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ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

カップッチッリが歌う「祖国の敵」(アンドレア・シェニエ)より

2010年12月23日 | オペラ
Piero Cappuccilli "Nemico della patria" Andrea Chenier


私はカップッチッリの歌が好きだ。
彼の歌には「史記」「春秋・戦国」の孤高のヒーローを感じる。
イタリアオペラから「史記」だなんて、思ってもみなかった。

この歌は「アンドレア・シェニエ」から、かつて貴族に使えた召使のジェラールが、フランス革命に参加し、ロベスピエールの片腕になるも、この革命に疑問を持ち「人々の幸せを願って革命に参加したのに、毎日粛清、泣きながら殺しているのだ」と理想が破れた現実を歌う。
革命裁判ではシェニエの弁護をする。そして3日後にロベスピエールは失脚。

この役は気高いシェニエに対し、代々召使として働いてきたジェラールがフランス革命の暴政に悩み「かつては召使だったが、今も革命という名のもとでの召使にすぎない」と嘆く。
バリトンの聴かせどころである。
カップッチッリの「漢」たる魅力が存分に聴ける。(これは特に気に入っていて、実演でのカップッチッリも聴いた。3000人の客席に朗々と響き渡った「いぶし銀」の魅力が昨日のように思い出される。楽屋に行き、感激を伝えると私の肩に手を置いて、やさしく話して下さった・・・この歌手ももう亡くなった。)
コメント (7)
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きわめて気分悪い「部下だけ処分」・「朝鮮半島緊張高まる」・・・無能政府への怒り

2010年12月23日 | 政治
仙谷、馬淵氏の辞任要求=「部下だけ処分は言語道断」―野党(時事通信) - goo ニュース

何が気分悪いって、自分たちのことはさておき、海保など部下だけを平気な顔で処分し、自分たちは居直っていることだ。
ことの善悪も恥も知らず、このようにひとごとのように反省もなく、居直り続けるのは人間として大きな欠陥があるとしか思えない。

今の日本は与党が政治も経済も、そして良識もメチャクチャにし、報道と組んで日本崩壊を目指しているように思える。

NHKをはじめとして「ずさんな海保」という報道である。
報道機関は与党とともに「ずさんなことこの上ない」のである。
今日もタレントの噂話やスキャンダルを追いまわし、ろくでもない報道にあけくれ、下品なバラエティや見識に欠ける「コメンテーター」が大きな顔をして「居直る」・・・これが今の日本だ。

いきあたりばったりの経済政策、出口のない外交、危機管理のない政治、自分の会社だけよかったらいいという売国企業、いつからこんな世の中になったのか!
国民は報道をあてにしてはいけない、ネットで知る人も増えてきた。
この国の報道機関は反省もなく、三流以下になってしまった。

また、平沼さんからの一斉メール(一昨日)によると、日本の祝祭日まで「中国に合わせる」つもりだとする危惧が書かれていた。
中国の国慶節にあわせて日本も祝祭日を考え、経済効果を得る、という猿知恵である。
ここはどこの国か!
中国にバカな売国企業出身の大使を送りこみ、恥ずかしげもなく隷属した主張を繰り返す、これを更迭しなければならない。
一方、ロシア大使に責任をかぶせ、更迭するという・・・それも北方領土の読みが間違っていたから、という理由だ。
これも「部下に責任をかぶせ、自分は知らん顔」の一例である。

民主党の閣僚たちは人間的な欠陥があるのではないか、と最近思っている。
まともに怒っていたら、身がもたない、それでもどうしょうもないのだ。
今日のネットでは北朝鮮のムスダンに「核弾頭」を載せることが可能だというニュース、日本に50台向けているようだ。
問題山積である。
無能な政治家が政権をとる、ということは国家の自殺行為に等しいことだ。
ペンは剣より強し、というより「ペンはおカネに弱し」とする今の報道機関も同じ、国民はもっと知るべきである。企業も然り。
コメント (2)
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西村真悟さんのメルマガが来ました。

2010年12月23日 | お知らせ

             海上保安官の尖閣映像公開と「処分」について
No.580 平成22年12月23日(木)

