政権がコロナウイルス禍への対応が杜撰で遅れたことが、ウイルスの集団免疫を作る上では「僥倖」となったことになる。安倍政権は令和二年4月7日に緊急事態宣言を発令したが、習近平主席が、コロナウイルス禍を「国難」と認めてからも、二ヶ月以上が経っていたし、上述の学者の説に従えば、4月の時点で既に集団免疫ができていたことになり日本では終息に向かっていたことになるから、科学的な裏付けのない、経済活動を阻害するばかりの緊急事態宣言だったことになる。
 米国は、大統領選挙の年毎に、長期的な世界情勢を分析して公表するが、既に16年前に、支那で大疫病が発生する可能性を国家情報協議会が発表して、以来大統領選挙のたびに、支那での疫病発生について警鐘を鳴らし続けてきた。動物を介してのウイルス変異が起きて、人間に感染する病気がパンデミックとして、これからも支那で発生する可能性が高いことを指摘している。

 さて、習近平主席の国賓訪日は、土壇場で「延期」されることとなったが、支那の繁栄は砂上の楼閣でしかなく、しかもその繁栄は、欧米の拝金の資本家と、それに追従する日本の経済界が提供したことが明らかになった。サプライチェーンの問題も起きた。
日本はマスクひとつ入手できない状態になり、日本資本の工場で製造するマスクが、支那の戦略物資とされ、抗ウイルス薬のアビガンの原料も対日輸出を禁止した。総理大臣名で、各世帯に高性能とは思えないマスク二枚が配布されたことこそが、あわれな異常事態ではなかったか。習近平主席の国賓訪日に反対する集会が、3月8日に日比谷公園で開催されたが、出席した現職の国会議員はなんとただひとり原田義昭議員だけであった。与野党を問わずほとんどの政治家が、支那発のパンデミックの危機を傍観するばかりだったことには驚かされた。

 安倍首相の自民党総裁としての任期は、令和3年9月である。習主席の国賓訪日と、東京オリンピック開催を花道としていたが、これからはむしろ、安倍総理が早期に辞任することによって、コロナウイルス禍の元凶である中国共産党主席の国賓訪日を回避し、武漢ウイルス禍の世界の犠牲者を追悼して、東京オリンピック大会を返上する英断を下すべきだ。憲政史上最長となった政権の退陣を飾る立派な花道になる。

・・・河野防衛大臣が原田議員を訪問した先日の写真です。


 稲村公望氏に深く感謝を捧げます。このエッセイを読んだとき、安倍総理の病気回復は当然祈っているが、日本のことを考えるとそれとは別に書かなければ、と思っていた。
天下の智者、稲村公望氏のエッセイを拝読して、無理をお願いして私のブログにご紹介させていただいた次第です。
稲村氏とは以前、「フーバー大統領の回想録」を拝読して全20編にわたり、わがブログに連続的に転載をさせていただき、それから4年後、大阪での講演会でじかにお話を伺い、その豊富な知識学識、陽気なお人柄など一気にファンになってしまった。
 
(下記のリンクで2015年に私がお願いして転載させていただいた稲村公望氏の「フーバー大統領回想録」が読めます。)https://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/dc540c37943a2943729466651f2cb2ae

稲村公望氏プロフィール
稲村 公望(いなむら こうぼう、1948年12月10日 - )は総務官僚。総務省政策統括官郵政事業庁次長、日本郵政公社常務理事、日本郵便副会長を歴任。鹿児島県大島郡天城町徳之島、出生時は琉球列島米国民政府占領下)出身。
詳しくは https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E6%9D%91%E5%85%AC%E6%9C%9B



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする