Ettore Bastianini ~OCCHI DI FATA
バスティアニーニの歌を愛する方々が、このブログに多いので、もう一曲、日本での公演の合間に録音された歌曲をお聴きいただければとアップしました。
バスティアニーニが日本で最後に歌ったもののひとつです。
Ken様の解説でどうぞ。
バスティアニーニの祈り (ken)
2010-12-23 09:20:19
ゴッビは実はいまのイタリアの若手でゴッビブームがあるらしいです。さもありなん、ゴッビは実はテクニックの宝庫なんです。とくに大声量をつけるヒント満載です。ゴッビは、輝かしいイタリアの高音とは何か、を教えてくれるバリトンです。
が、声にまったく悲哀を感じないというか、声のなかにドラマがない、と感じます。これは、現代の巨匠、レオ・ヌッチにも感じます。ゴッビやヌッチはカップッチッリの悲壮な雰囲気をもってません。
ゴッビのシモン・ボッカネグラは、まるでパリアッチョです。「平和を叫び、愛を叫」んでも、そのあと、ごめんください皆様方、、、とカーテンの脇から出てきそうなのです。
カップッチッリのエツィオは、エンターテイナーとしてのオペラ歌手を越えて、宿命に果敢に向かって死ぬ漢、だけが、眼前に現れる。大きな違いです。
バスティアニーニはもはや声のなかにすでにドラマが、悲劇が、あります。こんなひとはほかにはいない(ティッタ・ルッフォは、バスティアニーニほどのセンチメンタリズムを感じません、もちろん偉大すぎるバリトンですが)。
カップッチッリが男の悲壮な死にざまを大きな身振りで演じているとすれば、
バスティアニーニは悲哀や怒りを声にひたかくし押し殺したような、感動的な魅力があります。
バスティアニーニの「愛に満ちた聖母」は祈りの感情が、外に向かわないで、鬱屈したように中で爆発する。なんと男らしい祈りだろう。葉隠風に言えば忍ぶ祈り。
過去や秘密というものをべらべら喋ることなく、自らの中にしまいこんだ人は、セクシーだと感じますが、過去も秘密も悲しみも怒りもすべてをしまいこんだバスティアニーニの声は、この世で最もセクシーなものです。
かれのあだ名は「閉じた本」だったそうです。パンドラの箱ではないけど、閉じたものの中に希望が失われずにいる。バスティアニーニの閉じた声のなかにもおそらく、純粋さな感情がダイヤのように秘められてる、そう感じます。
◆
音楽大学を卒業するとき、ぼくの家のすぐそばのホール、神奈川県立音楽堂で、ぼくは「来たれレオノーラ」を歌いました。
終演後、あるご婦人が楽屋を訪ね、この歌を得意としたバスティアニーニというバリトンは、このホールで最後の歌を歌ったのだ、といいました。感動的な思い出です。
バスティアニーニの歌を愛する方々が、このブログに多いので、もう一曲、日本での公演の合間に録音された歌曲をお聴きいただければとアップしました。
バスティアニーニが日本で最後に歌ったもののひとつです。
Ken様の解説でどうぞ。
バスティアニーニの祈り (ken)
2010-12-23 09:20:19
ゴッビは実はいまのイタリアの若手でゴッビブームがあるらしいです。さもありなん、ゴッビは実はテクニックの宝庫なんです。とくに大声量をつけるヒント満載です。ゴッビは、輝かしいイタリアの高音とは何か、を教えてくれるバリトンです。
が、声にまったく悲哀を感じないというか、声のなかにドラマがない、と感じます。これは、現代の巨匠、レオ・ヌッチにも感じます。ゴッビやヌッチはカップッチッリの悲壮な雰囲気をもってません。
ゴッビのシモン・ボッカネグラは、まるでパリアッチョです。「平和を叫び、愛を叫」んでも、そのあと、ごめんください皆様方、、、とカーテンの脇から出てきそうなのです。
カップッチッリのエツィオは、エンターテイナーとしてのオペラ歌手を越えて、宿命に果敢に向かって死ぬ漢、だけが、眼前に現れる。大きな違いです。
バスティアニーニはもはや声のなかにすでにドラマが、悲劇が、あります。こんなひとはほかにはいない(ティッタ・ルッフォは、バスティアニーニほどのセンチメンタリズムを感じません、もちろん偉大すぎるバリトンですが)。
カップッチッリが男の悲壮な死にざまを大きな身振りで演じているとすれば、
バスティアニーニは悲哀や怒りを声にひたかくし押し殺したような、感動的な魅力があります。
バスティアニーニの「愛に満ちた聖母」は祈りの感情が、外に向かわないで、鬱屈したように中で爆発する。なんと男らしい祈りだろう。葉隠風に言えば忍ぶ祈り。
過去や秘密というものをべらべら喋ることなく、自らの中にしまいこんだ人は、セクシーだと感じますが、過去も秘密も悲しみも怒りもすべてをしまいこんだバスティアニーニの声は、この世で最もセクシーなものです。
かれのあだ名は「閉じた本」だったそうです。パンドラの箱ではないけど、閉じたものの中に希望が失われずにいる。バスティアニーニの閉じた声のなかにもおそらく、純粋さな感情がダイヤのように秘められてる、そう感じます。
◆
音楽大学を卒業するとき、ぼくの家のすぐそばのホール、神奈川県立音楽堂で、ぼくは「来たれレオノーラ」を歌いました。
終演後、あるご婦人が楽屋を訪ね、この歌を得意としたバスティアニーニというバリトンは、このホールで最後の歌を歌ったのだ、といいました。感動的な思い出です。