 本日は、天皇誕生日。
 おめでとうございます。心より、御皇室の彌榮を祈り申し上げます。
 また、昭和二十三年の本日未明、巣鴨において、東条英機ら七名が、連合軍によって絞首され殺害された。連合軍は、殺害した七名の遺体を直ちに東京から運び出して焼却し、その遺灰を海に投棄した。無念だ。
 ここに、我が国現代史に刻まれた苦痛がある。この苦痛を我が現代史回復の機転とすることによって、七名の霊に報いねばならない。
 本日、未明、このことを強く思った。あたかも、夢のなかで語りかけられているようだった。

 さて、昨二十二日、海上保安庁が尖閣映像を公開した海上保安官を停職十二ヶ月とし、同人は「後悔していない」と言い切り退職した。
 処分を発表した鈴木海保長官は、「あってはならない事態。国民の信頼を大きく損ねた」と述べ、保安官が所属した神戸の第五管区の本部長も、「映像流出はあってはならない行為。深くおわび申しあげます」と口裏を合わせた。
 マスコミも、「流出」に関する処分自体は致し方ないという論調である。
 中共に指図されて、尖閣映像を秘密していた菅内閣にとっても、映像の公開は、もちろん、「あってはならない事態」である。
 官房長官は、「(保安官の書類送検を受けた捜査当局は)速やかに厳正処分してくらたらと思う」と未だぬかしている。
 そこで、これら有象無象の頭の中に無いことを申し上げておきたい。
 それは、「あってはならない事態」がなかったら「どうなっていたのか」ということである。それこそ、我が国が「中共の戦略の罠」に嵌っていた。いや、正確ではない。
「中共の戦略の罠に自ら身を委ねて嵌っていった菅内閣の背信性を国民が見抜くことができなかった」というべきである。
 
 では、その「中共の戦略の罠」とは何か。これこそ、二十世紀の我が国が嵌った最大の罠だ。
 我が国は、一九二七年に南京で蒋介石の北伐軍の襲撃を受けて以来、一九三七年七月の支那事変を経て泥沼の大陸に足をすくわれるまで、一貫して中国共産党に仕組まれた図式のなかに嵌め込まれた。
 それは、「日本が悪で、中国は善」というプロパガンダである。これこそ、現在に至る中共の「国家戦略」であり、江沢民の時代に強化された反日教育の徹底と南京の「三〇万人記念館」によって常に拡大再生産されている。
 このプロパガンダ戦略により、中共は、我が国から膨大な援助という金塊を奪うことができた。
 そして、現在、中共は、我が国の金塊ではなく、尖閣さらに沖縄という我が国の領土と領海を奪うことができると踏んでいるのだ。
 これが、中共の一貫した戦略だ。
 そこで、尖閣映像公開以前、中共は如何なる発信をしていたのか。この度の中共の発信先も、戦前と同じである。中共は、我が国に発信するのではなく、アメリカに発信していた。従って、我が国では、ことの重大性が直ちに解らない。
 九月二十四日の、中国船長釈放の前後にアメリカのマスコミには次の「真相はこうだ」的な論調が現れ始めていた。
 それは、端的に、「尖閣周辺の中国の漁場では、貧しい中国の漁民が漁をして生活をかろうじて支えている。この無力で貧しい中国漁民を日本の武装した強力な巡視船が追いかけ回していじめている」という論調である。
 国際社会、特にアメリカ世論のなかで、この中共の嘘が事実として広がる事態が如何に我が国にとって危険か、歴史を知ればくどくどと説明をする必要もなかろう。
 この中共の嘘が世界にまかり通ると、尖閣はおろか沖縄も危ない。
 さて、ここまで来ればもう指摘するまでもない。
 海保の部下を護ろうとする気力さえない腰抜け幹部と売国と配信の巣と化した菅内閣が言う、尖閣映像公開という「おこってはならない事態」が、その願望通り「おこらなければ」、我が国は如何なる事態に陥っていたのか!
 それは、中共の反日プロパガンダへの屈服である。まさに、二十世紀前半から中盤にかけて我が国が陥った苦渋を、再び経験することになったのだ。
 しかしながら!海上保安官、一色正春氏の「後悔していない」と言い切る映像公開があった。そして、見よ!中共とその共犯と化した菅内閣の「反日プロパガンダ」は朝日の前のぼた雪のように消え去ったではないか。尖閣の海の、我が国の正義が世界に明らかになったではないか。
 以上、尖閣映像公開は、中国の凶暴なる実相と中国船長逮捕の経緯を明らかにしただけではなく、密使とか言う馬鹿な兄ちゃんを北京に赴かせて中共の指図に迎合して共犯となり日本国民を裏切っている菅内閣の総理と官房長官の卑しい根性をも明らかにした。これこそ、「救国の公開」だったのである!
 尖閣周辺における私の「体験的海保論」は、後日述べたいと思う。


