軍事評論家、小川和久氏のエッセイより「吉田陸上幕僚長に期待する」
自衛隊が強くなる。「一般大学出身の陸上幕僚長」30年ぶり誕生の意義 - まぐまぐニュース! (mag2.com)
>私も吉田さんのことは陸上幕僚監部の防衛課長の時代から知っています。人格識見ともに申し分のない人材で、自衛隊全体の変革のキーパーソンだと思っています。いただいた挨拶状にも、戦略的に取り組んでいくと抱負が述べられていました。
その吉田さんにお願いしたいことがあります。吉田さんの前の一般大学出身者は寺島泰三さん(東北大学)で、その後の志摩篤さん(防衛大学校1期生)からずっと30年も防衛大学校出身者が続いた点を、今後、どのように自衛隊の改革に位置づけるかということです。
米軍と比べた場合、自衛隊の構造的欠陥とそれに伴う脆弱性は硬直した人事制度にあります。トランプ政権の国防長官ジェームズ・マティス氏やイラク戦争当時の中央軍司令官トミー・フランクス氏は、2等兵から入隊してそれぞれ海兵隊と陸軍の大将に上り詰めました。大卒の資格は軍に勤務しながら取得しています。ブッシュ(子)政権で国務長官を務めたコリン・パウエル氏も一般大学(ニューヨーク市立大学)出身で米軍トップの統合参謀本部議長になりました。
日本の場合、そんな例はありません。それどころか、防衛大学校出身者でなければ人にあらずのような人事が自衛隊の士気を下げてきた面もあります。30年近く前の話ではありますが、私も「成績がよくても、UやIの序列はBの後にする」と直に防衛大学校1期生から本音を聞かされたことがあります。
私の自衛隊生徒の同期生も、部内選抜を選んだM・T君は指揮幕僚課程もトップクラス、対戦車ヘリのパイロットとしても大きな功績を残しましたが、最終階級は1等陸佐の(一)でした。1等陸佐には(一)(二)(三)があり、(一)は外国の准将や上級大佐のようなものです。
T君の成績は方面総監になってもおかしくないものでしたが、部内選抜出身者の将官枠が存在しないに等しく、しかも航空職種の枠も非常に限られていたため、そのような結果になりました。これは親しい知人が陸幕の人事部長時代に調べてくれたものです。
同じ同期生でも私立大学の夜間部に通い、海上自衛隊に転じたT・T君は航空集団司令官(海将)としてP-1哨戒機の国産化など海上自衛隊の対潜水艦戦能力を飛躍的に向上させました。このT・T君は「Uダッシュ」と言って一般大学出身者として扱われた結果、トップレベルまで昇進できたのです。海上自衛隊と航空自衛隊は、人事面で陸上自衛隊とは少し違う面があるようです。
陸上自衛隊の場合、指揮幕僚課程(CGS)が将官への登竜門であり関門とされますが、それを出た後は出身に関係なく公平に昇進させなければ、米軍のような活力など生まれるはずがありません。
努力する者が必ず報われる組織でなければ、戦場で命を預け合う信頼関係は成り立ちません。防衛大学校出身者にも優れた人材は少なくありませんが、吉田さんが30年ぶりの一般大学出身者というのはいかにも不自然な気がします。
新しい安全保障環境に対応すべく、職種の枠も、昔の名残を引きずった普通科(歩兵)・特科(砲兵)・機甲科(戦車)中心から大幅な改革が行われつつあります。
B(防衛大学校)、U(一般大学)、I(部内選抜)の区分を超えたマンパワーの発揮を目指して、吉田さんの時代に改革を進めてもらいたいと期待しています。(小川和久)
小川和久氏のプロフィール
日本初の軍事アナリストとして独立。国家安全保障に関する官邸機能強化会議議員、、内閣官房危機管理研究会主査などを歴任
全文は一番上のリンクでご覧ください。
小川和久氏のことは、奥山篤信氏のご友人であり、楽しいコメントの交歓で知りました。お互いにかわされるコメントは大爆笑でした。時々、小川氏のエッセイを私のブログにも転載をさせていただいています。
本日、4月7日は故・三宅博先生のお誕生日でご存命なら71歳を迎えられていました。
前回の「ブログのティールーム」で、三宅先生がご病気を隠して広島の福山で実施された「拉致被害者救出」の講演に、不肖ベッラが先生に内緒でひそかにその会場に入り、開場前の「君が代斉唱」の時に流れるオーケストラとコーラスのCDに、私の生の声(マイクなし)で歌っている1分強のyoutube (57) 平成27年12月6日 ① 北朝鮮による拉致被害者全員の救出を求めるつどい 開会 - YouTubeを貼り付けていました。
