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時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

竹田恒泰氏【小室文書】徹底解説その③~もらったお金です!小室圭さんが『借金じゃない!』にトコトンこだわるその訳は・・・

2021年04月12日 | 政治

★ 竹田恒泰氏「小室文書」解説~「複数の弁護士」も怪しい存在としか思えない。

【小室文書】徹底解説その③~もらったお金です!小室圭さんが『借金じゃない!』にトコトンこだわるその訳は・・・~|竹田恒泰チャンネル2



小室氏は変なところにこだわる。「ご理解を得たうえで解決」って?・・・小室文書?を読み上げながら解説する竹田氏。こうして読み上げられると、目で追うよりずっと違和感がハッキリする。
「黙っていたほうがよい」・・・など「損得関係」、おカネを出してくださった相手のことなど考えていない。
おカネを返そうとしたが、複数の弁護士に相談「返金すれば借りたお金と思われますよ」とアドヴァイスされたので返金すれば「借金でなかったものが借金であると誤解されるので受け入れられない」だったと・・・(このあたりから狂気を感じる)
返金すれば私の母は「借金を踏み倒した」と思われる。
将来の私の家族も借金を踏み倒そうとしたものと思われる。(今も踏み倒していますが)
私たちの名誉が「云々」・・・(いったい何を言っているのか、何をここまでこだわっているのか、これを理解したのは日本で宮内庁長官だけだから、と竹田氏)

・・・それにしても小室文書の内容がいかに変か、項目ごとに竹田氏の解説は明瞭。また続編が出る予定です。



★ 自ら身を正し、歴史や道徳を学ばない王朝は潰れる、これからの日本の皇室は外国からの意図的な間者が狙っており、快楽・遊びを「自由・自主的」と都合よく割り切る風潮は自浄作用がなければ、根本から崩れることになる。
なるべくしてここまできた、と「歴史の教訓」を、まさかの日本の皇室で受け止めなければならないとは。
「賢さ」は皇室を護る武器であったはず。しかし何を勘違いしたのか、タンクトップで大学に通学したり、はしたない服装で気味悪いセクシーダンスを踊ったり、学生の身分でありながら「特定の異性」と遠出しデートを重ねたり。
一般家庭でもとがめられることを平気で「自由の名のもとで」恥知らずにも浮かれたり。

これは元防衛大臣でこのキテレツな服装をバッシングされたが、当然である。
皇室では例えばこれやこれなど、もっとひどい写真もあるが皇族のは、ここで留めておく。

や、これなどぞっとするばかりだ。

に恥ずかしくないのか!!そして日夜日本の為に頑張る、方々への敬意は?

も、そして国の為に散華された方々、やがて悲しきも。


忘れてはならない「愛国者」の努力、


ブログのティールーム

本日はイタリア最高のバリトン、カップッチッリが歌うヴェルディ「アッティラ」のアリアをお聴きください。

"Scena Ezio" Attila, G. Verdi - Piero Cappuccilli (High Bb and bis!)




【歌詞和訳】

(手にパピルスの文書を持って、腹を立てた様子で)
「フン族とは休戦だ
ローマへ エツィオよ すぐに戻れ...
貴殿への命令である ヴァレンティアヌス」
命令だと!...このように
戴冠した子供が 私を呼び戻すのか?...
それともあの野蛮人の軍勢以上に
わが軍を恐れているのか!
この勇敢で思慮深い戦士が
ずっと頭を下げ続けるのか
臆病な傀儡の面前で?
まあ帰ってやろう...だがこの力を生かすこととは
最大限に
それは祖国をこの極限状態から救うことなのだ

不滅の頂上の         
栄光の美しさより いつの日か
祖先の霊よ ああ現れたまえ
ほんの一瞬であっても!
そこを越えて勝利の鷲が
世界中を飛び回ったのだ...ああ!
下劣な死体と化したローマを
誰が今や見分けることができようか?

ここからカバレッタです。聴衆の熱狂的な拍手に応えて二度歌っています。(4分50秒から)

すでに決まったことだ。戦いの準備は出来ている。
私は倒れることがあっても強者として倒れ、名は残ることだろう。

この愛する祖国が分割されるのを見ることはない。
イタリアのすべてが「最後のローマ人」として悲嘆にくれるであろう。

★ 
カップッチッリは「最後のローマ人」を歌ってイタリアの聴衆を狂喜させた。
  最後はヴェルディの書いてない高音で締めくくり、ミラノの聴衆はわれを忘れて喝采した。

このオペラで「エツィオ」というのはラテン語で「アエティウス」と呼ばれる実在の英雄。

フラウィウス・アエティウス(ラテン語: Flavius Aetius, 391年頃 - 454年9月21日)は、西ローマ帝国末期の将軍。
幼少期はフン族の人質として過ごし、アッティラとも親交があったと言われる 。
425年にガリアでの軍指揮権を獲得すると蛮族との戦いで徐々に頭角を現して西ローマ帝国の実権を握るようになり、434年にはパトリキの称号と西ローマ帝国全軍司令官の地位を得た。
451年にカタラウヌムの戦いにおいてアッティラ率いるフン族を撃退した。454年、アエティウスの功績に危機感を持った皇帝ウァレンティニアヌス3世によって暗殺された。翌年、皇帝自身もアエティウスの元部下によって暗殺されている。


彼のライバルだったボニファティウスとともに、アエティウスは「最後のローマ人」としばしば呼ばれている。
歴史家エドワード・ギボンはカタラウヌムでの勝利をもって「蛮族にとっての恐怖でありローマにとっての守護者として称えられた男」と評した。(WIKIより)







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