☆西村真悟さんは私にとっては、少し重い感じもあるのですが、率直な意見は爽快、事務所の対応は丁寧でした。
このかたは「荒武者」ですね。日本にとって是非必要な政治家です。

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Ettore Bastianini ~OCCHI DI FATA 「君の眼差し」バスティアニーニ最後の録音

2010年12月23日 | お知らせ
Ettore Bastianini ~OCCHI DI FATA


バスティアニーニの歌を愛する方々が、このブログに多いので、もう一曲、日本での公演の合間に録音された歌曲をお聴きいただければとアップしました。
バスティアニーニが日本で最後に歌ったもののひとつです。
Ken様の解説でどうぞ。


バスティアニーニの祈り (ken)
2010-12-23 09:20:19
ゴッビは実はいまのイタリアの若手でゴッビブームがあるらしいです。さもありなん、ゴッビは実はテクニックの宝庫なんです。とくに大声量をつけるヒント満載です。ゴッビは、輝かしいイタリアの高音とは何か、を教えてくれるバリトンです。

が、声にまったく悲哀を感じないというか、声のなかにドラマがない、と感じます。これは、現代の巨匠、レオ・ヌッチにも感じます。ゴッビやヌッチはカップッチッリの悲壮な雰囲気をもってません。
ゴッビのシモン・ボッカネグラは、まるでパリアッチョです。「平和を叫び、愛を叫」んでも、そのあと、ごめんください皆様方、、、とカーテンの脇から出てきそうなのです。
カップッチッリのエツィオは、エンターテイナーとしてのオペラ歌手を越えて、宿命に果敢に向かって死ぬ漢、だけが、眼前に現れる。大きな違いです。

バスティアニーニはもはや声のなかにすでにドラマが、悲劇が、あります。こんなひとはほかにはいない(ティッタ・ルッフォは、バスティアニーニほどのセンチメンタリズムを感じません、もちろん偉大すぎるバリトンですが)。

カップッチッリが男の悲壮な死にざまを大きな身振りで演じているとすれば、
バスティアニーニは悲哀や怒りを声にひたかくし押し殺したような、感動的な魅力があります。

バスティアニーニの「愛に満ちた聖母」は祈りの感情が、外に向かわないで、鬱屈したように中で爆発する。なんと男らしい祈りだろう。葉隠風に言えば忍ぶ祈り。

過去や秘密というものをべらべら喋ることなく、自らの中にしまいこんだ人は、セクシーだと感じますが、過去も秘密も悲しみも怒りもすべてをしまいこんだバスティアニーニの声は、この世で最もセクシーなものです。

かれのあだ名は「閉じた本」だったそうです。パンドラの箱ではないけど、閉じたものの中に希望が失われずにいる。バスティアニーニの閉じた声のなかにもおそらく、純粋さな感情がダイヤのように秘められてる、そう感じます。



音楽大学を卒業するとき、ぼくの家のすぐそばのホール、神奈川県立音楽堂で、ぼくは「来たれレオノーラ」を歌いました。
終演後、あるご婦人が楽屋を訪ね、この歌を得意としたバスティアニーニというバリトンは、このホールで最後の歌を歌ったのだ、といいました。感動的な思い出です。
 

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アンカー 2010.12.22-1青山繁晴(1)

2010年12月23日 | 政治
アンカー 2010.12.22-1


青山さんのトークです。
全部で4枚の動画です。スクロールしてご覧下さい。
削除が心配です。
どうか、お早くご覧下さい。

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