その時は三宅先生のお誕生日前日であった、ということを失念しており、櫻井さまのコメントで「あ、そうだった!!」と思った次第であります。ありがとうございます。
それに昨日はクライン孝子女史より私のブログの「深田萌絵女史」の命がけの実践の賛同をしてくださり、「今まで深田さんは若くて少し軽いイメージだったけれど、これを見て全く違っていた。これはスゴイ人だ」と、そして大変危険な中でのご活躍にかつては同じように危険な中に身を置いて国際的なご活躍をされていた日々と重ね合わされたのでしょう。
また、そのあとで、過ぎし日に東京で「皇統を護る講演会」で登壇されたクライン女史と三宅先生、おふたりが楽屋でご一緒された時の思い出をお伺いしていました。一期一会、なんという奇遇でありましょうか。
石井望長崎純心大学准教授とも「尖閣」問題で三宅先生との東京に於ける街宣で実際には一期一会でした。(私が九州に三宅先生の意をくんで石井先生の講演を聴きに行き、その後、お電話で三宅・石井両先生のお話が二度目でした。あとは三宅先生のご葬儀にはるばる長崎から石井望先生が駆けつけてきてくださったことなど、思い出します。
人は「会った回数ではなくその濃度」だ、などと思いを強くしました。
石井望先生の講演会はそれから行ける限りはたとえ沖縄でも参加している私です。
東京ではクライン孝子女史が長崎の石井望先生と私の携帯でお話しされるという偶然の機会もありました。
石井先生が香港大学で「尖閣の歴史講演会」を開かれた後、無事にご帰国されるか、クライン孝子女史、三宅博夫人と大変心配しました。もし衣服にわざと変な粉を入れられて「連行」されるという危険性もあったからです。
無事にご帰国の一報があった時は大阪の三宅夫人、ドイツのクライン孝子氏、そして私と、大喜びで安堵しました。
三宅先生は私に「日程が合えば、クライン孝子さん、そして長崎の石井望准教授のメンバーで講演会を開きたいなあ」と仰っていたことを思います。今日は三宅先生が名古屋大学の「平和憲章問題」のことや自衛隊出身者が国公立の大学進学への差別問題、拉致被害者に対する取り組みや朝鮮総連・朝銀問題、文科省の教科書会社に対する収賄の事実の暴露、などの諸問題、短い衆議院議員であった間に天衣無縫に「三宅砲」としてご活躍されたことを昨日のように振り返りながら・・・感無量です。
クライン孝子女史はご夫君のルートヴィヒさまを亡くされてから、悲しみの日々でしたが、これからを明るくお過ごしになることが一番のご供養であると、それが一番ルードヴィヒさまを喜ばせることであるとけなげにお話になり、私も大賛成しました。
お辛い中でもこうして日本を危ぶんでいらっしゃるお気持ちをお話になる時は以前、戦場を巡り、東独秘密警察であるシュタージとも渡合った女傑、クライン孝子女史である、と思いました。これは天から定められた「天命」でありましょう。
奥山篤信氏は偉大なお方ですが、クライン孝子氏の以前からの「悪友」?であり、私もそのご紹介で知り合った「不思議な天才」です。
これほどの素晴らしい経歴や作家としてのあらゆる方面での卓越した見識をお持ちの、しかも古代ローマから現代に至る広い歴史的な慧眼を示される賢者は日本にはたして何人いらっしゃることでしょうか。
私のブログは「奥山篤信氏」が登場?されると何千と読み手が一気に増えます。
もしかしたら奥山氏は「ブログのアイドル」?かもしれません。
クライン孝子女史は「奥山さんのような華やかなスゴイ才能の方が政治に出てくるときっと大人気よ」と仰いますが、今の政治家の低レヴェルの中では海浜の中の砂利にひとつ輝くダイアモンド、こういうお方は文化人・芸術家としてあの「ダンヌンツイオ」の如く、善悪の判断のレフェリー?のように君臨していただきたいものです。
悠々たる不思議なオーラをもつお方です。・・・なんだかみなさん、どこかでつながっているような不思議な感覚です。
ブログのティールーム
フランコ・コレッリとニコライ・ヘルリアの歴史的名唱です。これは奥山篤信氏とご著書に
ヴェルディ「ドン・カルロ」~カルロとロドリーゴの友情の二重唱
Don Carlo. Corelli - Herlea "Dio, che dell'alma infondere"
上記の写真は私の大好きな風景、ブロ友のご提供です。感謝!!